2014/06/29

【Japan】岐阜城からの天下布武と紫陽花

 毎年、7月11日の父親の命日に近くなると墓掃除を行うため岐阜県郡上市白鳥へ帰省します。今回は弟家族や親戚を訪ねるため車で6月27日、28日に帰省。朝早く東京を出発し中央道から長良川の上流の田舎町に着くまで5時間半ぐらいです。

 そして、墓掃除と墓参りを済ませ、地元の「美人の湯」というアルカリ濃度の濃い温泉で汗を流し、田舎の親戚を訪ねた後に行きつけの「さくら」でお楽しみの夕食です。何の特徴もない田舎町ですが、自慢できるものというと、

 「長良川の郡上鮎と天然鰻」

 郡上鮎は長良川の上流の綺麗な水で育つためか、スイカの香りも強く、東京のフレンチレストランなどでも好評です。

「ちなみに郡上の鮎は鮎の評価コンクール(清流めぐり利き鮎会)で何度も金賞を受賞しており、東京のフレンチシェフ、特にナリサワなどで使われている食材です。岐阜の開化亭(和良の古田等さんの名物中華 開化亭)という独創的な中華を創造する店がルーツで、東京のフレンチ系シェフに和良川(郡上)の鮎が有名になりました。」

 そして、天然鰻。

 毎年帰省する毎に店に頼んで、1週間以内に捕獲(鰻は1週間ほどは水槽で生きる)できたら食べていますが、今年は久しぶりに1Kgの天然鰻(驚異の美味しさ、長良川の天然鰻(1Kg))の捕獲に成功しました。写真のように

「腹も黄色く正真正銘の長良川の天然鰻」


 通常のうな重は一人前250gぐらい(特上で300g)なので、1Kgとなると4人前です。大きな鰻ですが、長良川の清流で育っていますから泥臭さは、全く無く、たっぷり乗った身の脂もさっぱりしています。さっそく白焼きと蒲焼でいただきました。


 

 
白焼きの写真をClickすると身の厚さも分かると思いますが、1切れがずっしり重く濃厚です。通常日本鰻は5年から15年ほどの寿命だそうですが、1Kgは、およそ8年もの。

 そして、天然鮎の塩焼き。
 鮎は6月初旬に友釣りが解禁されてから1カ月以内の若鮎が大好物。8月下旬以降の落ち鮎も美味しいですが、若鮎のスイカの香りと、まるごと食べる腹の苦みがたまりません。



 お店の前の水槽のアマゴも悠々と泳いでいます。アマゴは清流でしか生きることができないため渓流で釣って自宅の水槽などに入れるとすぐに死んでしまいます。この店の水槽の水は清流の水が使われているのでしょう。見ているだけで涼しさを感じます。

 車の運転がありアルコールが飲めないのが残念ですが、満足感一杯になり、弟家族の住む大垣市に向かいます。三男が今年中学入学、次男は高校、長男は大学と男ばかりの子供ですが、東京に住むおばあちゃんと弟家族全員が顔を揃えるのは久しぶり。


 
翌日は、金華山にロープーウェイで登り織田信長の歴史探索をしました。最近の発掘調査で金華山麓にあった信長の自宅の全容が分かってきたようです。金華山の山麓に平屋の家を作ったらしいのですが、山麓斜面に階段状で4段の敷地を作ったので、正面から見ると大きな4階建ての豪邸に見え、金閣寺に似ていたそうです。室町幕府を完成させた足利義満を意識していたのでしょうか。。
信長の家の入口としては質素な正面玄関。

当時からある信長邸の庭の川。左は発掘中の信長邸。

 岐阜城からの濃尾平野の眺望。長良川の先は愛知県(伊勢湾)。

天下布武の印


 信長が岐阜城にいたのは9年間ほどですが、この城は山の頂上にあるため水は雨水を貯めたものを利用しており、籠城に向かない城とのこと。

   岐阜城での発見は、写真の地球儀と望遠鏡です。この地球儀を見ると信長は、

「天下布武を目的としていたのでなく、グローバル展開の手段」

 と考えていた可能性がありますね。それにしても当時のドメステックな感覚の戦国大名と比較すると桁違いの人です。

墓から眺める白鳥の景色。正面の峠(油坂峠)の向こうは福井県

 


 歴史上の偉人の話はこれくらいにして、今年も墓にはいつものように野に咲く紫陽花を飾りました。父親の葬儀の帰りに高速道路を通らず、ゆっくりと旧国道で長良川沿いを運転していたら、八幡自然公園の横に群生する紫陽花に目がとまり、その量と美しさに感動したときから紫陽花が大好きになり、以来、先祖の墓には野に咲く紫陽花を飾ることにしてます。。