2012/03/12

【Japan】内之浦宇宙空間観測所と知覧


3月9日から11日まで鹿児島の内之浦宇宙空間観測所と知覧に行きました。2月に「遥かなる帰還 はやぶさ」という映画を観て、忘れようとしていた昔のことを思い出したからです。
 学生時代にそういう学部があった訳でなく、システム工学の研究会に参加していました。ひとつの専門を追及するのでなく、いろいろな学部を串刺しにして新しいことを行うシステム工学が自分には面白いと思ったからです。

 その後、26歳のとき日本版システム工学を研究する組織工学研究会(参考:創造性組織工学講座)に参加しました。研究会の主催者は糸川英夫さんで、私は12年ほど名古屋と東京(後半)で研究会の事務のお手伝いをしていました。 
 
 私はここ10年間(2000年代)ほど外資系の日本法人の仕事に携わっており、これらの仕事では日本版システム工学の必要もなく、忘れてしまおうと思っていたのですが、「はやぶさ」が運よく帰還してしまい、さらに映画化されてしまったものですから、「無を有」にしたところからどう繋がっているかが気になり、ついつい観てしまいました。

 おかげで昔話をいくつか思い出しました。
 糸川さんは1912年生まれなので、生きていたら今年(2012年)で100歳。「何としても100まで生きる」と言っていましたが、86歳(1999年没)で亡くなられました。遺言で遺骨は海にまかれたはずなので、鹿児島に、特に知覧に行きたくなり、ついでに内之浦宇宙空間観測所に立ち寄りました。

 上の写真は先に訪れた内之浦宇宙空間観測所の「衛星(ほし)が丘展望台」からロケット発射場のミューセンター台地(左端)と山を削って出来たパラボラアンテナ(右端)で、霧の中に霞んで見えるのが、コントロールセンター(中央)です。

コントロールセンターは映画でも室内の映像などありましたが、外観もどこかの工事現場のバラック小屋のようですね(笑)。


 「はやぶさ」が打ち上げられた固体燃料ロケットの全貌ですが、ここからも山のてっぺんを切って乗せたパラボラアンテナが見えます。広大な平地にあるケネディー宇宙センターと比較すると、ここは山の中に作られた狭い発射場です。


内之浦宇宙空間観測所の正面玄関を出ると「宇宙科学資料センター」があり、その歴史が刻まれています。最後の出口の前に飾られている写真の左右には「色あせた折り鶴」があります。拡大すると「内之浦婦人会」からと...
 ロケットの打ち上げは大きな音がしますので、漁業権はもちろんのこと、農家の牛やら鶏にも影響があり、地元の反対などあるのが普通です。ここが糸川さんらしいというか、プロジェクトマネジメントというか、地元も応援するプロジェクトだった訳です。これを見れただけでも、立ち寄った甲斐がありました。

 フェリーで指宿に移動し、知覧に向かいました。武家屋敷に立ち寄り、知覧の特攻平和祈念館に行きましたが、外庭に「隼」が展示されていました。

 糸川さんは翼の設計者で、本人が設計思想などを「私と戦闘機「隼」」で語っています。旋回性能を高めるためのファウラー式フラップの一種「蝶型フラップ」は、蝶の羽根は4枚で左右はバラバラでも、上下は繋がって動くようになっており、そこからのヒントで設計したそうです。
 また、知覧からの特攻は「俺は、君のためにこそ死ににいく」で映画化されていますが、特攻平和記念館に、海の藻屑と消えた10代後半から20代と同年代の若者の見学者がたくさんいたのには驚きました。
            【3月11日の鹿児島のホテルからの桜島の朝日】

 糸川さんは敗戦間際まで「人を乗せないミサイル」の試作などを行っていたようですが、「はやぶさ」は長い物語ですね。

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