2009/04/20

【Japan】土佐の初カツオ、山口一豊の妻 千代は郡上八幡城主の娘?


 4/25、26は定額給付金をあてにして高知へわら焼きの初カツオ(明神水産など有名)を食べに行きました。塩、たれ、何でも現地で食べると本当においしいですね。 高知といえば坂本龍馬ですが、坂本龍馬記念館で三菱グループのスリーダイヤのマークは土佐初代藩主の山内一豊の家紋である山内柏紋を抽象化したもののようです。山内一豊はもともと尾張で織田信長、豊臣秀吉に仕えてから土佐の初代藩主になった人です。この奥さんの千代さんは司馬遼太郎の「功名が辻」で有名になったようですが、郡上八幡城主の遠藤氏の娘という説が有力です。郡上八幡城を見学したときに城の中にこのことが書いてあり、今回の高知城にもありました。 最近の思いつきの旅で自分の故郷の歴史を学ぶ機会が増えました、、。 私の中では幕末の人物では坂本龍馬や勝海舟よりは小栗上野介を評価していますが、2010年のNHK大河ドラマは龍馬伝だそうです。なんとなく破天荒で人気があるのでしょうね。
                      

2009/04/10

【Japan】発見、西麻布の笄川

 毎朝のウォーキングコースは自宅から外苑前、銀杏並木から神宮外苑を一周し戻る1時間のコースですが、そのコースの途中に笄川の跡地を発見しました。以前から西麻布は笄町と呼ばれていたようですが、それが何故かは知りませんでしたが、それが最近分かったのです。

 笄川は先週訪れた郡上城主青山さんの菩提寺である梅窓院が源流です。具体的には花畑牧場の「ホエー豚亭」の横が源流になります。そこから「花畑牧場カフェ」に行く細い道が川だったところで、現在は道路になっています。キラー通りを横切りスキーショップジローの裏を通り、西麻布二丁目を抜けて、西麻布四丁目から広尾、天現時から古川(渋谷川)に流れ込む全長3キロの川が笄川でした。今は西麻布四丁目のビストロ通りにあった笄橋があったため笄町と呼ばれていたようです。今朝のウォーキングはこの笄川を源流まで遡ってみました。東京の歴史を散策するのは意外と楽しいものです。

 画像は広重の広尾・古川橋です。

2009/04/06

【Japan】刃物会館でミソノモリブデン鋼を購入、そして青山のルーツの郡上八幡へ


 4/4日は岐阜県関市にある病院にお見舞いに行きました。関市は刃物の町として有名です。カワハギ釣りシロギスアジなどを釣った後に刺身や干物を作りますが、包丁の切れ味が悪く、さらに腕も悪いために、なかなかうまく行きません。そこで岐阜県刃物会館に立ち寄り包丁を新調しました。包丁は素人なので何がいいのか分かりませんが、この会館では親切にいろいろと教えてくれます。説明によるとプロはミソノ 440シリーズをよく使うらしいのですが、ランクを少し落としてミソノ モリブデン鋼を選びました。

 桜が綺麗で、ついつい翌日は午前中に郡上八幡を観光をしました。最初に訪れたのは岩崎模型製造株式会社のサンプルビレッジ。食品サンプルというものは日本にしかありませんが、そのルーツは郡上八幡出身の岩崎瀧三さんの作った「オムライス」の食品サンプルです。
初めての見学でしたが、合羽橋に売っている食品サンプルも多くはここの商品なのです。

 そして、桜の花に誘われるように八幡城に上がりました。20代の頃に一度登った記憶がありますが、今回は車で上がり入城しました。この地は日本の歴史の中で「農民が勝利した唯一の一揆」を起こしたところですが、当時の城主はお家断絶となり、その後に青山幸道さんがこの地を治め、「士農工商」が身分に関係なく参加し、輪になり踊る郡上踊り生まれました。八幡城の最上階には、青山さんの歴史が紹介されていますが、実は東京の青山霊園は、八幡城の城主である青山さんの下屋敷だったのです(※南青山は美濃郡上藩青山家の下屋敷、北青山は丹波篠山藩主青山家の江戸屋敷)。

 今朝は青山霊園を通過し、ジムに行きましたが、満開の桜の美しさと八幡城がオーバーラップし、気分が爽快になりました。

 ところで、青山家の旗をご存知でしょうか?
 青い字で漢字の「山」と書いてあるシンプルなマークが青山家の旗です。
南青山近辺の住民はあまり知らないでしょうが、八幡城の中に立っていました(笑)。

 また、最上階には青山家江戸屋敷にあり、暴風で倒れ、中から「日本一」の刻印が出てきた木があります。