2019/09/21

【Japan】五色沼・会津磐梯山と郡上凌霜隊

 9月18日から20日まで秋の会津を訪れました。
 初日(18日)は車で5時間かけて裏磐梯レイクリゾートに到着しすぐに、午後2時半からの五色沼のトレッキングコースに参加しました。
 裏磐梯は1888年の磐梯山の水蒸気爆発による山体崩壊を起こし、川が堰き止められ数百の沼ができたものです。表磐梯の猪苗代湖は4万年前の水蒸気爆発によりできたもので、磐梯山は今までに大きな噴火は3回あったようです。


 裏磐梯のトレッキングはガイド付きで沼の特徴や五色沼の自然の状況を解説してもらったのですが、どうやら今年はクマの出没が多く、7月はガイド中に毎日クマに遭遇したそうです。クマに遭遇したときは、クマ鈴を止め、静かにクマの目を睨みながら後ろに下がるのがコツと説明を受けましたが、実際にクマに出会っていないので、不安は残ります。


 写真は天然のアケビで、裏磐梯ではたくさん取れるそうです。磐梯山の山小屋の主人によると、2011年の原発事故以来、山に人が入り山菜やキノコを取らなくなったせいで、食べ物が豊富になり、磐梯山では今まで見なかった猿、鹿、猪などが現れ、従来からたくさんいたクマがさらに増えてしまったとのこと。原発事故がこんな影響を与えているとはまったく知りませんでした...


 翌日(19日)は、早朝から磐梯山トレッキングの開始です。
 この八方台登山口コースは健脚の人で2時間で登頂の初心者コースとサイトなどには書いてありましたが、急で岩場が多く、久しぶりのトレッキングにはなかなかハードなコースでした。


 それに、信じられないことですが、10年ほど利用している登山靴の左足裏底のコムがひび割れ、剥がれてしまったのです。右足の足裏底も危ない状態になっていました。押入れの奥底にしまってあったので、ゴムが乾燥し劣化したのでしょう。
 こんなことは過去経験がなかったので、無事歩いて帰れるか不安でした。



 靴を気にしながら1,818mの頂上になんとか登頂。
 風が強く、寒かったのですが、さすがに360°の眺めは最高です。


 写真にあるように山体崩壊の跡が深く残っており、今後の噴火が気になります。しかし、1888年の噴火後は温泉が噴出しているようなので、ある程度のガス抜きはされているようです。

 裏底がないため左足が滑るのでゆっくり下山し、なんとか登山口に到着したときは靴の裏がほぼ剥がれるところでした。ワイフも久しぶりのトレッキングでしたから、結局午前8時に登頂をはじめ、下山まで6時間半かかりました(健脚の人で4時間弱のコース)。

 会津若松のワシントンホテルに移動し、会津若松市の居酒屋で軽い夕食。


鶴ケ城から眺める小田山

 最終日(20日)は筋肉痛の足を引きずりながら鶴ケ城を観光。
 詳しく知りたかったので、鶴ケ城の城内はボランティアのガイドの人に案内していただきました。その解説によると、新政府軍は小田山(鶴ケ城から直線で1.7km)に布陣し、多いときは日に2,000発もアームストロング砲(飛距離2km)で鶴ケ城に砲弾を撃ち込んだそうです。
 幕末の会津の歴史を考えると、薩長との戊辰戦争、その後の廃城命令から斗南での再興の扱いなど、腹立たしいものがあります。


 江戸時代に私の生まれ故郷(岐阜県郡上市白鳥町)を支配していた青山藩(4万8千石)は、新政府軍と徳川幕府のどちらが政権をとっても言い訳ができるよう、二股をかけるという戦略をとりました。

凌霜隊(りょうそうたい)やるせない結末~会津戦争を戦った郡上藩士たち

 「新政府に恭順すると見せかけ、幕府を支援する特殊部隊を組織して転戦させる」という郡上藩の生き残り策により、脱藩藩士45名で結成された凌霜隊が組織されました。
 藩からスペンサー銃、スナイドル銃、エンピール銃、大砲などの武器も与えられ、江戸家老の息子である17歳の朝比奈茂吉がリーダーとなり会津を目指したのです。
 途中、戦いつつ会津若松城に入り、松平容保(美濃高須藩からの養子)に謁見し、凌霜隊は会津藩所属と認められました。そして、白虎隊とともに西出丸の防衛しましたが、会津藩が降伏。

 そして、その後が惨めなのです。

 猪苗代での謹慎を命じられ江戸護送。郡上藩の預かりとなり、囚人駕籠に乗せられ罪人扱いです。鶴ケ城落城から1年後に新政府からの赦免を受けましたが、凌霜隊は故郷では受け入れられることなく、朝比奈茂吉や多くの凌霜隊の隊士は故郷を去ることになります。

 「明治元年10月12日、投降した凌霜隊員らは郡上藩預けと決し、郡上八幡へ護送されることとなった。 しかし、江戸から伊勢へ向かう途中、乗船した船が難破し、贄浦に上陸、11月17日、元凌霜隊員35名は郡上八幡城下に到着した。 藩では、元隊士を脱藩の罪人として扱い、赤谷の揚屋へ監禁した。赤谷揚屋は湿地に位置し、湿気が多く風通しも日当たりも悪く病気になる者も多かったため、場所の変更を何度も求めたが却下され続け、明治2年5月になって慈恩禅寺の住職らを中心とする城下寺僧の嘆願により城下の長敬寺に移され、元隊員らの苦難は軽減された。藩では当初、元隊員らを処刑するつもりであったが、9月、新政府の命令により自宅謹慎となり、翌明治3年2月19日(1870年3月20日)、謹慎も解かれ、赦免された。 しかし、罪人として処罰された元隊員達に対して周囲の態度は冷たく、元隊士らの多くは郡上八幡を離れた。」   Wiki 凌霜隊より

 郡上という村社会は、自ら組織したにも関わらず凌霜隊を受け入れることがなかった訳です。これは同質性を求める村社会ではよくあることですが、私の大嫌いな田舎の特質です。

 今回の旅のおかげで、孤立無援の会津の人たちとともに戦った生まれ故郷の人たちの足跡に触れることができました。

2019/09/07

【England】Border Songと異邦人

 久しぶりの映画館での映画鑑賞で「ロケットマン」を観ました。
 ご存知のようにロケットマンはエルトン・ジョンの半生を描いたもので、特に初期の頃の歌が満載された映画です。クィーンの「ボヘミアンラプソディー」と比較される映画ですが、ロケットマンはミュージカルになっています。

 生まれ故郷(岐阜県郡上市白鳥町)にはレコード店はなく、少しだけレコードが置いてある楽器店が1件だけありました。1974年に創刊された「FMレコパル」を創刊号(1974年創刊、1995年廃刊)から愛読しており、そこに掲載されていた新盤アルバムの評価を頼りに、毎月1枚だけ、その楽器店でアルバムを取り寄せてもらっていました。

 当時中学生だった私は、夏休みに電気屋で働いたアルバイト代で購入したコンポステレオ(ONKYOのスピーカー、Pioneerのアンプ、プレイヤーメーカーは忘れた)で、そのアルバムを大音量で聴くのが楽しみで、クィーンもエルトン・ジョンも、当時ブームだったプログレッシブ・ロック(ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、エマーソン・レイク・アンド・パーマーなどなど)もコレクターのようにアルバムを集めていたのです。

 高校生になる頃には、プログレッシブ・ロックも影を薄め、しばらくするとクィーンもブームが落ち着きましたが、エルトン・ジョンだけは定期的にアルバムを出していましたので、聴いていました。英語は聞き取れないのですが、音楽の傾向が聞き流しながら聴けるため、耳障りのないバックグランドミュージックとして聴き続けていた訳です。そのためか、聞き慣れた曲が多く、名古屋でビリー・ジョエルとのジョイントコンサート(1998年)にも行きましたし、東京でも日本武道館でのコンサート(2007年11月)にも行きました。

 特に初期の頃の吟遊詩人と呼ばれていた頃の歌が好きで、翻訳した歌詞を読むと、バーニー・トーピンの詩とエルトン・ジョンのメロディーが不思議にハーモナイズしているのです。


 今回の映画では、初期の頃の歌で大好きな「Border Song」も入っていましたが、この歌は字幕がなかったので、その詩を考えてみたいと思います。

 歌詞の最初が「Holy Moses」(聖なるモーセ)と投げかけています。
モーセとはエジプトで奴隷だったとされるユダヤ人を脱出(Exodus)させ、40年間も砂漠を彷徨い、パレスチナの地(ジェリコ)に導いたユダヤ民族のリーダーです(本人はジェリコに入る直前のネボ山で死去)。

 なぜ、最初にモーセなのでしょうか。

 英語で「gentile」という言葉があります。これは(ユダヤ人にとっての)キリスト教徒、異邦人、非ユダヤ人(教徒)などの「異邦人」を指します。

 エジプトにいたユダヤ人はエジプト人からすると異邦人になります。モーセはエジプトでは支配階級にいましたから、ユダヤ人奴隷のような異邦人の感覚は持ち合わせていなかったはずです。エジプトをExodusしたモーセは40年間砂漠を放浪することで偶像崇拝者の世代交代を図り、十戒を受け入れた人だけをヨシュアに引き継ぎ、ジェリコの街に攻め込ませました。そして当時、ジェリコに住んでいた人たちは民族浄化され(ヨシュア記)、モーセに引き連れられてきた12部族は自分たちの国を持つことができた訳です。

 さらに「gentile」はユダヤ人のイエス・キリストからパウロに飛びます。
 ユダヤ教はイエス・キリストにより原始キリスト教を生み出し、イエスの死後、弟子のペトロやイエスの兄弟のヤコブによりエルサレム教会派と呼ばれる分派が生まれました。ユダヤ人には律法である割礼、食物規定(生き物の肉は血抜きする律法)があり、エルサレム教会派はそれを遵守することが必須だと考えていました。

 しかし、シリアのアンティオキア教会にいたパウロはそれらの律法を守らずともイエスの教えを信仰することができるとして、gentile(非ユダヤ人である異邦人)にキリスト教を伝道しました。現在のようにキリスト教が世界宗教となったのはパウロの功績が大きく、キリスト教をパウロ教という人がいるくらいです。

 次に続く言葉が「I have been removed」で、「removed」(排除した)でなく、排除された(be removed)のです。つまり、自分の国を何らかの理由で脱出(Exodus)せざるを得なかった人が異国の地で異邦人として生きていたが、何らかの理由で排除されてしまった訳です。
 そして、次のパラグラフでは「I have been deceived」とあるので、そこで騙されもしました(been deceived)。
 さらに、次のパラグラフでは「I'm going back to the border」となるので、排除され、騙されたので、国境(Border)に帰るつもりだ、とあり、「I can't take any more bad water」「I've been poisoned from my head down to my shoes」もうこれ以上この異国の地で汚い水は飲めず、身体中に毒がまわった、とまで言っています。

 実はここまでがバーニー・トーピンの詩で、その次からはエルトン・ジョンが付け足したもののようです。基本的に彼らの曲作りは、詩をバーニー・トーピン、曲はエルトン・ジョンと分業が基本だと思いますが、この歌のバーニーの詩の意味は、彼の生まれ故郷がイギリスの片田舎で、ロンドンという都会に出てきて「排除され」「騙され」、ロンドンの水は汚く、故郷に帰りたい、という意味でのBorder Songだったようです。
 しかし、最初に「Holy Moses」とモーセに呼び掛けていることもあり、以下のようにエルトン・ジョンが加えた詩によって、ゴスぺルソングのような趣に仕上がっています。
 
 エルトン・ジョンの詩は「Holy Moses let us live in peace」にあるように、私たちは平和に暮らしましょう、「Let us strive to find a way to make all hatred cease」私たちはすべての憎しみがなくなる道を探す努力をしましょう、「There's a man over there what's his color I don't care」そこに(異国に)いる人の肌の色が何であっても、私は気にしない。「He's my brother let us live in peace」彼は私の兄弟、平和に暮らしましょう、と締めくくっています。

 私が適当に訳したものですが、日本語訳を見ながら曲を聴くと「詩とメロディー」が実に合っているのです。




Holy Moses I have been removed
聖なるモーセよ、私は排除されてしまった
I have seen the specter he has been here too
私はこの場所にも、心に浮かぶ恐ろしいものがあることを知りました
Distant cousin from down the line
遠く離れた国境を越えたところに従兄弟もいるけど
Brand of people who ain't my kind
ここにいる人々と、私とは違う人たち
Holy Moses I have been removed
聖なるモーセよ、私は排除されてしまった

Holy Moses I have been deceived
聖なるモーセよ、私は騙されてきました
Now the wind has changed direction and I'll have to leave
今、風向きは変わり、私はここから去らねばなりません
Won't you please excuse my frankness but it's not my cup of tea
どうか私の素直な思いをお許し下さい、しかし、それは私が好んでいる訳ではありません
Holy Moses I have been deceived
聖なるモーセよ、私は騙されてきました

I'm going back to the border
私はこの国境を超えていくでしょう
Where my affairs, my affairs ain't abused
そこにはなすべき仕事があり、私の仕事は悪用されることはありません
I can't take any more bad water
私はもうこれ以上、汚い水を飲むことはできないのです
I've been poisoned from my head down to my shoes
私は既に、頭の上から足の先まですっかり毒されています

Holy Moses I have been deceived
聖なるモーセよ、私はずっと騙されていました
Holy Moses let us live in peace
聖なるモーセよ、私たちに安らぎを与えてください
Let us strive to find a way to make all hatred cease
私たちに全ての憎しみがなくなるよう、努力するための道を示してください
There's a man over there what's his colour I don't care
そこにいる者の肌の色が何であろうとも、私は気になりません
He's my brother let us live in peace
彼は私の兄弟、私たちは平和に暮らしたいのです。
He's my brother let us live in peace
彼は私の兄弟、私たちは平和に暮らしたいのです。
He's my brother let us live in peace 
彼は私の兄弟、私たちは平和に暮らしたいのです。


 前半のバーニー・トーピンの詩はユダヤ人の選民的な思想(モーセの十戒、エルサレム教会派の律法へのこだわり)に対する嫌味をモーセに対して訴えているのでしょうか。後半のエルトン・ジョンの詩ではモーセに懇願しつつ締めくくっています。

 この歌をアメリカに渡り移民として暮らすヒスパニック系の人が聞いたらどう思うのでしょうか。シリア難民となり、ドイツに暮らしている移民はどう思うのでしょうか。6日戦争でイスラエルに追い出されヨルダン川を渡りヨルダンに移住した人やレバノンで難民となった人はどう思うのでしょうか。ユダヤ人が入植することで土地を失ったパレスチナ人はイスラエルの占領地でどう思うのでしょうか。そして、日本にいる外国人労働者はどう思うのでしょうか。

 何らかの事情で異邦人になった人たちで、排除され、騙され、希望を失い、この歌のようにBorder(国境)に戻ることができる人はいいのでしょうが、戻れない人も世界にはたくさんいます。

 Border Songはクイーン・オブ・ソウルと呼ばれるAretha Franklin(アレサ・フランクリン)にもHoly Mosesとしてカバーされています。公民権運動にも関わった彼女が歌うと完全なゴスペルソングとしての説得力がありますね。


 ちなみに、エリック・クラプトンのカバーもあります。

 

 中学生の頃から聞いていた音楽を聴くと、自分自身のストーリーが頭をよぎってきます。

 自分の中で、生まれ故郷(岐阜県郡上市白鳥町)から出ようと思ったのは、排除されたり(be removed)、騙された(been deceived)訳ではありませんが、どこか自分は浮いているな、という疎外感のようなものを感じ、この地では「壁」を超えられない、と思ったからです。次に名古屋で会社を作り仕事を続けましたが、この地でも自分は浮いていると感じ東京に引っ越し、現在に至っています。

 1970年に発売されたBorder Songは、現在のグローバルで大きな問題である移民・難民(異邦人)の共通課題を浮き彫りにしているが故に、現在の自分に染み込む詩とメロディーなのです。

 日本ではじめて発売されたシングルはこのBorder Song(全米ビルボード92位)で、日本語訳は「人生の壁」と訳されていました。

 この映画を観て、はじめて、「Captain Fantastic」と「Brown Dirt Cowboy」の曲をひとつ自分で翻訳してみましたが、ひとりではなく、二人だからこそ成し得ることは大きいものだ、と改めて実感しました。

2019/08/16

【Coffee Break】アクイハイヤーとデウシルメ

 異なる2つの「事柄」を結び付けることで、本質が明らかになることがあります。
 今回はオスマン帝国発展のノウハウであったデウシルメという人材登用システムとGoogleにおいて実施されている買収による人材獲得システムを結び付けて考えることで、日本のグローバル企業の課題をブレイクスルーする手段のひとつになるのではないか、という私なりの仮説をまとめてみたいと思います。




 オスマン帝国の歴史は日本の歴史にあてはめると、鎌倉時代から大正時代に相当(鎌倉時代、室町時代、戦国時代、江戸時代、明治時代、大正時代)するもので、600年にも及ぶものです(13世紀末ー1922年滅亡)。
 人類の歴史上オスマン帝国が長期に支配領域(キリスト教徒―ギリシア正教、アルメニア教会派やユダヤ教徒などの非ムスリムと共存しつつ)を拡大し、継続できたノウハウはどこにあるのでしょうか、またそれは、日本のグローバル経営に役立つのでしょうか。

 オスマン帝国には、常に優秀な人材のみを吸収し、能力と業績だけによって昇進を許すシステムがありました。そのシステムは「デウシルメ」と呼ばれていました。
 デウシルメはメフメト1世、ムラト2世の時代に定着したようですが、オスマン帝国の支配エリート層が信仰するイスラームではなく、キリスト教徒の農村(バルカン、アナトリア地方)から眉目秀麗、身体頑健な少年を選び、トルコの農村に住みトルコ語とトルコ的生活様式を学ばせました。そして、さらなる選別により宮廷に入り、スルタン(リーダー)に仕え、その後宮廷を出て州総督などの要職に就く者、あるいは最終的にスルタンの片腕である宰相や大宰相にまで出世する者など、常に優秀な人材を吸収し、能力や業績のみによって昇進を許すことは日常茶飯事でした。
 宮廷に入らなかったそれに次ぐ水準のものは、常備騎兵軍団に、残りのものはスルタン(リーダー)直属の常備歩兵軍隊であるイェニチェリ軍団員となりました。

 イスラム法では、いかなる権力者もムスリム自由人を裁判なしで処刑したり、財産の没収をすることができません。したがって、ムスリムより、非ムスリムをスルタン(リーダー)の近くに配備することで、「羊飼いも大臣になる昇進システムを持つオスマン帝国」と当時コンペティターであったハプスブルク帝国に恐れられていたのです。

 このデウシルメというシステムはスルタン(リーダー)を中心に強力な中央集権制度(ガバナンス)を構築し、優秀な人材を適所に配備することができました。
 そして、これらのデウシルメで獲得した人材はムスリムでないため、ムスリム部族(地縁・血縁)などの外戚が国政につけいる隙を与えず、外からのムスリムから切り離された人材であったこともオスマン帝国が長く続いた理由のひとつです。

 デウシルメのシステムは、スルタン(リーダー)と国家にのみ仕える優秀な人材を輩出し、オスマン帝国発展の大きな原動力になりました。




 さて、ここまで読んできて、ムスリム社会にはいくつかのイスラム法による制約があり、それをオスマン帝国はデウシルメという非ムスリムを適所に適材を配備するシステムで長所に変容させた、ということを理解していただけたと思いますが、さらに思考を日本にズームすると、ムスリム社会のイスラム法の制約は日本における労働基準法における制約に似ている、と気づかれたのではないでしょうか。

 日本の労度基準法では人を解雇するのは非常に難しく、外資系の企業においても、日本に会社がある限り、日本法に準拠しているので簡単に従業員を解雇できません。したがって、PIPPerformance Improvement Program)などにより、無理難題を押し付け、精神的に追い込むことで自発的に退職させる、という手段を用いることなどが常套手段となっていることはよく知られています。

 つまり、日本企業はひとりの人を採用したら、その人が適所に対して適材でないとしても簡単に解雇できない訳です。同じように、ムスリムの社会でもイスラム法により、いかなる権力者もムスリム自由人を裁判なしで処刑することができません。

 さて、話を現代に戻しましょう。

Googleの人材獲得システムにアクイハイヤー(Acqui-Hire)というシステムがあります。これは英語の買収(Acquisition)と雇用(Hire)を掛け合わせた造語で、買収による人材獲得を意味し、大企業が優秀なエンジニアや開発チームを獲得するために、そうした人材が所属するベンチャー企業をまるごと買収する手法を指します。

 アクイハイヤーはシリコンバレーのエコシステムのひとつです。
 当たり前ですが、ベンチャーキャピタルから出資を受けて起業した起業家のすべてが成功する(巨額なリータンを得る)訳ではありません。マーケティングがうまく行かなかったり、マネタイズが見えなかったり、成長が鈍化したり、タイミングが悪かったり、成功するのは101つ、あるいは1,0001つであるのがスタートアップの宿命です。

 では、資金が枯渇したスタートアップはどのようにExitすればいいのでしょうか。
 
 その答えの一つがアクイハイヤーなのです。
 資金が枯渇したから能力がない訳ではありません。逆に、貴重な経験を積んだ人材とも言えます(私の友人知人にはスタートアップで失敗し、後に成功した人が多数います)。そして、多くのスタートアップは野心的で情熱あふれる起業家とエンジニアなどで構成されています。このようなスタートアップのチームをまるごと買収して雇い入れてしまうことで、従来の企業カルチャーからは生まれてこなかった新しいタイプの人材獲得が可能となり、買収する企業にとっては、慢性的人材不足の解消につながります。なおかつ、シリコンバレーという地域からすると、スタートアップのセーフティーネットとしても機能している訳です。

 オスマン帝国のデウシルメはイスラームではなく、異教のキリスト教徒を当初はバルカン地方、15世紀後半からアナトリア地方から供給していましたが、おそらく日本企業がアクイハイヤーで人材供給システムを作るとしたら、スタートアップが続々と生まれる地域で、多産多死が受け入れられている地域にフォーカスするのがベストではないでしょうか。


 日本の人事制度は基本的には年功序列的な職能資格制度をベースにした適材適所でした。
 しかし、適材適所ははじめに人ありき、適所適材ははじめに業務ありきなので、考え方が180°違います。適材適所では、ともすれば人に応じて必ずしも必要のない業務を無理に発生させがちで、日本の組織の効率が悪い理由のひとつはここにあります。

 日本のグローバル企業で適材適所から適所適材のポジションマネジメントに変えた企業が出現してきました。経団連などもその必要性をアピールしています。




 また、適所を示すJob descriptionで適材を募集する企業も、グローバル人材獲得競争の激しいIT業界で出現してきました。



  
 日本のグローバル企業が従来の職能資格制度による適材適所からポジションマネジメントに変質し、適所をJob Descriptionで示し、そこに人材供給システム(デウシルメ、アクイハイヤーなどの独自な手段)を構築できたとしたら、優秀な人材を配備し、企業の成長はオスマン帝国のように持続性の高いものになる可能性が増します。

 グローバル展開したい企業にとってはグローバルなアクイハイヤーが効果的ですが、異質なものを求める、という意味で、経験値の違う人や企業をドメステックにアクイハイヤーして大成功した例があります。

 それは、戦後のポツダム宣言で飛行機開発ができなくなった名古屋地区の飛行機技術者が行き場を失い自動車産業にハイヤーされたものです。正確には買収ではないのでアクイハイヤーと表現するのは適切ではないかも知れませんが、三菱や立川飛行機という企業の航空機部門で行き場を失った人たちが、大量にトヨタ自動車にAcquisition(獲得)された訳ですからアクイハイヤーと意味は同じです。


 飛行機屋から、トヨタ自動車アクイハイヤーされた長谷川龍雄さんは、異質な能力を発揮し、飛行機のチーフエンジニア制度を主査制度として以下のようにJob Description化しました。

車両主査10ヶ条(Job Description) 長谷川龍雄氏

Ⅰ.主査は自分自身の方策を持つべし.
『よろしく頼む』では人はついてこない!

Ⅱ.主査は常に広い智識、視野を学べ.
ときには専門外の知識、見識が極めて有効 『専門外の専門』を持つ努力!

Ⅲ.主査は大きく網を張ることを身につけよ.
『大局的に如何に手を打つか』それにより将来が決まることがある!

Ⅳ.主査は全智全能を傾注せよ.
『体を張れ、初めから逃げ場をさがしていることを人に感づかせるな』

Ⅴ.主査は物事を繰り返す事を面倒がってはならない.
『自分に(毎日の反省)』『上に(理解を求める)』『協力者に(理解を求める)』

Ⅵ.主査は物事の責任を他人のせいにしてはならぬ。
権限はない、あるのは説得力だけ。 『結果について人を怒ってはならぬ』

Ⅶ.主査は自分に対して自信(信念)を持つべし。
『ぶれるな ― 少なくとも顔にだしてはならぬ』

Ⅷ.主査と主査付きは同一人格でなければならぬ。

Ⅸ.主査は要領を使ってはならぬ
「顔」「ヤミ取引」「職権」は長続きしない。

Ⅹ.主査に必要な特性。
智識力、技術力,経験
洞察力、判断力(可能性),決断力
度量、経験と実績(良否共に)と自信
感情的でないこと。冷静であること.時には自分を殺して我慢
集中力
統率力
柔軟さ
表現力、説得力 「一定の形はないので個性を生かせ」
無欲という欲

 「GAFA」の4社の時価総額は、日本のGDP5割を超える現在、その原動力となっているプロダクトプロダクトマネジメント制度を学ぼうとする日本人が最近たくさん現れてきました。ALEXAPMKindlePMiPhonePMWaymoPMが、それぞれ「製品のCEO」としてマーケティングから製品の企画開発・サービスの提供までのすべてに責任を持つシステム、これが日本のGDP5割を超える時価総額を生み出す原動力なのですから、誰もがその秘密を学びたいと考えるのは不思議ではありません。

 しかし、GAFAの利益の源泉であるプロダクトマネジャー制度のルーツを紐解くと、飛行機屋という職を失った長谷川龍雄さんというエンジニアが発案した主査制度がトヨタ自動車にビルトインされ、自らも主査としてカローラで成果を上げた、その主査制度がGAFAに伝承されプロダクトマネジャー制度になったことを私たちは忘れてはいけません。

 そして、適所に適材をポジショニングするJob Descriptionは、人材供給システムをうまくシステム化できれば、非常に効果が出ることはGAFAが証明済みなのです。
 (「ビジョンや戦略がない限りシステムはうまくは行かない」という但し書きは、敢えて書くまでもありませんが...)

今回は、アクイハイヤーとデウシルメという異なる2つの「事柄」を結び付けてみましたが、オスマン帝国には多様な宗教を包み込むミレット制などのユニークな制度もあり、興味が尽きませんね。

2019/08/11

【Israel】日本テクニオン協会とテクニオンジャパン

 イスラエルから技術シード(特にアーリーステージ)を獲得したい人にとり、イスラエルの研究機関とのルートは非常に重要になります。

 ちなみに、イスラエルの主な研究機関は以下の5つがあります。

 オープンイノベーションと5つの研究機関 

  • テクニオン工科大学
  • ワイツマン研究所
  • ヘブライ大学
  • テルアビブ大学
  • ベングリオン大学

 現在、日本に窓口となる組織が存在するのはテクニオン工科大学だけです。現在ではなく、過去には上記の5つの研究機関の窓口がすべてありました。

 その経緯を知っている人が少なくなってきましたので、ブログにまとめておきます。

 1980年代、イスラエル外務省の仕立てで「日本文化人代表団」という観光旅行が企画されました。日本文化人代表団は「山本七平、小室直樹、糸川英夫」の3名で、各人とも日本では「変わり者」と言われる人たちです。その後、糸川英夫さんはイスラエルのハイテク視察を目的に単独旅行を行いました。


 そこでの出会いが「荒野に挑む(ミルトス刊)」に以下のように記述されています。

 『テクニオンの高速風洞と新型ミサイルの模型などを見学したあとで、私はオフィスで一人の男性と二人だけの会談をしたのである。その長さは、本人は三十分位と後で思い出していたのであるが、お相手の方の述懐によれば、ナント三時間を超えたそうである。

 その人の名をアーノルド・シャーマンという。

〈アメリカ生まれのユダヤ人で、若い頃は自らニューヨークのハーレムに飛び込んだり、自殺未遂などをしていた青年で、文学志望、彼のあこがれは、アーネスト・ヘミングウェイだったという。その後パリに流れ、偶然の機会にエチオピアの青年に出会ってから、ユダヤ教の伝統的宗教に突然開眼し、イスラエルに帰還する。色々な職業、軍籍を経て、イスラエル航空「エルアル」ー日本のJALみたいな会社ーの副社長になり、テクニオンの学長にヨセフ・シンガー教授が就任するとともに、エルアルからスカウトされて、テクニオン(イスラエルの国立技術研究所プラス、イスラエル国立工科大学)の事務局長に就任、そして筆者と対面する〉

 ときに、翌年、テクニオンは創立六十周年を迎えようとしていた。
 そのときテクニオンは財政危機が襲っていた。多くの卒業生による輝かしい土台作りの担い手のエンジニアを育てた本拠が、危うくなった。

 「テクニオンは今危ない。財政危機に直面している。研究の続行も、次代のエンジニアの育成も困難になった」

 アーノルド・シャーマン氏はこう言うと、しばらく沈黙した。
 予想もしていない対談の行方である。

 「それで、私にどうしろと言いたいのか」と私は尋ねた。

 「なんとか力になってもらえないだろうか」

 という彼の眼、顔、全身。悲しみと苦痛に耐えかねた人が、見知らぬ路傍の人にむかって、救援の手を求めている。』

 そこで、糸川英夫さんは1985年5月19日に「日本テクニオン協会」という組織を作りました。
(テクニオン協会は世界中のユダヤ人の支援により、アメリカ、フランス、英国、カナダ、ドイツ、スイス等々に30組織ほどあり、あのアインシュタインも会員だった)

 その後、テクニオン以外のイスラエルの研究組織に口コミで広がり「日本ワイツマン協会、日本ヘブライ大学協会、日本産業人テルアビブ大学協会、日本ベングリオン大学フレンズ・ジャパン・チャプター」と4つの組織が出来上がり、日本とイスラエルを結ぶ「糸」は5本つながったのです。

 これらの5つの協会の事務局だった池田眞さんは、現在「日本イスラエル親善協会」の代表理事副会長です。

 当時20代の私は、糸川英夫さんのシンクタンクが主催する「組織工学研究会」の名古屋の事務員でした。そこでこれらの5つの協会ができたことを知り会員となり、ほぼ毎日郵送されるイスラエルのハイテク情報を漁るように読み、毎年行われる「産業人イスラエル・ハイテク視察ツアー」に2度ほど参加したのがイスラエルにつながる最初のきっかけでした。

 しかし、日本側のリーダである糸川英夫さんが1999年2月21日に亡くなったことで、この5つの組織は有効に機能することなく、現在は単なる観光ツアー団体になってしまいました。

 聖書の国であるイスラエルは魅力ある観光地なので、日本側は単なる観光ツアーでもいいのでしょうが、イスラエル側の5つの研究機関は自分たちの研究成果を評価し、投資をしてくれる企業や人、日本などのアジアマーケットに展開してくれる企業や人を求めていますから、単なる観光ツアーの相手をする暇はありません(日本以外の国々、欧米や中国などからの投資案件多数)。

 したがって、テクニオンは糸川英夫さんに変わるイスラエルの科学やハイテクが分かる人を探し、Gatewayとなる組織が必要になります。そこで、国際弁護士で、ウルトラ・オーソドックスのユダヤ教徒でもある石角完爾さんが「テクニオンジャパン」という新たな組織を設立したのです。

テクニオンジャパン
http://technionjapan.com/

 石角完爾さんの設立した「テクニオンジャパン」はテクニオンの技術シード(アーリーステージ)を日本に展開する、という糸川英夫さんの設立した「日本テクニオン協会」のミッションを引き継いでいます。

 しかし、残念ながら他の4つの組織、日本ワイツマン協会、日本ヘブライ大学協会、日本産業テルアビブ大学協会、日本ベングリオン大学フレンズ・ジャパン・チャプターは現在まで誰にも引き継がれることがなく、糸川英夫さんの死去とともに「糸」が切れた状態になっています。

 第1次インティファーダ、第2次インテファーダを経た現在のイスラエルの技術シードを、日本企業がアクイハイヤー(Acqui-Hire)することが日本企業のグローバル展開に極めて重要だと考えるが故に、私は「テクニオンジャパン」の会員でもあります。


 もちろん、イスラエルの観光旅行で死海に浮くのも大好きです。
(ジェリコを眺めて真ん中で浮いているのは私です)

2019/06/29

【Palestina】マルワン・バルグーティと新実在論


 2019年6月27日は、日本イスラエル親善協会の「和平プロセスと日本の役割」と題したセミナーが広尾のシナゴークで開催されたので参加してきました。そのセミナーでも話題になりましたが、トランプさんのDeal of Century(世紀の取引)をきっかけに中東和平(パレスチナ問題)を改めて考えることができたので、ブログに自分なりの考えをまとめておきます。

 イスラエルとパレスチナの解けない縺れた関係を理解するには、構造主義哲学が最も役に立ちます。パレスチナ問題を構造主義的に考察すると、パレスチナ人として生まれた人は、生まれたときから占領地で生活することになり、時には衝突で身内が迫害されたり、亡くなったりすることもあります。同じようにイスラエルに生まれたイスラエル人も自爆テロやガザからのミサイルで被害を受けたりします。これらの環境に生まれた人が報復を誓うと、後付けで自分の行動や認識に意味を持たせるために脳が再構築(Postdiction)をするのです。そのときに旧約聖書やクルアーンを後付け根拠にしたりします。こうして自らの行動を正当化することために宗教は利用されていますが、問題の本質はこれらの「連鎖する構造」であり、宗教の違いが問題ではありません。
 しかし、このように構造主義でパレスチナ問題を捉えることができたとしても、解決することはできません。そこで、パレスチナ問題をマルクス・ガブリエルさんの新実在論で考察してみましょう。


 例えば新実在論的に、イスラエルという「意味の場」からパレスチナをPerspectiveすると、交渉相手にガバナンス能力がないことが最大の問題になります。なぜなら、タフな交渉でお互いが実行すべきことを決めたとしても、パレスチナ側は行政実行を行うガバナンス能力が不足しています。

 パレスチナの「意味の場」からPerspectiveしてみると、このまま民族として移民のようにイスラエルに溶け込んで行くことが可能ならばその道もあります。しかし、パレスチナ人にイスラエル人のような自由は与えられていません。では、国家として自立し、ガバナンス能力と経済力をつける道もありますが、そのためにはイスラエル建国にダビット・ベングリオンというカリスマリーダーが存在したように、パレスチナにもカリスマリーダーが必要になります。そういう意味ではアラファトさんはカリスマリーダーでしたが、残念ながら亡くなってしまいました。アラファトさんの後を継いだアッバースさんにはリーダーシップがありませんし、国際社会からの支援に甘んじて緩いガバナンスを維持しているだけです。ところが、その次の世代にはアラファトさんの方針に噛み付くPassionのあるマルワン・バルグーティ(1958年生まれ)という人がいるのです。

 『バルグーティの名が注目されるようになったのは、1987年に始まった第一次インティファーダです。インティファーダに手を焼いたイスラエル政府は同年、指導者のバルグーティ氏を逮捕、隣国ヨルダンに追放しました。追放されても彼は活動を停止することなく、チュニスのPLO本部とパレスチナとの連絡調整役を行なっていました。93年のオスロ合意で自治区への“帰国”をイスラエルから許されると人権擁護問題を中心に草の根的な活動に進みます。と同時に、それまでの功績が認められ、アル・ファタハ(日本で言えば自民党)の西岸地区事務局長に任命されます。1996年の自治評議会(議会)選挙に立候補、楽々と当選し議員になりました。この頃の活動でイスラエルの市民活動家や左翼グループと知己を得ています。
 2000年9月、当時イスラエルの最大野党リクード党の党首であったシャロン氏がエルサレムのイスラーム教の聖地に“土足”で上がりこんだ事件は、イスラーム社会に強い衝撃を与えました。パレスチナ人の怒りが燃え上がりました。怒れる若者達からアラファトではなくバルグーティを求める声が高まりました。すると、その時すでに要職を得ていたにもかかわらず、バルグーティ氏は彼らのところに飛び込んで行ったのです。これが第二次インティファーダの誕生です。彼はアラファト「独裁」政権に対しても公然と挑戦、PLOや自治政府の民主的な構造改革を求めました。』(マルワン・バルグーティのプロフィール

 残念ながら、マルワン・バルグーティさんは現在イスラエルの刑務所に終身刑で収監されていますが、現在のリーダーであるアッバースさんの後任として獄中立候補する方法もあるでしょうし、27年間収監された南アフリカのリーダーになったネルソン・マンデラさんのような道があるかも知れません。

 アメリカのユダヤロビーの「意味の場」からPerspectiveしたり、湾岸諸国の「意味の場」からPerspectiveしたり、Shia CrescentからPerspectiveしたり、カタールからPerspectiveしたり、あるいは中立的な日本のような国からPerspectiveしたりと重なり合うそれぞれの世界からPerspectiveすることは、整理する意味では必要なことです。

 しかし、見つけなければならないことはそれぞれの「意味の場」に共通する普遍的な事柄です。その事柄(真理)のひとつが、パレスチナにカリスマリーダー必要だということ。マルワン・バルグーティさんの存在がパレスチナ問題のキーなのです。

 中東政治学の専門家の池田明史さんは、マルワン・バルグーティさんも奥さんもご存知のようですが、これだけ長く収監(2000年からの第2次インティファーダーの首謀者として逮捕)されているマルワン・バルグーティさんのPassionが持続しているのかが疑問、イスラエルが彼を釈放したとしてもパレスチナ人がイスラエル寄りと判断するのではないか、彼はもう年齢的に無理ではないか、と諦めの心境を語っていました。

 しかし、刑務所の中でのハンストパレスチナの世論調査からも、彼はまだ諦めていないのではないかと同年代の私(1959年生まれ)は推測しているのです。

2019/03/04

【Germany】ヒューマノイドとドイツ憲法


 NHKBS1スペシャル「欲望の時代の哲学~マルクス・ガブリエル 日本を行く~」でドイツの若き哲学者であるマルクス・ガブリエルさんと日本のロボット研究者である石黒浩さんの対談を観て、予想外に驚いたことがありました。
 石黒さんは、開発したアンドロイドロボットをアメリカやフランス、イタリアなどで紹介すると非常に興味を持たれるが、ドイツではまったく興味を持たれない、ということを常々疑問に思っていたようです。
 それに対し、マルクス・ガブレイルさんは、「ドイツ憲法がそうさせる」、「ドイツは第1次大戦、第2次大戦と大きな戦争を得て、それをベースにドイツ憲法が制定された」(201412月までに60回改定)、と答えたのです。

 ドイツ憲法そのものを知らないため、その意味が分からなかったのですが、ドイツの哲学者であるアンナハーレントアイヒマン裁判から「悪の凡庸さ」は映画を観て知っていました。
  「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です。そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです。そして、この現象を、私は”悪の凡庸さ”と名付けました。」

  「今世紀に現れた悪は予想以上に根源的なものでした。今ならわかります。根源悪とは、わかりやすい動機による悪とは違います。利己心による悪ではなく人間を無用の存在にしてしまうことです。」

 「ユダヤ人大虐殺の首謀者は精神異常者ではなく、私たちと同じ、上からの命令に従い行動した普通の人間で、ただ思考を放棄した、それだけで彼は大虐殺の首謀者となり、根源的な悪となってしまった。考えるのを止めるだけで、人間は人を平気で殺すのかもしれないのです。多くの人は、アイヒマンは精神異常者だと考えるかも知れませんが、ユダヤ人大虐殺、この問題の本質は異常な首謀者ではなく、思考停止した平凡な人間にあるのです。」
 
               ハンナ・アーレント
 
 同時に、私はイスラエルで10数年ビジネスを行っていたことから、イスラエルの「防衛システム」に対する多少の知見もあります。


 空や陸や海で活躍する「防衛システム」にはAIがビルトインされています。

 そこで、ドイツ憲法は「悪の凡庸さ」を二度と生み出さないようなものになっていて、もしアンドロイドやロボットのAIが「悪の凡庸さ」と同じように「目的以外のことは何も考えない」ものだとしたら、ドイツでは憲法がそれにブレーキをかけるシステムになっているのだろうか、という疑問を持ったのです。
 マルクス・ガブリエルさんと石黒さんの会話は、アメリカやロシアなどの「科学的世界観」から生まれるAIIoT、ロボットなどの「動物+テクノロジー=人間」という考え方と、ドイツという2つの戦争という過ちを犯してきた国から生まれた「哲学的世界観」(大陸であるが故に人が戦う場面が多い)である「人間とは動物でありたくない動物である」(知性がある)という考え方の対立と捉えることもできます。
 マルクス・ガブリエルさんは、石黒さんに似たアンドロイドロボットを見て「知性が感じられない」と発言し、シンギラリティーは「ウンコの議論」と一刀両断。根本的な過ちは知性(インテリジェンス)というものを理解していない、と決めつけ、AI研究者の誰一人として「知性とは何を意味するのか」について答えることができないにも関わらず「人間の知性を超えるのがシンギラリティー」というのも甚だおかしいと皮肉る。

 そして、哲学はルールのないチェスであり、
AIが哲学者に勝つことはできない、と断言しているのです。
 「シンギュラリティ(技術的特異点)とは、人工知能が発達し、人間の知性を超えることによって、人間の生活に大きな変化が起こるという概念を指します。 シンギュラリティという概念は、人工知能の権威であるレイ・カーツワイル博士により提唱された『未来予測の概念』でもあります。」

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 科学的世界観と哲学的世界観、そして哲学的世界観をベースとしたドイツ憲法を学ぶことはAI時代に出現したAI、ロボット、「デジタル共産主義」(サイバー独裁)などの表層の事象に流されることない自分なりの考えを持つために必要ではないか、と数冊の本を購入し、さらっと勉強をすることにしました。


 キリスト教(カルヴァン)の予定説から「王様も領主も神の奴隷(同じように神が一方的に救済を予定する)」という意識が生まれた。したがって、憲法とは国民に向けて書かれたものでなく、国民と同じく神の奴隷である国家権力すべてを縛るために書かれたもの。


 戦争とは、以下の
6つのポイントがある。

 ①
国際社会には、必ず紛争がある。
 ②紛争は解決されねばならない。
 ③戦争は、そのような国際紛争を解決するためのひとつの手段。
 ④しかも、最終手段である。
 ⑤戦争と比べて、より合理的で、より実効的な国際紛争解決手段は、まだ考案されていない。
 ⑥もし、それが考案されれば、戦争という手段は自然に消滅するだろう。それ以外に戦争をなくす方策があるはずない。


 カントの道徳哲学や平和論の根底にあるのは人間愛でなく、むしろ形式愛。カントが法に期待するのは、内容(法)ではなく公開性という形式。そういう意味で「国際的な連合」による公開性という形式が重要
で、法の公開性が自らの正当性を立証してくれる。
 永遠平和は、人間の利己心から生まれた自己正当化の応酬が、少しづつ「公法の状態」を実現させる。


 ドイツ憲法入門 現在のドイツ憲法は、ヴァイマール憲法が、その改正が特別な機関を設置せず、原則として通常の律法機関である議会の2/3以上の同意で可能となり、憲法の条項に触れずに、それとは異なる法律を制定することができた。そして、その規定を利用したナチスが合法的にヴァイマール憲法を無視できたことへの大きな反省から策定されたのが現在のドイツ憲法。


  ドイツ憲法、第
1条第1項「人間の尊厳は不可侵である」、第2条第1項「自己の人格を自由に発展させる権利」とある。

  そして、憲法裁判は連邦憲法裁判所がもっぱら憲法の適応と解釈に関する問題について決定し、ドイツ基本法により区別される通常裁判、行政裁判、労働裁判、財政裁判、社会裁判などの組織外に位した連邦の最高裁判所。


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 「憲法とは何か」「戦争はなぜ起こるのか」「それを防ぐことはできないのか」などの上記の本を読んでからドイツ憲法の本を読んでみると、彼らが如何に憲法を大切にしているかが分かります。ナチスを2度と生み出さないための憲法と憲法裁判所という独立した組織の存在
 ドイツ憲法第1条第1項「人間の尊厳は不可侵である」2条第1項「自己の人格を自由に発展させる権利」、アンドロイドロボット、AIやロボットで行われる戦争を考察した場合、ドイツの憲法裁判所はどんな判断を下すのでしょう。
 そして、マルクス・ガブリエルさんは以下のように語っています。
 「残念なことですが、私たちは危機の時代に立たされています。『危機(クライシス)』という言葉には、分かれ道という意味があります。また、クライシスの語源であるギリシャ語のクリネインには『決断する』という意味があります。
 したがって私たちは今、これからの100年のために、分かれ道の前でどちらに進むかを決めなければなりません。一方の道は、世界規模のサイバー独裁や全人類の滅亡に続きます。これがまさにハラリが示したものです。そしてもう一方には、普遍的なヒューマニズムを追求していく道があります。こちらは、あらゆる人間存在の中の同一性を認識し、それを人類のこれからの発展のための原動力にしていく道です。後者に進むのであれば、私たちは、さまざまな人間存在のあり方を会議のテーブルに持ち寄り、グローバルな格差をなくしていくためのシステムを共につくらなくてはなりません。それができて、人類滅亡というファンタジーは消え去っていくのです。」

 テーマが大きすぎてまとまりがなくなりましたが、この時代の節目において、哲学が非常に重要であることだけは確かですね。


 「考えるのを止めたら、人間じゃなくなる」by ハンナ・アーレント

2018/12/10

【Japan】七沢温泉のボタン鍋(猪鍋)と江の島の野良猫


 2018年12月9日(日)、10日(月)と丹沢山麓の七沢温泉に1泊の旅行に出かけました。旅行というほどの距離ではありませんが、丹沢山系は日本で一番山蛭の多い地域なので、鹿や猪などのジビエがたくさん生息しています(写真はどこの田舎にもありそうな七沢川の風景)。


 七沢温泉は豪華な温泉街でもなく、近所の人たちが法要などで利用する温泉宿が数件ののどかな温泉地です。お湯はツルツルの美人の湯系の泉質で、料理はジビエなどの山の幸と相模湾から獲れた新鮮な魚が食べれる温泉です。お気に入りの宿は大山登山(丹沢大山と小林多喜二)で偶然知った福元館(宿の部屋の電話は懐かしのダイヤル式)。


 とにかくボタン鍋(猪鍋)が食べたくて訪れたのですが、ボタン鍋なのに今回は牡丹の花が咲いていないのです。


 前回(ボタン鍋とペンシルロケット発射場)訪れたときのボタン鍋(猪鍋)の上の写真と比較しても一目瞭然の違い。宿の人に理由を尋ねると「板前さんが変わった」とのこと...


 イワナの塩焼きですが、これは前回はなかったものなので、牡丹の花のようなボタン鍋が、脂身の少ない猪肉に代わったことによって追加されたメニュー...
 とにかくがっかりしてしまって、猪肉をネットで取り寄せて自分で作ることを決心し、美味しい味噌出汁の味を舌に残すことに徹しました(笑)
 相変わらず温泉は気持ちよかったので、何度も入り、疲れを癒し、翌日は江の島を目指しました。バスや電車を乗り継いでゆっくりとした平日の旅です。


 相模湾は波が穏やかで観光客も少なく、名物のトンビを眺めながら江の島に向かいます。


 江の島と言えば野良猫ですが、神社の近くにたくさんいた野良猫は1匹もいません。野良猫用にコンビニ猫餌を買ったのに残念、と思いつつエスカレーターで江の島を登り、中腹に着いたら、野良猫が茂みに1匹たたずんでいました。



 少し行くとお茶屋さんの店の中に太った野良猫が数匹いました。餌をたくさんもらっているようで、丸々と太った野良たちです。お茶屋さんで野良猫の写真が売っていて、その売り上げを餌代にしているようです。


 ボタン鍋は残念でしたが、心地よい温泉と野良猫に癒されたのどかな休日になりました。さっそく帰ったら猪肉やら鉄鍋などを検索し注文しました(笑)

2018/11/25

【Japan】酒好きの小室直樹さんと猫名索引

 「評伝 小室直樹」(上下)で8㎝という大作を読んでみました。
 なぜ購入し読んでみたいと思ったかというと、今年の夏に井筒俊彦さんのドキュメンタリー映画に触れ感動し、その映画のポスターと「評伝 小室直樹」の表紙があまりにも似ていたからです。


「東洋人」(シャルギー)


 井筒俊彦さんは、ギリシア哲学とユダヤ・キリスト教の流れから構成される西洋哲学に対して、東洋の哲学であるイスラーム、インド哲学、ヒンズー、儒教、仏教などの様々な哲学を「統合」し独自の「東洋哲学」を創造しようとしました。その功績はイランでよく知られており、アメリカからの経済制裁を幾度も受けるイランの人たちは、自分たちの根底にある考え方を西洋に公平に伝えることができるゲートウェイとして井筒俊彦さんを位置付けていたようです。それはマスウード・ターヘリーさんによりひとつのドキュメンタリー映画「東洋人」(シャルギー)となりました(映画の感想ブログ)。

 そしてこの映画で、井筒俊彦さんの思わぬ点を知ることになったのです。
 井筒俊彦さんは慶応大学の教授として有名ですが、イランの王立研究所の教授となるとき(1975年~1979年)に慶応大学を退職していました。その後イラン革命が勃発し日本に帰国してから日本中の大学に職を探したようですが、井筒俊彦さんのような専門分野が多岐に渡る横断的な大先生はどこの大学も受け入れてくれることがなく(慶應大学の名誉教授ではあった)、出版社や財団の主催するセミナーなどで食いつないでいたようです。

 それらのセミナーを本にしたものが名著「イスラーム文化」(国際文化教育交流財団主催のセミナー)であり、究極のコーラン解説書「コーランを読む」(岩波市民セミナー)などですが、これらの本が手軽な文庫などで出版されることがなければ、井筒俊彦さんの研究していたことが分かりやすく世間に伝わることはなかったのではないでしょうか。

 「評伝 小室直樹」の上巻は、大学という専門分野が連なった組織に適合することなく、直接一流の先生からあらゆる分野を横断的に学ぶ小室さんの姿勢を知ることができます。独特な生活習慣や少年のような性格は小室さんの学問功績のスパイスのようなもので、読んでいて笑えてきます。
 下巻ではカッパブックスからのベストセラーで生活が一変した様子が描かれていますが、私には井筒俊彦さんと同じような共通の法則を感じずにはいられません。つまり、学問を究め、独自の視点から横断的に学問体系を構築・創造しようとすると、以下のプロセスを避けて通ることができない。

① 社会などの複雑な対象に法則性を求める
② 複数の専門分野を追求する必要がある
③ 大学などの職を得る研究機関は専門分野の縦割りの蛸壺である
④ ①②であるが故に③には収まらない
⑤ 社会に直接リーチできる手段(書籍や講演)などで①②を表現するしかない
⑥ 本が売れれば飯が食え、後世に残る業績となり、弟子がさらに盛り上げることにつながる
⑦ 絶版本の中古の値段が高騰し、別の出版社が再販を試み、残された家族も助かる

 研究者の世界ではありませんが、日本が世界に誇るトヨタ自動車とロケット研究も同じように専門分野の横断性が必要なことは意外と知られていません。

 自動車もロケットも要素技術をたくさん必要とします。
 専門家の蛸壺組織がたくさんあって、その蛸壺組織を横断的に束ねる役割をトヨタ自動車は「主査」、ロケット研究は「プロフェッショナル・マネジャー」と呼んでいます。それらの「焼き鳥の串」の役割がない限り、「カローラ」も「はやぶさ」も生まれてこなかったのです。ただし、学者の世界と違い個人がすべてを学ぶ必要がないので、組織の役割別に給与はもらえる、という大きな相違点はあります(参考ブログ:主査制度とアドホックチームの違いを知る人はほとんどいない )


 東洋哲学を「統合」した井筒俊彦さん、社会科学を「統合」した小室直樹さん、自動車の要素技術を「統合」した長谷川龍雄さん、科学とロケットの要素技術を「統合」した糸川英夫さん、時間と空間を「統合」したアインシュタイン、私にはそれぞれ学問領域や性格は違いますが、同じに見えてしまいます。

 ちなみに、小室直樹さんはたびたび糸川英夫さんが晩年を過ごした長野の家(じねんや糸川)に訪れ、囲炉裏で酒を飲んでいたようです(残念ながら私はお会いしていません)。50代後半で結婚した奥さんに酒を飲むことを禁じられていたため、糸川邸への訪問は楽しみだったようです。そして、生涯軍国少年だった小室直樹さんは、ノモンハン事件の空中戦を制した九七戦闘機の翼の開発者である糸川英夫さんを尊敬していたようです(「日本文化人代表団」として糸川英夫さん、山本七平さん、小室直樹さんは3人でイスラエルにも訪れています)。


 話を「評伝 小室直樹」に戻します。
 この本で、私がもっとも印象に残ったのは橋爪大三郎さんとの以下のやりとりです。

 橋爪「先ほど、予定調和説(Predestination)と因果律(causality)というのは、非常に大局的だ、というお話があった。・・・しかし、考えてみると、予定調和説というのは絶対者としての神がいて、世界の計画を立てて、まったく因果的な秩序の外側から制御目的を与える。そういうふうに神学的に考えるので予定調和説という考え方になる。また、絶対者としての神がいなくて、因果というか法というか、そういうものが初めから世界にあるのだ、と考えれば、因果論となる。
 これ、違うことはわかるのだが、その作動の実体としてみたら、同じく世界、宇宙の法則なのでありまして、同じなのではないか。ですから、現象からの説明的な体系を構成していく場合には、別々な立て方ではないのではないかという可能性があるのですが、いかがでしょうか。」

 小室「まず、私の答えの第一番目。目的論的システムのサブ・システム、ないし、目的論プロセスのサブ・プロセスが、因果論的システム、因果論的プロセスであることは、充分にありうる。刑法を例に語る・・・それから第二番目の答え、因果論であるか、目的論的であるかは、説明の便宜のために実体的にいったけど、方法論的にいったら、どっちでもいいんだ。心理学を例に語る・・・。それから三番目。仮設構成体としての神について語る・・・。そして純粋論理的には仮説構成体を勝手に作っていい。科学者の立場からすると、仮説構造体はなるべく測定可能、実際に測定できて、外部的(overt)、外側にあって、誰でもみられるのがよい。経済学を例に語る・・・。心理学を例に語る、物理学を例に語る、そして統計学を例に語る・・・。」

 橋爪「仮説構成体について、心理学、物理学においては明確な根拠をもっていて、経済学はあやふやで、構造機能分析については問題が残っているというお話しでした。敷衍して、言語学を例に語る・・・」

 小室「ですから、仮説構造体を勝手につくるってことは、方法論的にいうと非常に微妙。作らない方がいいとも思えるし、やっぱり作らないといけないとも思うし。結局、小室は橋爪の質問には、たとえで回答し、正面から答えないのであった。」

 私が橋爪さんと小室さんのこのやりとりが気になったのは、小室さんの「キリスト教は予定説、仏教は因果律、イスラームは現世と来世の因果律で、ユダヤ教のヨブ記にキリスト教の予定説の萌芽はあったが、ユダヤ教では開花しなかった」という論説があまりにも明確でわかりやすいのですが、キリスト教をプロテスタント主体で考えた場合、という前提が必要なのではないか、と長い間思っていたからです。

 もちろん、パウロのキリスト教は予定説に近いですし、ユダヤ教のエルサレムにある総本山のシナゴークとジュネーブにあるカルヴァン教会の飾らないたたずまいは、それが予定説につながりやすい、と感覚的に感じてはいますが、14ステーションを教会に飾るカトリック教会の流れもキリスト教であり、遠藤周作の人に寄り添うイエスという考え方(鶴岡八幡宮の初詣とヨブ記、そして映画「沈黙 -サイレンス-」)も同じようにキリスト教なので、それを「キリスト教=予定説」と断定することに単純に違和感を感じていたからです(私の頭が整理できていないから)。

 私は、この橋爪さんと小室さんとのやり取りを読むだけでも本書は一読の価値があると思います。

 また、この本を作り上げた村上篤直さんには、井筒俊彦さんのドキュメンタリー映画を作り上げたマスウード・ターヘリーさんと同じような、主人公に対する深い愛情が滲み出ていて、心地よい読後感を与えてくれる秋の読書になり、感謝しています。

 猫好きの小室直樹さんの評伝なので【猫名索引】もありますよ(笑)

  上巻
 爲田家の猫  15,27,28
 トラ  63,64
 田無寮の猫  337
 クロ(初代)  342,349,350,351,362
 クロ(二代目)  359,360
 グレー(クロ(二代目)の兄)  360,361
 クロ(初代)と三匹の黒猫 362,363
 柳津町の猫 679

  下巻
 チャーチャー  265,266
 チャトラ  262,281,284,476
 ミイ 273

2018/10/08

【Japan】タヌキとキツネと本白根山の紅葉


 嬬恋プリンスホテルの無料宿泊券をもらったので、10月7日、8日と紅葉真っ盛りの本白根山周辺の嬬恋プリンスホテルと万座プリンスホテルを訪れました。

 新幹線で高崎まで行き、そこからレンタカーで嬬恋プリンスホテルを目指しました。途中、幕末の役人であり、明治のグランドデザインを描いた、大好きな小栗上野介の権田村を通過したので、ちょっと寄り道です。


 権田村の河原で処刑された小栗上野介は、騒ぐ村人たちに対し「お静かに」という一言で露と消えました。その処刑場に立つ旗は台風の影響からか破れてしまっています。


 胴体だけ埋葬された東善寺も訪れましたが、養子の又一と並んだ墓石はいつみても心が痛みます。処刑された首は別の場所に埋葬されていたようですが、1周忌に村人が掘り出し(盗み出し)てこの墓に埋葬したそうです。小栗の人柄が偲ばれますね。


 嬬恋に行く途中で草津温泉に立ち寄り、村民も利用する無料の温泉「白旗の湯」に入りました。中には2つのお湯があり、熱い方は午前中は46.5℃とのことで、江戸っ子の好む熱さではありますが、私は一瞬で降参です。少しだけ低い湯(おそらく44℃ぐらい)に浸かり、相変わらず気持ちがいい草津温泉に満足満足。


 草津のお湯はいくつか種類がありますが、白旗の湯が「源頼朝」が好んだ湯で、近くに源泉があります。


 さて、嬬恋プリンスホテルに着いてまた温泉ですが、無色透明で草津温泉とはまったく違う湯質です。浅間山と本白根山が左右に見え絶景の温泉です。

 夕食はレストランで、コース料理をアルザスワインとともにいただきましたが、テーブルの番号札にタヌキの写真があったので、お勘定のとき「タヌキが来るのですか?」と尋ねたら、夏場はほぼ毎日レストランの庭に出没しているそうです。餌付けしているのかは分かりませんが、親子タヌキの写真がレジに貼ってありました(笑)


 翌日は万座プリンスホテルの温泉に入るため紅葉の道路をドライブです。途中で野生のキツネがふらふらと車に寄ってくるので、車を止めると、こちらに走って向かって来るのです。すぐ近くまで来てズボンの匂いを嗅いで、何か食べるものを欲しています。写真は私たちが何の食べ物も持っていないと分かり他の人の方に行くところです。きっと誰かが餌付けしたのでしょうか...


 万座プリンスホテルまでの道のりは紅葉スポット満載です。忙しい毎日を忘れ自然に接するとストレスが溶けていきます。

 硫黄臭の強い万座ホテルの露天風呂に入ると注意書き、「キツネに噛まれるので手を出さないでください」「キツネを見かけたらフロントまで」とありました。ホテルの露天風呂にもフラフラ出現しているのですね。


  本白根山周辺の2つのホテル。嬬恋プリンスと万座プリンスにはそれぞれタヌキとキツネが健やかに過ごしています。交通事故に遭わないことを祈りつつ、朝採れの新鮮なキャベツを購入して帰路に着きました。

2018/07/28

【Iran】東洋人(シャルギー) 井筒俊彦さんのドキュメンタリー映画

 井筒俊彦さんを紹介するwikiでは「文学博士、言語学者、イスラーム学者、東洋思想研究者、神秘主義哲学者」とありますが、イスラム教徒という属性はありません。
  

 今回は2018年7月24日に上演された井筒俊彦さんのドキュメンタリー映画「東洋人」(シャルギー)を紹介するものですが、上演が終わり、イランの方から監督のマスウード・ターヘリーさんへの質問で「井筒俊彦さんが自らイスラム教徒だ」と語った事実はないか、というものがありました(イランの人々の中では井筒俊彦さんはイスラム教徒であって欲しいと思われる)。
 しかし、この映画で出演する12カ国以上の著名な思想家102人とのインタビューでは井筒俊彦さんがイスラム教徒だった、という事実はなく、あくまでイスラーム学者、東洋思想研究者、神秘主義哲学者だったのです。

 私は、井筒俊彦さんのドキュメンタリー映画を観るにあたって、井筒俊彦さんの業績を言語学者としての側面とイスラームを含めた東洋哲学の研究家という側面からどのように描かれているのか仮説を持つことにしました。
 なぜなら、同じ哲学者を描いた映画「ハンナ・アーレント」を観たとき、ハンナ・アーレントの哲学に対して自分なりの意見や仮説を持っていなかったので、映画としては単調で正直面白くなかったからです。

 以下は、映画を観る前に私が立てた3つの仮説です。

 「我思う故に我あり」でなく、イスラームのスーフィーが神的属性を得た後のペルソナ転換から導かれる「我はそれなり」、という考えの違いが「神のコトバ――より正確には、コトバである神」とまで、井筒さんに言わしめたのではないか(言語学者の側面)、という「仮説1」。

 さらに「我はそれなり」はインド哲学のブラフマンとアートマンの合一と同じことであり、ユダヤ神秘主義のカバラの集団チューニングで得られるPrivilege(自分が何のために生まれてきたかをコトバで知ることができる権利)とも同じことである。これらの神秘主義が結果的に「神のコトバ――より正確には、コトバである神」につながるため、井筒さんは東洋西洋の神秘主義を横断的に学んだのではないか(東洋哲学者である側面)、というもうひとつの「仮説2」。

 そして最後の「仮説3」、井筒俊彦さんは現代の空海である。空海曰く「五大に皆響あり、十界に言語を具す」、空海の言う言葉=真言。

 今でも空海が中国の農民に親しまれているドキュメンタリーを観たことがありますが、同じように井筒俊彦さんはイランの人たちにこれだけ尊敬され親しまれているのは驚きであると同時に同じ日本人として嬉しくなります。そういう意味では、井筒俊彦さんは現代の空海だ、という私の「仮説3」は、思想は別にして著名な思想家102人の語る井筒俊彦像で納得できるものでした。

 「仮説1、2」に関しては、この映画ではスーフィズムやインド哲学そのものに触れることが少ししかなく、それを実証することはできませんでしたが、井筒俊彦さんの「『コーラン』を読む」のP38に以下の解説があります。

 「我々は言語学で、書かれたコトバを軽視するように教えられてきました。書かれたコトバでなくて、喋られたコトバーーそれこそ本当の意味での言語なのだ、と。・・・考えてみれば、当然のことですが、書かれたコトバは、喋られたコトバとはぜんぜん違った、それ自体の存在をもっているということがわかってきた。それがエクリチュール論です。・・・エクリチュールとしての『コーラン』は、神がムハンマドに直接語しかけた原初の具体的発話行為の場から一段離れたところで、イスラームの聖典として成立するのです。・・・つまり、もとの発話的状況から切り離されているのですから、誰でもそれを自由に解釈できます。」

 ここにある「もとの発話的状況」を井筒俊彦さんの「マホメット」のP88で以下のように解説しています。

 「マホメット自身が天使ガブリエルの姿をまざまざと見たと物語ることになっているが、これはずっと後日の反省の結果得られた解釈なので、はじめのうちは彼はそれを『聖霊』と呼んだ。しかし、それよりもっと前、つまり体験したばかりのときは彼は自分がてっきり何か悪霊に憑かれたものと思った。・・・気の弱い彼はその後もしばらくの間は、そういう体験があるたびに全身悪寒でがたがた震えながら妻のところへ駈け込んで来るのだった。・・・しかし冷静で大胆な妻ハディージァは、これは悪霊の仕業ではなく、真に神の霊感であることを疑わなかった。誰よりも先に彼女が入信した。」(この発話的状況はメッカ啓示であり、メディナ啓示ではおそらくこの状態ではない)

 ここでムハンマドがスーフィーにおけるペルソナ転換、インド哲学におけるブラフマンとアートマンの合一を起こしたとは思えない、あくまでムハンマドは「市場を歩き、物を食う」普通の人間であり、セム族的解釈においては強制的に「預言者」として神に選ばれた、ということになります。

 この映画では、井筒俊彦さんが「古代は神が中心の関係性であり、現代は人が中心の関係性である」ことを時系列で研究したとありましたが、現代物理学における人間原理と一致しているのも面白いことですね。

 したがって「仮説1、2」に関しては、今後の課題ということになりますが、エクリチュールから「神のコトバ――より正確には、コトバである神」という発想になることが、このブログを書くことで気づくことができました(笑)

 さて、「仮説1、2、3」の話はこれくらいにして、「東洋人」(シャルギー)という映画で発見した未来に関する重要なことをまとめておきます。

 この映画ではイラン人監督であるマスウード・ターヘリーさんが天才言語学者としての大川周明と井筒俊彦の違いを前半後半でうまくビルトインしていました。

 大川周明という人は民間人で唯一A級戦犯となり、東京裁判で東条英機の頭を何度も叩く人ですが、もともとは言語学者です。なぜA級戦犯となったかというと、大川周明は満鉄調査部や軍部とも関係を継続しつつ、大東亜共栄圏、大アジア主義というイデオローギーの創始者だったからです。

 大川周明の植民地として制服する大アジア主義の中にはイランなどのイスラームの国々も含まれ、オランダからアラビア語の基礎テキストの「イスラミカ」、イスラム研究の全文献の「アラビカ」のふたつの叢書を大金で買い求めました。それらを東亜経済調査局の図書室に入れたので、その整理を担当した井筒俊彦さんはこれらの文献を自由に利用することによって研究の基礎を築くことができた、と言われています(井筒俊彦さんは戦時中、東亜経済調査局にアラビア語整理という名目でアルバイトに行っており、そこで大川周明に出会った)。
 大川周明の大アジア主義は大東亜共栄圏として満州国となり、太平洋戦争に突入したのですが、東京裁判では狂人(諸説あるが)として裁かれることなく入院した病院で、『コーラン』の翻訳に着手し、1949年末についに翻訳は完了、翌1950年岩崎書店から『古蘭』として出版されました。これはアラビア語原典からの翻訳ではなく、英語だけでなく、ドイツ語、フランス語、中国語など10種あまりの翻訳を参照した日本語訳とされています。 大川周明は言語学者(戦前に、タイ語、マレー語、ヒンディー語、トルコ語、ペルシャ語、アフガニスタン語、アラビア語といったアジアの言語のエキスパートを育成しようとした)、イスラーム学者としても優秀な人だったのでしょうが、政治に興味があったのでしょうね。大川周明の『古蘭』は、1958年に井筒俊彦さんの原典からの翻訳『コーラン』が出現するまで、コーランの愛読者から尊重されていたそうです。

 井筒俊彦さんイスラム哲学(とりわけイランのスーフィズム)を軸としながら古代ギリシアやキリスト教の神秘思想、ユダヤのカバラ思想、インドのヴェーダーンタ哲学、大乗仏教、老壮思想、さらには日本的禅まで広く「東洋哲学」を見渡せる「もの」を創造したかったのでしょう。

 イランの人たちは、井筒俊彦さんを自分たちの文化的価値観や哲学の本質を中立公平にグローバルに伝えることができる人、と認識していると思いますが、それは米国などで行われる経済制裁を文化的な理解が進むことで和らげることができるのではないか、という期待が込められていると思います。

 西洋哲学はギリシャ哲学とユダヤーキリスト教を基盤にしており、そして西洋哲学は政治的にもEUとして結実している訳です。大川周明は西洋と対抗する意味でもアジアを政治的に統合するイデオローグだったのですが、それは実現することはありませんでした。そしてこれからもアジアがEUのように統合することは難しいでしょう。

 しかし、井筒俊彦さんが創造した東洋哲学を西洋人(特にアメリカ)が学ぶことはH・G・ガダマーの語る『地平融合』につながる、とイランの人たちは考えていることが、このドキュメンタリー映画で知ることができました。だから、タイトルが「東洋人」(シャルギー)なのですね。

 「二つのまったく違った伝統的文化価値体系の激突によって惹き起こされる文化的危機。そのダイナミックな緊張感の中で、対立する二つの文化(あるいはその一方)は初めて己を他の枠組の目で批判的に見ることを学ぶのです。そこに思いもかけなかったような視座が生れ、新しい知的地平の展望が開け、それによって自己を超え、相手を超え、さらには自己と相手との対立をも超えて、より高い次元に跳出することも可能になってくる。H・G・ガダマーの語る『地平融合』の現成です。」(イスラーム文化ーその根底にあるもの 井筒俊彦より)

 話を現代の世界情勢にデセンターしましょう。

 キリスト教国におけるユダヤ人の迫害は、ある意味イスラエルの建国により収斂することになりました。そして、それによりパレスチナの地を追われたパレスチナ人の問題は、起業家精神とテクノロジーで解決する方向に向いていく、と私は思います(日本の役割は重要)。

 しかし、イスラエルとイラン、サウジアラビアとイランの対立の問題は、アメリカとロシア・中国を巻き込む大きな問題として依然として横たわっています。この問題は政治的な解決で収斂をすることは難しそうです。この「東洋人」(シャルギー)という映画は、その解決のひとつの手段が、井筒俊彦さんが創造した(東洋と西洋が響きあう)東洋哲学を西洋に伝えること、と言っているのかも知れません。

 皮肉にも、旧約聖書はペルシャ帝国がユダヤ人を統治していたころ、ペルシャ帝国の高級官僚でユダヤ人司祭(学者)だったエズラがユダヤ民族の信じるものをまとめよ、と命を受けて編纂したものなのです(現在のイランが旧約聖書の生みの親で、キリスト教におけるローマ帝国の役割と同じ)。このエズラの役割を学者して自発的に果たしたのが井筒俊彦さんなのでしょう。

 102人がインタビューを通じて井筒俊彦さんを語ることでひとつのストーリーを作り上げる映画手法も面白く、多くの学者に観てもらいたい映画です。

2018/01/02

【Coffee Break】主査制度とアドホックチームの違いを知る人はほとんどいない(今のところ)

  縦割りの組織に製品やサービスのCEO的な存在である「プロフェッショナルマネジャー」(「プロダクトマネジャー」と「プロフェッショナルマネジャー」の違いを知る人はほんとどいない)をビルトインする方法はいろいろな方法があると思いますが、ここでは長谷川龍雄方式と糸川英夫方式の2つの方法について考察してみたいと思います。

● 長谷川龍雄方式

 トヨタが主査制度を取り入れたのは、立川飛行機の航空機設計を行っていた長谷川龍雄さんがポツダム宣言により航空機の開発が禁止されることで職を失いトヨタに転職後、航空機のチーフデザイナー制を自動車設計にビルトインするように提案し、当時常務だった豊田英二氏が主査制度として「担当車種に関しては、主査が社長であり、社長は主査の助っ人である」と定着させたからです。
 つまり、会社のトップが主査制度を作るべし、というスタンスで役職と役割などの枠組みを決め、そこへ人がアサインされるのではなく、長谷川龍雄さんという人が飛行機屋のミームを伝承する形で自動車会社に仕組みとともにビルトインしたため「仏作って魂入れず」にはならなかったのでしょう。

 「製品のCEOを作るべし」という薄っぺらいセミナーにどこかで参加し、我社にも主査制度が必要だと「主査」という役職を作るのもひとつの方法ですが「大衆側のコンセプトに立つ自動車を作る」ためには製品のCEO的な主査制度が企業側に必要だ、という「魂」がないと主査制度は定着しにくいのではないのでしょうか。
 また、「主査には権限はない、あるのは説得力だけ」だとしても「より良い製品をユーザーに届けたい」というDNAが企業全体にあるからこそ「製品のCEO=主査」が有効に機能するのであって、「製品のCEO=主査」だから主査には縦割り組織を動かす権限がある、と捉えては成功しにくいと思います。

参考:ドキュメント トヨタの製品開発: トヨタ主査制度の戦略,開発,制覇の記録(実際に主査として現場で活躍された安達瑛二さんのこの本は参考になります)


● 糸川英夫方式

 長谷川龍雄方式は自発的に長谷川さんが企業にボトムアップで提案し、それをトップが受け入れることで成功しましたが、糸川英夫方式は東京大学の第2工学部が前身の生産技術研究所で1954年にAVSA(Avionics and Supersonic Aerodynamics:航空及び超音速空気力学)研究班を組織したことからはじまっています。AVSA研究班とは1975年までに20分で太平洋横断する旅客機「ハイパーソニック輸送機」の実現を目標にしていました。

(ちなみに、SPACE Xのイーロンマスク氏が2017年に東京ニューヨーク間を37分で移動できる超高速旅客機構想を提唱していますが、糸川英夫さんのAVSA構想は1954年(敗戦は1945年)に提唱されています。イーロンマスク氏は世界最高の起業家、異次元の起業家と評されていますが、敗戦後まもない段階での糸川英夫さんのAVSA構想の存在を日本の起業家も知っておくべきではないでしょうか)

 国際科学研究プロジェクトである国際地球観測において高層大気観測を行うという方針が1955年に決定されたため、AVSA班の方針もロケット旅客機から観測ロケットへ変更されました(糸川英夫さんは血液型がB型のためか、こういう方針変更はお手のもの)。

 そしてペンシルロケットの水平発射実験につながって行くのですが、長谷川龍雄さんはトヨタのサラリーマンですから自動車を作るためにお金を集める必要がないので、起業家がプロダクトを作るための苦労は分からないでしょう(豊田佐吉さんや豊田喜一郎さんは分かる)。糸川英夫方式の大前提はお金集めを自分で行う必要があり、プロフェッショナルマネジャーの重要な仕事のひとつが「お金集め」になります(東京大学の生産技術研究所に属しているから給与はもらえますが...)。

 長谷川龍雄さんは豊田英二さんの力を借りて主査制度を組織にビルトインしましたが、中島飛行機の航空機エンジニアだった糸川英夫さんの場合は生産技術研究所に航空機のチーフデザイナー制度(主査制度)を持ち込んだ訳ではありません。東京大学生産技術研究所の縦割りの組織はそのままにした上でアドホック(adhoc)なチームを結成する方法を選んだのです(生産技術研究所は東京大学に属し、東京大学は国立大学ですからチーフデザイナー制度に費やす時間も無駄)。

 アドホックな組織にはAVSAのような名前をつけます。糸川英夫方式の重要な点はアドホックな組織のネーミングで、糸川さんは「名前が組織を作る」と断言しています(例えば同じように、イスラームの聖典であるクルアーンの「開扉」の章に「慈悲ふかく慈愛あまねきアッラーの名にかけて」とあるように、名付けるということはそれを存在させることであり、セム族では「名付けられる=創造」が同義語)。

 「ネーミングというのは、新しいものを考える、あるいは新しいビジネスを始めるためのグループを作った際に、決定的な役割を果たす。ネーミングからすべてが始まる、といってもいいくらいだ。」(創造性組織工学講座より)

 アドホックチームのネーミングが連帯感を生みますが、それがずれなく強固にするためにはミッション(使命)が必要になります。AVSAにおける「1975年までに20分で太平洋横断する旅客機」や「地球観測年に間に合う観測ロケット」などの明確なミッションが必要になります。これは長谷川龍雄方式でも同じことだと思います。

 糸川英夫方式を整理すると、従来の縦割りの組織をそのままにした上で、アドホックなチームを作り、適切なネーミングをし、ミッションをビルトインする、ということになりますが、基本的にプロフェッショナルマネジャーはリーダーシップという考え方ではなく、マネジャーシップという考え方で仕事を進めます。その他、ペアシステムで推進する点など糸川英夫方式にはさまざまな特徴がありますが、詳しい解説はここでは省きます。

 「プロフェッショナルマネジャー」をビルトインするための長谷川龍雄方式と糸川英夫方式の2つの方法は、自らの属する組織の性格によりどちらを適応すべきか判断がつくと思いますが、AVSAによりはじまった地球観測プロジェクトはミッションが宇宙観測の「はやぶさ」にまで進化し、JAXAというパーマネントな組織になった訳ですから、長谷川龍雄方式も糸川英夫方式も行き着く先はそれほど違いはないと思います。

 それにしても、長谷川龍雄さんも糸川英夫さんも以下の「航空禁止令」は本当に悔しかったでしょうね。お互い「翼」の設計者だったのですから...

4. On and after 31 December 1945 you will not permit any governmental agency or individual, or any business concern, association, individual Japanese citizen or group of citizens, to purchase, own, possess, or operate any aircraft, aircraft assembly, engine, or research, experi- mental, maintenance or production facility related to aircraft or aeronautical science including working models.

5. You will not permit the teaching of, or research or experiments in aeronautical science, aerodynamics, or other subjects related to aircraft or balloons.


2018/01/01

【Coffee Break】「プロダクトマネジャー」と「プロフェッショナルマネジャー」の違いを知る人はほんとどいない(今のところ)

 2017年はPMBOKやCCPMなどの如何に実装するかをテーマにした「プロジェクトマネジメント」と、売れる新製品や新サービスを如何に作りるかをテーマにした「プロダクトマーケティング」の違いを認識するセミナーが目立つようなりました。

 今、日本の企業に課された閉塞感を突破するには「プロダクトマネジメント」が必要、というニードが高まったからでしょうか。2018年はこの傾向がさらに顕著に表れ、それができる企業とそうでない企業が分かれる分水嶺になることでしょう。

 そこで、今回はプロダクトマネジメントの手法として国産ロケット研究から生まれた日本版システム工学(Creative Organized Technology)の新製品、新サービスのカテゴライズの方法から「プロダクトマネジメント」を考察してみたいと思います。

 日本版システム工学(Creative Organized Technology)では、スウェーデンのトルンクイストの商品弾性率理論をベースにBtoCにおける商品のカテゴライズを以下の方程式でグラフ化しています。

横軸:所得の増加率(dm/m  m:現在の所得、dm:所得の伸び)
縦軸:購買欲求率(dq/q  q:現在持っている数、dq:購買しようとする数)


第1商品群:生活必需品(食⇒衣⇒住)
第2商品群:代用品(バターの代用品マーガリンなど)
第3商品群:比較的ぜいたく品(自動車、バイク、TVなど)
第4商品群:純ぜいたく品(ゲーム、音楽などの持続性のない無限界商品)
第5商品群:情緒安定化商品(あるいは産業)

               創造性組織工学講座 P315より


 ここで一般的な日本人が「プロダクトマネジメント」という言葉から思い浮かべるのは第3商品群ではないでしょうか。なぜなら、日本企業がグローバルで脚光を浴びるようになったのはことごとく第3商品群なのです。例えば、第3商品群の自動車を販売しているトヨタ自動車はTPD(Toyota Product Development)という「プロダクトマネジメント」の手法を活用し新車を開発し、グローバルに販売して大きな利益を生んでいます(TPDは第1商品群の住宅の設計開発は土地の要素などが含まれるため適応しにくいのか、トヨタグループの住宅会社は大きな利益を生み出していない)。

 したがって、日本人が日本語で「プロダクト」という言葉で思い浮かべるのはテレビや自動車などのグローバルで成功してきた商品群(第3商品群)となります。シリコンバレーならIT、ロシアなら武器など、国により「プロダクト」からイメージする商品群は違いがあります。

 最近の日本食のブームから第1商品群(衣食住)に属する「和食」はグローバルで通用する商品となり、「見て楽しむ」要素が入ることでアートを融合したもので「プロダクト」というイメージとは結び付きにくいものです。第4商品群の「音楽」や第5商品群の「酒」も「プロダクト」と言われると違和感を感じます。

 また、第5商品群の情緒安定化産業のひとつに「宗教」があります。
 イエスキリストは意識していなかったにしても、パウロは、旧来のユダヤ教から派生した改善サービスであるエルサレム教会派でなく、シリアのアンティオキアを拠点にしてプロダクトマーケティング(ユダヤ教から割礼の習慣などをそぎ落とし簡素化)を行い新サービスとして「パウロ教」を生み出し、それを徹底的にマーケティング(3度の伝道の旅でのセミナー)してローマ帝国の衛星都市にビルトインした訳です。パウロ教を「プロダクト」と呼ぶとかなり違和感がありますね。しかし、当時の第5商品群の情緒安定化産業の新サービスであったことは確かです。

 新製品や新サービスを開発する際に「プロダクトマネジメント」は必須だと思いますが、「プロダクト」という言葉は業種や企業により変えた方が柔軟な発想が生まれ、守備範囲も広がります。

 例えば、新製品や新サービスを開発する「プロダクトマネジャー」をボーイングでは「システムスエンジニア」、デュポンでは「プロフェッショナルマネジャー」、自動車メーカーでは「チーフエンジニア(主査)」と呼び、守備範囲も業種や会社によりそれぞれ異なります。

(日本版システム工学(Creative Organized Technology)ではデュポンと同じように「プロフェッショナルマネジャー」と呼んでいます)。


2017/12/04

【Eating-out】浅草の落語と人形町のすき焼き


 12月3日、4日と浅草観光に出かけました。
 1日目は浅草演芸場で落語を楽しみ、水天宮のロイヤルパークホテルに1泊。
 

 翌日は水天宮と人形町の中間にある小網神社にお参り。
 この神社は社殿を含む建物全部が東京大空襲の戦災を免れたり、第二次世界大戦の際、この神社の御守を受け戦地に赴いた兵士が全員無事帰還したことなどから、強運厄除の神様として崇められるようになったそうです。


 また、「銭洗いの井」で金銭を清め、財布などに入れておくと財運を授かることから「東京銭洗い弁天」とも呼ばれています。


 甘酒横丁で甘酒を飲み、美味しそうなガンモを購入。


 十数年ぶり(前回は浅草店)に今半のすき焼きランチをいただくことにしました。


 今半はランチでも仲居さんが作ってくれるので、焼いている写真は撮りにくい(笑)


 肉はもちろんですが、千住葱の甘味が実にいい。旬だからこその味ですね。最後の〆はすき焼きを焼いた鉄鍋の残った出汁と肉の旨味で作ったフワフワ卵丼。二口ほどのご飯に乗せ、山椒を少々振って食べる。絶品!

 横浜に住んでいると感じることのできない江戸の面影と香りがする2日間でした。