2013/07/20

【England】ロンドンとアン・ブーリン

 7月16,17,18日と、ヤボ用でロンドンに行きました。
 ロンドンはオリンピックの前の2009年にスイスのルツェルンにトレッキングに行く折にロンドン経由で1泊しただけなのですが、今回は2泊4日。
 ホテルがタワーブリッジの近くだったので、ホテルに到着するとすぐに散歩に出かけ、テムズ川のタワーブリッジの写真を撮りました。
 対岸で工事をしているホテルは、以前に泊まったホテルで建て替え中です。その時はオリンピック前で改修工事のためタワーブリッジには工事テントがところどころ掛かっていたのですが、今回きれいに改修され全体を見ることができました。
 テムズ川の川辺を散歩すると、川風が心地よく、「ポンドが高い、料理が○○い、雨が多い」という印象を拭い去ってくれます。

 翌日は、お決まりの観光スポットを目指そうと、タワーブリッジからロンドンブリッジ、ビックベンに行こうと歩きだしましたが、一向にビックベンの時計が見えて来ません。
 途中住宅街で大好きな紫陽花を発見しました。住宅街を抜けテムズ川沿いに戻り、遠くにビジネス街が見えます。テムズ川沿いに向いたマンションは全てべランダがあり、ビタミンDを補給するため水着で日光浴をする人などがいましたが、川辺は人がほとんどいない閑静な風景です。
 しかし、写真にあるようにビックベンはどこにも見当たりません。
 ここではじめて逆方向であることに気が付き、コースを戻りましたが、すでに30分以上歩いていたので、ビックベンまでの道のりが長いこと長いこと(笑)
 気温は33℃から34℃だったので、暑い暑いロンドンです。写真はウエストミンスター宮殿ウェストミンスター寺院。教会はその街のシンボル的な存在なので、たいてい入館するのですが、この寺院はイングランド国教会であり、聖ペテロ修道教会とのことで、ややこしそうだったので入館はしませんでした。
お次のバッキンガム宮殿を目指して歩いていたら、王室一家のお出ましです(笑)。
 こんなこと日本でやったら不敬罪で捕まってしまうのでしょうか?ロイヤルベイビーも間近なので、学生のユーモアなのでしょうか。。
 このロイヤルファミリーは笑いながらよく動くので、なかなか全員がこちらを向いた写真が撮れず、何枚も写真を撮った中での1枚です。
 バッキンガム宮殿前には各TV局のテントが並んでいます。ロイヤルベイビーが生まれたときにアナウンサーのバックにバッキンガム宮殿を写したいのでしょう。
 かなり小さいですが、キットカットチョコレートのTVコマーシャル(大昔のCM)に出演していた赤い制服の二人の衛兵が、34℃の炎天下警備をしている姿が見えるでしょうか?二人を写さないと失礼かと、かなり横からのアングルで写したものです。

 その日は逆方向に行ったため炎天下で5時間のウォーキングをしてしまいました。先週、尾瀬で足の筋肉を鍛えてあったので、たいした疲れでないのですが、靴が普通のシューズなので足の裏が痛く辛かったです。
 最終日の午前中にロンドン塔を訪れました。ここも前回はオリンピックに向けての改修工事中で、入館できなかったところです。

ロンドン塔の中世の位置付けは、

『このタワーは、ロンドンを守り、あるいはロンドンを支配する城砦である。議会を開き、協定を結ぶ王宮である。最も危険な犯罪者を監禁する牢獄である。この時代に全イングランドの硬貨を鋳造する唯一の造幣所である。戦争に備えるための兵器庫である。装飾品と王室の宝石を納める財宝保管庫である。ウェストミンスターの国王の法院の大部分の記録文書を保管する公文書館である。』



 私の中でのイギリスの歴史は、DVDで「チューダーズ」「エリザベス」を観た知識ぐらいしかありませんが、ヘンリー8世は梅毒だったと、日本医薬品情報のサイト(梅毒で無くなったヘンリー8世の妻達について)に紹介されています。
 女性関係も華やかで、ロンドン塔に展示されていたヘンリー8世の鎧は拡大すると分かるように下半身を大切に守ってあり、笑ってしまいました。

 ヘンリー8世の女性関係の中で最もイギリスの歴史に影響を与えた妻(愛人)はフランス人のアン・ブーリンです。彼女はこのロンドン塔のタワーグリーンで処刑されました。その場所にこの座布団のようなモニュメントがあり、処刑された人たちの名前が書かれています。正面がアン・ブーリン、5番目の妻のキャサリン・ハワードの名もあります。
 プロテスタントのアン・ブーリンとの結婚を反対したカトリックのトマス・モアもここで処刑されています。ウォッカをベースにした赤いカクテルのブラディー・マリーの名称はヘンリー8世の最初の妻で敬虔なカトリック信者キャサリンの子供であるメアリーが王位を継承し、プロテスタントの粛清(凄惨な)を行ったことから名付けられたものです。
 そして、次の王となったアン・ブーリンの子供エリザベス1世は、イングランド国教会をローマ教皇(カトリックの総本山)から独立させたのです。

 その後のピューリタン革命メイフラワー号によるアメリカ大陸への旅立ちへと流れは続きますが、

「最初の起点は、アン・ブーリン」

なのではないでしょうか。

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