2018/12/10

【Japan】七沢温泉のボタン鍋(猪鍋)と江の島の野良猫


 2018年12月9日(日)、10日(月)と丹沢山麓の七沢温泉に1泊の旅行に出かけました。旅行というほどの距離ではありませんが、丹沢山系は日本で一番山蛭の多い地域なので、鹿や猪などのジビエがたくさん生息しています(写真はどこの田舎にもありそうな七沢川の風景)。


 七沢温泉は豪華な温泉街でもなく、近所の人たちが法要などで利用する温泉宿が数件ののどかな温泉地です。お湯はツルツルの美人の湯系の泉質で、料理はジビエなどの山の幸と相模湾から獲れた新鮮な魚が食べれる温泉です。お気に入りの宿は大山登山(丹沢大山と小林多喜二)で偶然知った福元館(宿の部屋の電話は懐かしのダイヤル式)。


 とにかくボタン鍋(猪鍋)が食べたくて訪れたのですが、ボタン鍋なのに今回は牡丹の花が咲いていないのです。


 前回(ボタン鍋とペンシルロケット発射場)訪れたときのボタン鍋(猪鍋)の上の写真と比較しても一目瞭然の違い。宿の人に理由を尋ねると「板前さんが変わった」とのこと...


 イワナの塩焼きですが、これは前回はなかったものなので、牡丹の花のようなボタン鍋が、脂身の少ない猪肉に代わったことによって追加されたメニュー...
 とにかくがっかりしてしまって、猪肉をネットで取り寄せて自分で作ることを決心し、美味しい味噌出汁の味を舌に残すことに徹しました(笑)
 相変わらず温泉は気持ちよかったので、何度も入り、疲れを癒し、翌日は江の島を目指しました。バスや電車を乗り継いでゆっくりとした平日の旅です。


 相模湾は波が穏やかで観光客も少なく、名物のトンビを眺めながら江の島に向かいます。


 江の島と言えば野良猫ですが、神社の近くにたくさんいた野良猫は1匹もいません。野良猫用にコンビニ猫餌を買ったのに残念、と思いつつエスカレーターで江の島を登り、中腹に着いたら、野良猫が茂みに1匹たたずんでいました。



 少し行くとお茶屋さんの店の中に太った野良猫が数匹いました。餌をたくさんもらっているようで、丸々と太った野良たちです。お茶屋さんで野良猫の写真が売っていて、その売り上げを餌代にしているようです。


 ボタン鍋は残念でしたが、心地よい温泉と野良猫に癒されたのどかな休日になりました。さっそく帰ったら猪肉やら鉄鍋などを検索し注文しました(笑)

2018/11/25

【Japan】酒好きの小室直樹さんと猫名索引

 「評伝 小室直樹」(上下)で8㎝という大作を読んでみました。
 なぜ購入し読んでみたいと思ったかというと、今年の夏に井筒俊彦さんのドキュメンタリー映画に触れ感動し、その映画のポスターと「評伝 小室直樹」の表紙があまりにも似ていたからです。


「東洋人」(シャルギー)


 井筒俊彦さんは、ギリシア哲学とユダヤ・キリスト教の流れから構成される西洋哲学に対して、東洋の哲学であるイスラーム、インド哲学、ヒンズー、儒教、仏教などの様々な哲学を「統合」し独自の「東洋哲学」を創造しようとしました。その功績はイランでよく知られており、アメリカからの経済制裁を幾度も受けるイランの人たちは、自分たちの根底にある考え方を西洋に公平に伝えることができるゲートウェイとして井筒俊彦さんを位置付けていたようです。それはマスウード・ターヘリーさんによりひとつのドキュメンタリー映画「東洋人」(シャルギー)となりました(映画の感想ブログ)。

 そしてこの映画で、井筒俊彦さんの思わぬ点を知ることになったのです。
 井筒俊彦さんは慶応大学の教授として有名ですが、イランの王立研究所の教授となるとき(1975年~1979年)に慶応大学を退職していました。その後イラン革命が勃発し日本に帰国してから日本中の大学に職を探したようですが、井筒俊彦さんのような専門分野が多岐に渡る横断的な大先生はどこの大学も受け入れてくれることがなく(慶應大学の名誉教授ではあった)、出版社や財団の主催するセミナーなどで食いつないでいたようです。

 それらのセミナーを本にしたものが名著「イスラーム文化」(国際文化教育交流財団主催のセミナー)であり、究極のコーラン解説書「コーランを読む」(岩波市民セミナー)などですが、これらの本が手軽な文庫などで出版されることがなければ、井筒俊彦さんの研究していたことが分かりやすく世間に伝わることはなかったのではないでしょうか。

 「評伝 小室直樹」の上巻は、大学という専門分野が連なった組織に適合することなく、直接一流の先生からあらゆる分野を横断的に学ぶ小室さんの姿勢を知ることができます。独特な生活習慣や少年のような性格は小室さんの学問功績のスパイスのようなもので、読んでいて笑えてきます。
 下巻ではカッパブックスからのベストセラーで生活が一変した様子が描かれていますが、私には井筒俊彦さんと同じような共通の法則を感じずにはいられません。つまり、学問を究め、独自の視点から横断的に学問体系を構築・創造しようとすると、以下のプロセスを避けて通ることができない。

① 社会などの複雑な対象に法則性を求める
② 複数の専門分野を追求する必要がある
③ 大学などの職を得る研究機関は専門分野の縦割りの蛸壺である
④ ①②であるが故に③には収まらない
⑤ 社会に直接リーチできる手段(書籍や講演)などで①②を表現するしかない
⑥ 本が売れれば飯が食え、後世に残る業績となり、弟子がさらに盛り上げることにつながる
⑦ 絶版本の中古の値段が高騰し、別の出版社が再販を試み、残された家族も助かる

 研究者の世界ではありませんが、日本が世界に誇るトヨタ自動車とロケット研究も同じように専門分野の横断性が必要なことは意外と知られていません。

 自動車もロケットも要素技術をたくさん必要とします。
 専門家の蛸壺組織がたくさんあって、その蛸壺組織を横断的に束ねる役割をトヨタ自動車は「主査」、ロケット研究は「プロフェッショナル・マネジャー」と呼んでいます。それらの「焼き鳥の串」の役割がない限り、「カローラ」も「はやぶさ」も生まれてこなかったのです。ただし、学者の世界と違い個人がすべてを学ぶ必要がないので、組織の役割別に給与はもらえる、という大きな相違点はあります(参考ブログ:主査制度とアドホックチームの違いを知る人はほとんどいない )


 東洋哲学を「統合」した井筒俊彦さん、社会科学を「統合」した小室直樹さん、自動車の要素技術を「統合」した長谷川龍雄さん、科学とロケットの要素技術を「統合」した糸川英夫さん、時間と空間を「統合」したアインシュタイン、私にはそれぞれ学問領域や性格は違いますが、同じに見えてしまいます。

 ちなみに、小室直樹さんはたびたび糸川英夫さんが晩年を過ごした長野の家(じねんや糸川)に訪れ、囲炉裏で酒を飲んでいたようです(残念ながら私はお会いしていません)。50代後半で結婚した奥さんに酒を飲むことを禁じられていたため、糸川邸への訪問は楽しみだったようです。そして、生涯軍国少年だった小室直樹さんは、ノモンハン事件の空中戦を制した九七戦闘機の翼の開発者である糸川英夫さんを尊敬していたようです(「日本文化人代表団」として糸川英夫さん、山本七平さん、小室直樹さんは3人でイスラエルにも訪れています)。


 話を「評伝 小室直樹」に戻します。
 この本で、私がもっとも印象に残ったのは橋爪大三郎さんとの以下のやりとりです。

 橋爪「先ほど、予定調和説(Predestination)と因果律(causality)というのは、非常に大局的だ、というお話があった。・・・しかし、考えてみると、予定調和説というのは絶対者としての神がいて、世界の計画を立てて、まったく因果的な秩序の外側から制御目的を与える。そういうふうに神学的に考えるので予定調和説という考え方になる。また、絶対者としての神がいなくて、因果というか法というか、そういうものが初めから世界にあるのだ、と考えれば、因果論となる。
 これ、違うことはわかるのだが、その作動の実体としてみたら、同じく世界、宇宙の法則なのでありまして、同じなのではないか。ですから、現象からの説明的な体系を構成していく場合には、別々な立て方ではないのではないかという可能性があるのですが、いかがでしょうか。」

 小室「まず、私の答えの第一番目。目的論的システムのサブ・システム、ないし、目的論プロセスのサブ・プロセスが、因果論的システム、因果論的プロセスであることは、充分にありうる。刑法を例に語る・・・それから第二番目の答え、因果論であるか、目的論的であるかは、説明の便宜のために実体的にいったけど、方法論的にいったら、どっちでもいいんだ。心理学を例に語る・・・。それから三番目。仮設構成体としての神について語る・・・。そして純粋論理的には仮説構成体を勝手に作っていい。科学者の立場からすると、仮説構造体はなるべく測定可能、実際に測定できて、外部的(overt)、外側にあって、誰でもみられるのがよい。経済学を例に語る・・・。心理学を例に語る、物理学を例に語る、そして統計学を例に語る・・・。」

 橋爪「仮説構成体について、心理学、物理学においては明確な根拠をもっていて、経済学はあやふやで、構造機能分析については問題が残っているというお話しでした。敷衍して、言語学を例に語る・・・」

 小室「ですから、仮説構造体を勝手につくるってことは、方法論的にいうと非常に微妙。作らない方がいいとも思えるし、やっぱり作らないといけないとも思うし。結局、小室は橋爪の質問には、たとえで回答し、正面から答えないのであった。」

 私が橋爪さんと小室さんのこのやりとりが気になったのは、小室さんの「キリスト教は予定説、仏教は因果律、イスラームは現世と来世の因果律で、ユダヤ教のヨブ記にキリスト教の予定説の萌芽はあったが、ユダヤ教では開花しなかった」という論説があまりにも明確でわかりやすいのですが、キリスト教をプロテスタント主体で考えた場合、という前提が必要なのではないか、と長い間思っていたからです。

 もちろん、パウロのキリスト教は予定説に近いですし、ユダヤ教のエルサレムにある総本山のシナゴークとジュネーブにあるカルヴァン教会の飾らないたたずまいは、それが予定説につながりやすい、と感覚的に感じてはいますが、14ステーションを教会に飾るカトリック教会の流れもキリスト教であり、遠藤周作の人に寄り添うイエスという考え方(鶴岡八幡宮の初詣とヨブ記、そして映画「沈黙 -サイレンス-」)も同じようにキリスト教なので、それを「キリスト教=予定説」と断定することに単純に違和感を感じていたからです(私の頭が整理できていないから)。

 私は、この橋爪さんと小室さんとのやり取りを読むだけでも本書は一読の価値があると思います。

 また、この本を作り上げた村上篤直さんには、井筒俊彦さんのドキュメンタリー映画を作り上げたマスウード・ターヘリーさんと同じような、主人公に対する深い愛情が滲み出ていて、心地よい読後感を与えてくれる秋の読書になり、感謝しています。

 猫好きの小室直樹さんの評伝なので【猫名索引】もありますよ(笑)

  上巻
 爲田家の猫  15,27,28
 トラ  63,64
 田無寮の猫  337
 クロ(初代)  342,349,350,351,362
 クロ(二代目)  359,360
 グレー(クロ(二代目)の兄)  360,361
 クロ(初代)と三匹の黒猫 362,363
 柳津町の猫 679

  下巻
 チャーチャー  265,266
 チャトラ  262,281,284,476
 ミイ 273

2018/10/08

【Japan】タヌキとキツネと本白根山の紅葉


 嬬恋プリンスホテルの無料宿泊券をもらったので、10月7日、8日と紅葉真っ盛りの本白根山周辺の嬬恋プリンスホテルと万座プリンスホテルを訪れました。

 新幹線で高崎まで行き、そこからレンタカーで嬬恋プリンスホテルを目指しました。途中、幕末の役人であり、明治のグランドデザインを描いた、大好きな小栗上野介の権田村を通過したので、ちょっと寄り道です。


 権田村の河原で処刑された小栗上野介は、騒ぐ村人たちに対し「お静かに」という一言で露と消えました。その処刑場に立つ旗は台風の影響からか破れてしまっています。


 胴体だけ埋葬された東善寺も訪れましたが、養子の又一と並んだ墓石はいつみても心が痛みます。処刑された首は別の場所に埋葬されていたようですが、1周忌に村人が掘り出し(盗み出し)てこの墓に埋葬したそうです。小栗の人柄が偲ばれますね。


 嬬恋に行く途中で草津温泉に立ち寄り、村民も利用する無料の温泉「白旗の湯」に入りました。中には2つのお湯があり、熱い方は午前中は46.5℃とのことで、江戸っ子の好む熱さではありますが、私は一瞬で降参です。少しだけ低い湯(おそらく44℃ぐらい)に浸かり、相変わらず気持ちがいい草津温泉に満足満足。


 草津のお湯はいくつか種類がありますが、白旗の湯が「源頼朝」が好んだ湯で、近くに源泉があります。


 さて、嬬恋プリンスホテルに着いてまた温泉ですが、無色透明で草津温泉とはまったく違う湯質です。浅間山と本白根山が左右に見え絶景の温泉です。

 夕食はレストランで、コース料理をアルザスワインとともにいただきましたが、テーブルの番号札にタヌキの写真があったので、お勘定のとき「タヌキが来るのですか?」と尋ねたら、夏場はほぼ毎日レストランの庭に出没しているそうです。餌付けしているのかは分かりませんが、親子タヌキの写真がレジに貼ってありました(笑)


 翌日は万座プリンスホテルの温泉に入るため紅葉の道路をドライブです。途中で野生のキツネがふらふらと車に寄ってくるので、車を止めると、こちらに走って向かって来るのです。すぐ近くまで来てズボンの匂いを嗅いで、何か食べるものを欲しています。写真は私たちが何の食べ物も持っていないと分かり他の人の方に行くところです。きっと誰かが餌付けしたのでしょうか...


 万座プリンスホテルまでの道のりは紅葉スポット満載です。忙しい毎日を忘れ自然に接するとストレスが溶けていきます。

 硫黄臭の強い万座ホテルの露天風呂に入ると注意書き、「キツネに噛まれるので手を出さないでください」「キツネを見かけたらフロントまで」とありました。ホテルの露天風呂にもフラフラ出現しているのですね。


  本白根山周辺の2つのホテル。嬬恋プリンスと万座プリンスにはそれぞれタヌキとキツネが健やかに過ごしています。交通事故に遭わないことを祈りつつ、朝採れの新鮮なキャベツを購入して帰路に着きました。

2018/07/28

【Iran】東洋人(シャルギー) 井筒俊彦さんのドキュメンタリー映画

 井筒俊彦さんを紹介するwikiでは「文学博士、言語学者、イスラーム学者、東洋思想研究者、神秘主義哲学者」とありますが、イスラム教徒という属性はありません。
  

 今回は2018年7月24日に上演された井筒俊彦さんのドキュメンタリー映画「東洋人」(シャルギー)を紹介するものですが、上演が終わり、イランの方から監督のマスウード・ターヘリーさんへの質問で「井筒俊彦さんが自らイスラム教徒だ」と語った事実はないか、というものがありました(イランの人々の中では井筒俊彦さんはイスラム教徒であって欲しいと思われる)。
 しかし、この映画で出演する12カ国以上の著名な思想家102人とのインタビューでは井筒俊彦さんがイスラム教徒だった、という事実はなく、あくまでイスラーム学者、東洋思想研究者、神秘主義哲学者だったのです。

 私は、井筒俊彦さんのドキュメンタリー映画を観るにあたって、井筒俊彦さんの業績を言語学者としての側面とイスラームを含めた東洋哲学の研究家という側面からどのように描かれているのか仮説を持つことにしました。
 なぜなら、同じ哲学者を描いた映画「ハンナ・アーレント」を観たとき、ハンナ・アーレントの哲学に対して自分なりの意見や仮説を持っていなかったので、映画としては単調で正直面白くなかったからです。

 以下は、映画を観る前に私が立てた3つの仮説です。

 「我思う故に我あり」でなく、イスラームのスーフィーが神的属性を得た後のペルソナ転換から導かれる「我はそれなり」、という考えの違いが「神のコトバ――より正確には、コトバである神」とまで、井筒さんに言わしめたのではないか(言語学者の側面)、という「仮説1」。

 さらに「我はそれなり」はインド哲学のブラフマンとアートマンの合一と同じことであり、ユダヤ神秘主義のカバラの集団チューニングで得られるPrivilege(自分が何のために生まれてきたかをコトバで知ることができる権利)とも同じことである。これらの神秘主義が結果的に「神のコトバ――より正確には、コトバである神」につながるため、井筒さんは東洋西洋の神秘主義を横断的に学んだのではないか(東洋哲学者である側面)、というもうひとつの「仮説2」。

 そして最後の「仮説3」、井筒俊彦さんは現代の空海である。空海曰く「五大に皆響あり、十界に言語を具す」、空海の言う言葉=真言。

 今でも空海が中国の農民に親しまれているドキュメンタリーを観たことがありますが、同じように井筒俊彦さんはイランの人たちにこれだけ尊敬され親しまれているのは驚きであると同時に同じ日本人として嬉しくなります。そういう意味では、井筒俊彦さんは現代の空海だ、という私の「仮説3」は、思想は別にして著名な思想家102人の語る井筒俊彦像で納得できるものでした。

 「仮説1、2」に関しては、この映画ではスーフィズムやインド哲学そのものに触れることが少ししかなく、それを実証することはできませんでしたが、井筒俊彦さんの「『コーラン』を読む」のP38に以下の解説があります。

 「我々は言語学で、書かれたコトバを軽視するように教えられてきました。書かれたコトバでなくて、喋られたコトバーーそれこそ本当の意味での言語なのだ、と。・・・考えてみれば、当然のことですが、書かれたコトバは、喋られたコトバとはぜんぜん違った、それ自体の存在をもっているということがわかってきた。それがエクリチュール論です。・・・エクリチュールとしての『コーラン』は、神がムハンマドに直接語しかけた原初の具体的発話行為の場から一段離れたところで、イスラームの聖典として成立するのです。・・・つまり、もとの発話的状況から切り離されているのですから、誰でもそれを自由に解釈できます。」

 ここにある「もとの発話的状況」を井筒俊彦さんの「マホメット」のP88で以下のように解説しています。

 「マホメット自身が天使ガブリエルの姿をまざまざと見たと物語ることになっているが、これはずっと後日の反省の結果得られた解釈なので、はじめのうちは彼はそれを『聖霊』と呼んだ。しかし、それよりもっと前、つまり体験したばかりのときは彼は自分がてっきり何か悪霊に憑かれたものと思った。・・・気の弱い彼はその後もしばらくの間は、そういう体験があるたびに全身悪寒でがたがた震えながら妻のところへ駈け込んで来るのだった。・・・しかし冷静で大胆な妻ハディージァは、これは悪霊の仕業ではなく、真に神の霊感であることを疑わなかった。誰よりも先に彼女が入信した。」(この発話的状況はメッカ啓示であり、メディナ啓示ではおそらくこの状態ではない)

 ここでムハンマドがスーフィーにおけるペルソナ転換、インド哲学におけるブラフマンとアートマンの合一を起こしたとは思えない、あくまでムハンマドは「市場を歩き、物を食う」普通の人間であり、セム族的解釈においては強制的に「預言者」として神に選ばれた、ということになります。

 この映画では、井筒俊彦さんが「古代は神が中心の関係性であり、現代は人が中心の関係性である」ことを時系列で研究したとありましたが、現代物理学における人間原理と一致しているのも面白いことですね。

 したがって「仮説1、2」に関しては、今後の課題ということになりますが、エクリチュールから「神のコトバ――より正確には、コトバである神」という発想になることが、このブログを書くことで気づくことができました(笑)

 さて、「仮説1、2、3」の話はこれくらいにして、「東洋人」(シャルギー)という映画で発見した未来に関する重要なことをまとめておきます。

 この映画ではイラン人監督であるマスウード・ターヘリーさんが天才言語学者としての大川周明と井筒俊彦の違いを前半後半でうまくビルトインしていました。

 大川周明という人は民間人で唯一A級戦犯となり、東京裁判で東条英機の頭を何度も叩く人ですが、もともとは言語学者です。なぜA級戦犯となったかというと、大川周明は満鉄調査部や軍部とも関係を継続しつつ、大東亜共栄圏、大アジア主義というイデオローギーの創始者だったからです。

 大川周明の植民地として制服する大アジア主義の中にはイランなどのイスラームの国々も含まれ、オランダからアラビア語の基礎テキストの「イスラミカ」、イスラム研究の全文献の「アラビカ」のふたつの叢書を大金で買い求めました。それらを東亜経済調査局の図書室に入れたので、その整理を担当した井筒俊彦さんはこれらの文献を自由に利用することによって研究の基礎を築くことができた、と言われています(井筒俊彦さんは戦時中、東亜経済調査局にアラビア語整理という名目でアルバイトに行っており、そこで大川周明に出会った)。
 大川周明の大アジア主義は大東亜共栄圏として満州国となり、太平洋戦争に突入したのですが、東京裁判では狂人(諸説あるが)として裁かれることなく入院した病院で、『コーラン』の翻訳に着手し、1949年末についに翻訳は完了、翌1950年岩崎書店から『古蘭』として出版されました。これはアラビア語原典からの翻訳ではなく、英語だけでなく、ドイツ語、フランス語、中国語など10種あまりの翻訳を参照した日本語訳とされています。 大川周明は言語学者(戦前に、タイ語、マレー語、ヒンディー語、トルコ語、ペルシャ語、アフガニスタン語、アラビア語といったアジアの言語のエキスパートを育成しようとした)、イスラーム学者としても優秀な人だったのでしょうが、政治に興味があったのでしょうね。大川周明の『古蘭』は、1958年に井筒俊彦さんの原典からの翻訳『コーラン』が出現するまで、コーランの愛読者から尊重されていたそうです。

 井筒俊彦さんイスラム哲学(とりわけイランのスーフィズム)を軸としながら古代ギリシアやキリスト教の神秘思想、ユダヤのカバラ思想、インドのヴェーダーンタ哲学、大乗仏教、老壮思想、さらには日本的禅まで広く「東洋哲学」を見渡せる「もの」を創造したかったのでしょう。

 イランの人たちは、井筒俊彦さんを自分たちの文化的価値観や哲学の本質を中立公平にグローバルに伝えることができる人、と認識していると思いますが、それは米国などで行われる経済制裁を文化的な理解が進むことで和らげることができるのではないか、という期待が込められていると思います。

 西洋哲学はギリシャ哲学とユダヤーキリスト教を基盤にしており、そして西洋哲学は政治的にもEUとして結実している訳です。大川周明は西洋と対抗する意味でもアジアを政治的に統合するイデオローグだったのですが、それは実現することはありませんでした。そしてこれからもアジアがEUのように統合することは難しいでしょう。

 しかし、井筒俊彦さんが創造した東洋哲学を西洋人(特にアメリカ)が学ぶことはH・G・ガダマーの語る『地平融合』につながる、とイランの人たちは考えていることが、このドキュメンタリー映画で知ることができました。だから、タイトルが「東洋人」(シャルギー)なのですね。

 「二つのまったく違った伝統的文化価値体系の激突によって惹き起こされる文化的危機。そのダイナミックな緊張感の中で、対立する二つの文化(あるいはその一方)は初めて己を他の枠組の目で批判的に見ることを学ぶのです。そこに思いもかけなかったような視座が生れ、新しい知的地平の展望が開け、それによって自己を超え、相手を超え、さらには自己と相手との対立をも超えて、より高い次元に跳出することも可能になってくる。H・G・ガダマーの語る『地平融合』の現成です。」(イスラーム文化ーその根底にあるもの 井筒俊彦より)

 話を現代の世界情勢にデセンターしましょう。

 キリスト教国におけるユダヤ人の迫害は、ある意味イスラエルの建国により収斂することになりました。そして、それによりパレスチナの地を追われたパレスチナ人の問題は、起業家精神とテクノロジーで解決する方向に向いていく、と私は思います(日本の役割は重要)。

 しかし、イスラエルとイラン、サウジアラビアとイランの対立の問題は、アメリカとロシア・中国を巻き込む大きな問題として依然として横たわっています。この問題は政治的な解決で収斂をすることは難しそうです。この「東洋人」(シャルギー)という映画は、その解決のひとつの手段が、井筒俊彦さんが創造した(東洋と西洋が響きあう)東洋哲学を西洋に伝えること、と言っているのかも知れません。

 皮肉にも、旧約聖書はペルシャ帝国がユダヤ人を統治していたころ、ペルシャ帝国の高級官僚でユダヤ人司祭(学者)だったエズラがユダヤ民族の信じるものをまとめよ、と命を受けて編纂したものなのです(現在のイランが旧約聖書の生みの親で、キリスト教におけるローマ帝国の役割と同じ)。このエズラの役割を学者して自発的に果たしたのが井筒俊彦さんなのでしょう。

 102人がインタビューを通じて井筒俊彦さんを語ることでひとつのストーリーを作り上げる映画手法も面白く、多くの学者に観てもらいたい映画です。

2018/01/02

【Coffee Break】主査制度とアドホックチームの違いを知る人はほとんどいない(今のところ)

  縦割りの組織に製品やサービスのCEO的な存在である「プロフェッショナルマネジャー」(「プロダクトマネジャー」と「プロフェッショナルマネジャー」の違いを知る人はほんとどいない)をビルトインする方法はいろいろな方法があると思いますが、ここでは長谷川龍雄方式と糸川英夫方式の2つの方法について考察してみたいと思います。

● 長谷川龍雄方式

 トヨタが主査制度を取り入れたのは、立川飛行機の航空機設計を行っていた長谷川龍雄さんがポツダム宣言により航空機の開発が禁止されることで職を失いトヨタに転職後、航空機のチーフデザイナー制を自動車設計にビルトインするように提案し、当時常務だった豊田英二氏が主査制度として「担当車種に関しては、主査が社長であり、社長は主査の助っ人である」と定着させたからです。
 つまり、会社のトップが主査制度を作るべし、というスタンスで役職と役割などの枠組みを決め、そこへ人がアサインされるのではなく、長谷川龍雄さんという人が飛行機屋のミームを伝承する形で自動車会社に仕組みとともにビルトインしたため「仏作って魂入れず」にはならなかったのでしょう。

 「製品のCEOを作るべし」という薄っぺらいセミナーにどこかで参加し、我社にも主査制度が必要だと「主査」という役職を作るのもひとつの方法ですが「大衆側のコンセプトに立つ自動車を作る」ためには製品のCEO的な主査制度が企業側に必要だ、という「魂」がないと主査制度は定着しにくいのではないのでしょうか。
 また、「主査には権限はない、あるのは説得力だけ」だとしても「より良い製品をユーザーに届けたい」というDNAが企業全体にあるからこそ「製品のCEO=主査」が有効に機能するのであって、「製品のCEO=主査」だから主査には縦割り組織を動かす権限がある、と捉えては成功しにくいと思います。

参考:ドキュメント トヨタの製品開発: トヨタ主査制度の戦略,開発,制覇の記録(実際に主査として現場で活躍された安達瑛二さんのこの本は参考になります)


● 糸川英夫方式

 長谷川龍雄方式は自発的に長谷川さんが企業にボトムアップで提案し、それをトップが受け入れることで成功しましたが、糸川英夫方式は東京大学の第2工学部が前身の生産技術研究所で1954年にAVSA(Avionics and Supersonic Aerodynamics:航空及び超音速空気力学)研究班を組織したことからはじまっています。AVSA研究班とは1975年までに20分で太平洋横断する旅客機「ハイパーソニック輸送機」の実現を目標にしていました。

(ちなみに、SPACE Xのイーロンマスク氏が2017年に東京ニューヨーク間を37分で移動できる超高速旅客機構想を提唱していますが、糸川英夫さんのAVSA構想は1954年(敗戦は1945年)に提唱されています。イーロンマスク氏は世界最高の起業家、異次元の起業家と評されていますが、敗戦後まもない段階での糸川英夫さんのAVSA構想の存在を日本の起業家も知っておくべきではないでしょうか)

 国際科学研究プロジェクトである国際地球観測において高層大気観測を行うという方針が1955年に決定されたため、AVSA班の方針もロケット旅客機から観測ロケットへ変更されました(糸川英夫さんは血液型がB型のためか、こういう方針変更はお手のもの)。

 そしてペンシルロケットの水平発射実験につながって行くのですが、長谷川龍雄さんはトヨタのサラリーマンですから自動車を作るためにお金を集める必要がないので、起業家がプロダクトを作るための苦労は分からないでしょう(豊田佐吉さんや豊田喜一郎さんは分かる)。糸川英夫方式の大前提はお金集めを自分で行う必要があり、プロフェッショナルマネジャーの重要な仕事のひとつが「お金集め」になります(東京大学の生産技術研究所に属しているから給与はもらえますが...)。

 長谷川龍雄さんは豊田英二さんの力を借りて主査制度を組織にビルトインしましたが、中島飛行機の航空機エンジニアだった糸川英夫さんの場合は生産技術研究所に航空機のチーフデザイナー制度(主査制度)を持ち込んだ訳ではありません。東京大学生産技術研究所の縦割りの組織はそのままにした上でアドホック(adhoc)なチームを結成する方法を選んだのです(生産技術研究所は東京大学に属し、東京大学は国立大学ですからチーフデザイナー制度に費やす時間も無駄)。

 アドホックな組織にはAVSAのような名前をつけます。糸川英夫方式の重要な点はアドホックな組織のネーミングで、糸川さんは「名前が組織を作る」と断言しています(例えば同じように、イスラームの聖典であるクルアーンの「開扉」の章に「慈悲ふかく慈愛あまねきアッラーの名にかけて」とあるように、名付けるということはそれを存在させることであり、セム族では「名付けられる=創造」が同義語)。

 「ネーミングというのは、新しいものを考える、あるいは新しいビジネスを始めるためのグループを作った際に、決定的な役割を果たす。ネーミングからすべてが始まる、といってもいいくらいだ。」(創造性組織工学講座より)

 アドホックチームのネーミングが連帯感を生みますが、それがずれなく強固にするためにはミッション(使命)が必要になります。AVSAにおける「1975年までに20分で太平洋横断する旅客機」や「地球観測年に間に合う観測ロケット」などの明確なミッションが必要になります。これは長谷川龍雄方式でも同じことだと思います。

 糸川英夫方式を整理すると、従来の縦割りの組織をそのままにした上で、アドホックなチームを作り、適切なネーミングをし、ミッションをビルトインする、ということになりますが、基本的にプロフェッショナルマネジャーはリーダーシップという考え方ではなく、マネジャーシップという考え方で仕事を進めます。その他、ペアシステムで推進する点など糸川英夫方式にはさまざまな特徴がありますが、詳しい解説はここでは省きます。

 「プロフェッショナルマネジャー」をビルトインするための長谷川龍雄方式と糸川英夫方式の2つの方法は、自らの属する組織の性格によりどちらを適応すべきか判断がつくと思いますが、AVSAによりはじまった地球観測プロジェクトはミッションが宇宙観測の「はやぶさ」にまで進化し、JAXAというパーマネントな組織になった訳ですから、長谷川龍雄方式も糸川英夫方式も行き着く先はそれほど違いはないと思います。

 それにしても、長谷川龍雄さんも糸川英夫さんも以下の「航空禁止令」は本当に悔しかったでしょうね。お互い「翼」の設計者だったのですから...

4. On and after 31 December 1945 you will not permit any governmental agency or individual, or any business concern, association, individual Japanese citizen or group of citizens, to purchase, own, possess, or operate any aircraft, aircraft assembly, engine, or research, experi- mental, maintenance or production facility related to aircraft or aeronautical science including working models.

5. You will not permit the teaching of, or research or experiments in aeronautical science, aerodynamics, or other subjects related to aircraft or balloons.


2018/01/01

【Coffee Break】「プロダクトマネジャー」と「プロフェッショナルマネジャー」の違いを知る人はほんとどいない(今のところ)

 2017年はPMBOKやCCPMなどの如何に実装するかをテーマにした「プロジェクトマネジメント」と、売れる新製品や新サービスを如何に作りるかをテーマにした「プロダクトマーケティング」の違いを認識するセミナーが目立つようなりました。

 今、日本の企業に課された閉塞感を突破するには「プロダクトマネジメント」が必要、というニードが高まったからでしょうか。2018年はこの傾向がさらに顕著に表れ、それができる企業とそうでない企業が分かれる分水嶺になることでしょう。

 そこで、今回はプロダクトマネジメントの手法として国産ロケット研究から生まれた日本版システム工学(Creative Organized Technology)の新製品、新サービスのカテゴライズの方法から「プロダクトマネジメント」を考察してみたいと思います。

 日本版システム工学(Creative Organized Technology)では、スウェーデンのトルンクイストの商品弾性率理論をベースにBtoCにおける商品のカテゴライズを以下の方程式でグラフ化しています。

横軸:所得の増加率(dm/m  m:現在の所得、dm:所得の伸び)
縦軸:購買欲求率(dq/q  q:現在持っている数、dq:購買しようとする数)


第1商品群:生活必需品(食⇒衣⇒住)
第2商品群:代用品(バターの代用品マーガリンなど)
第3商品群:比較的ぜいたく品(自動車、バイク、TVなど)
第4商品群:純ぜいたく品(ゲーム、音楽などの持続性のない無限界商品)
第5商品群:情緒安定化商品(あるいは産業)

               創造性組織工学講座 P315より


 ここで一般的な日本人が「プロダクトマネジメント」という言葉から思い浮かべるのは第3商品群ではないでしょうか。なぜなら、日本企業がグローバルで脚光を浴びるようになったのはことごとく第3商品群なのです。例えば、第3商品群の自動車を販売しているトヨタ自動車はTPD(Toyota Product Development)という「プロダクトマネジメント」の手法を活用し新車を開発し、グローバルに販売して大きな利益を生んでいます(TPDは第1商品群の住宅の設計開発は土地の要素などが含まれるため適応しにくいのか、トヨタグループの住宅会社は大きな利益を生み出していない)。

 したがって、日本人が日本語で「プロダクト」という言葉で思い浮かべるのはテレビや自動車などのグローバルで成功してきた商品群(第3商品群)となります。シリコンバレーならIT、ロシアなら武器など、国により「プロダクト」からイメージする商品群は違いがあります。

 最近の日本食のブームから第1商品群(衣食住)に属する「和食」はグローバルで通用する商品となり、「見て楽しむ」要素が入ることでアートを融合したもので「プロダクト」というイメージとは結び付きにくいものです。第4商品群の「音楽」や第5商品群の「酒」も「プロダクト」と言われると違和感を感じます。

 また、第5商品群の情緒安定化産業のひとつに「宗教」があります。
 イエスキリストは意識していなかったにしても、パウロは、旧来のユダヤ教から派生した改善サービスであるエルサレム教会派でなく、シリアのアンティオキアを拠点にしてプロダクトマーケティング(ユダヤ教から割礼の習慣などをそぎ落とし簡素化)を行い新サービスとして「パウロ教」を生み出し、それを徹底的にマーケティング(3度の伝道の旅でのセミナー)してローマ帝国の衛星都市にビルトインした訳です。パウロ教を「プロダクト」と呼ぶとかなり違和感がありますね。しかし、当時の第5商品群の情緒安定化産業の新サービスであったことは確かです。

 新製品や新サービスを開発する際に「プロダクトマネジメント」は必須だと思いますが、「プロダクト」という言葉は業種や企業により変えた方が柔軟な発想が生まれ、守備範囲も広がります。

 例えば、新製品や新サービスを開発する「プロダクトマネジャー」をボーイングでは「システムスエンジニア」、デュポンでは「プロフェッショナルマネジャー」、自動車メーカーでは「チーフエンジニア(主査)」と呼び、守備範囲も業種や会社によりそれぞれ異なります。

(日本版システム工学(Creative Organized Technology)ではデュポンと同じように「プロフェッショナルマネジャー」と呼んでいます)。


2017/12/04

【Eating-out】浅草の落語と人形町のすき焼き


 12月3日、4日と浅草観光に出かけました。
 1日目は浅草演芸場で落語を楽しみ、水天宮のロイヤルパークホテルに1泊。
 

 翌日は水天宮と人形町の中間にある小網神社にお参り。
 この神社は社殿を含む建物全部が東京大空襲の戦災を免れたり、第二次世界大戦の際、この神社の御守を受け戦地に赴いた兵士が全員無事帰還したことなどから、強運厄除の神様として崇められるようになったそうです。


 また、「銭洗いの井」で金銭を清め、財布などに入れておくと財運を授かることから「東京銭洗い弁天」とも呼ばれています。


 甘酒横丁で甘酒を飲み、美味しそうなガンモを購入。


 十数年ぶり(前回は浅草店)に今半のすき焼きランチをいただくことにしました。


 今半はランチでも仲居さんが作ってくれるので、焼いている写真は撮りにくい(笑)


 肉はもちろんですが、千住葱の甘味が実にいい。旬だからこその味ですね。最後の〆はすき焼きを焼いた鉄鍋の残った出汁と肉の旨味で作ったフワフワ卵丼。二口ほどのご飯に乗せ、山椒を少々振って食べる。絶品!

 横浜に住んでいると感じることのできない江戸の面影と香りがする2日間でした。

2017/11/02

【Eating-out】下関のふくと高杉晋作の功山寺挙兵

 失効しそうなJALのマイルとPASMOのポイントをプラスしたら「どこかにマイル」(6000マイル)を活用できたので、10月30日、31日と下関を訪ねることにしました。
 北九州空港から小倉、平家最後の壇ノ浦の下関、高杉晋作が挙兵した功山寺、そして萩の松下村塾までの小旅行でしたが、快晴にも恵まれ楽しい旅になりました。


 最初のランチは小倉で焼うどん。
 小倉の鳥町食堂街の食堂で、焼きそばを作ろうとしたら麺がなく、仕方なく乾麺のうどんを使いソースで味付けをしたのが焼うどんのルーツなのだそうです。焼うどんというと醤油で味付けしたものをイメージしてしまいますが、ルーツはソース味だったのですね。


 軽く小倉城を散策し、電車で関門海峡を通過し下関へ。


 下関の街は韓国と日本の玄関口になるためか、いたるところにハングル文字が溢れています(もし、朝鮮半島で難民が発生したら下関に押し寄せる可能性が高い)。そして、下関と言えば「ふく」(下関ではフグのことを「ふく」と呼ぶ)ということで、夕食はふく料理で有名な大衆居酒屋の「三枡」を訪れました。


 時価で4,500円のふく刺。
 下関ではフグは毒を取り除いた「身欠き」の状態で手に入るためふくをメニューにするお店が多い中、三枡は居酒屋部門で人気ナンバーワンのお店です。


 店内は昭和の雰囲気が溢れ、熟成させ丁寧に仕込まれた名物の「ふく刺」だけでなく、他の刺身も鯨料理も、牛すじ煮込みも鳥の唐揚げも、私たちの舌に合う味で、もし下関を訪れるならもう一度訪ねたい店となりました。


 翌日はレンタカーを借りて、関門海峡を訪れました。
 武士の時代を作ろうとし、貴族のように変質していった平家最後の地が壇ノ浦です。


 安徳天皇の入水の像もあったのですが、あまりにも情緒がない像だったので写真は撮りませんでした(笑)


 関門海峡ではボランティアのおばさんが「ふく物語」という紙芝居を演じていたので楽しく聞かせていただきました。ふくを食べることを禁じたのは豊臣秀吉で、朝鮮出兵の際に兵士が戦う前にふくの毒で死んでしまうので、それを防ぐためふくを食べたら死罪にするという法律を制定したそうです。
 その後、明治維新が終わり初代首相の伊藤博文が故郷山口県の下関の料亭を訪れた際、その日は海が荒れ新鮮な魚が獲れず、仕方なく豊臣秀吉以来禁じられているふくを料理に出すことになったそうです(庶民は隠れて食べていた)。それを食べた伊藤博文は美味しさに感動し、ふく禁止令が解除されたのです。
 紙芝居で学んだふく料理の歴史ですが、旅をするといろいろなことが学べて楽しいものです。


 功山寺の高杉晋作。
 もし、高杉晋作が功山寺で挙兵しなければ明治維新のスイッチが押されることはなく、徳川の時代はもっと長く続いたのかも知れませんね。「人は理屈では動かない」ということを高杉晋作は教えてくれます。



 高杉晋作はたったひとりでも挙兵するつもりだったようですが、80名が集まった功山寺の敷地が意外と広いで、高杉晋作としてはもっと集まると考えていたのかも知れません(笑)


 ついでなので萩の松下村塾まで訪れましたが、世田谷の松陰神社の松下村塾と同じでガッカリ(笑)。ルーツは萩なので当たり前ですが...


 写真は萩の海岸。
 山口県のガードレールがオレンジ色なのは、山口県の長門の海岸に果物の種が漂着し、それを植えて育てたら、できた果物が夏に出来る柑橘だったので「夏みかん」と名付け名物となり、すべてのガードレールが夏みかん色(オレンジ色)に塗られたようです。



 関門海峡からの夕日を眺め、小倉の寿司屋で九州名物のサバ刺しをいただき、この旅は終わりました。

 「どこかにマイル」は4つの候補地から1つだけ選ばれるのですが、今回は札幌、小松、熊本、北九州で、偶然北九州が選ばれたからこそ高杉晋作の心意気に触れれる「功山寺」にも訪れることができ、さらに三枡の「ふく(福)」とも出会うことができました。

2017/02/05

【Japan】シリア難民とスティーブ・ジョブズの生涯(2017年1月29日のブログの続き)

 今回のブログは頭を整理しておきたかったことを備忘録としてまとめたもので、いつもと趣が違いますが、2017年1月29日のブログ「鶴岡八幡宮の初詣とヨブ記、そして映画『沈黙 -サイレンス-』」におけるヨブが対峙し納得した全能者を「宇宙の法則」と捉え直したものです。

(By Sam Dredge)

 相対性理論では時間と空間は相互に関連したもの(時空)として捉えられていますが、さらにブロック宇宙論では時間は過去、現在、未来と流れるのではなく同時に存在していると捉えられています。この考え方が正しいか否かは別にして、過去、現在、未来が同時に存在するならば、過去が未来に影響するのと同じように未来が過去に影響する、と考える学者もいます。そして、はじまりと終わりの中間には量子力学的なレベルを含め未来の選択が不確定性を引き起こしている、はじめと終わりは決まっていたとしても中間に不確定性があるが故に自由意志が存在する余地がある、とも言われてします。あるいは、脳科学的には0.2秒だけ自由意志が存在する、という研究結果もあります。

 因果律的な考え方には時間が過去から現在に流れる、という大前提があり、その大前提があった上で「過去の原因が現在の結果を生む=因果応報(因果律)」と考えます。ヒンズー教的には「善をなすものは善生をうけ、悪をなすものは悪生をうくべし。浄行によって浄たるべく。汚れたる行によって、汚れをうくべし」と捉え、ヨブと友人は神が出現する前は「因果応報を、ヨブはよい行いをしてきた者にはよい報い、ヨブの友人は悪い行いをしてきた者には悪い報いを受ける」と捉えていました。
 イスラーム的には「審判の日に(天の)帳簿が開かれるのですが、その帳簿にはその人の行為が詳細に記録されています。記録したのは天の経理担当者ではなく、現世の各人の右肩と左肩にいる天使で、右肩の天使が善行を、左肩の天使が悪行を詳細に記録しています。そしてこの帳簿は審判の日に右手に渡されたものは天国へ、背中に渡された人は地獄へ送られます。」 (イスラーム金融とシャリーア・コンプライアンス) 、と因果応報が現世と来世にまたがっています。

 しかし、キリスト教は因果律でなく「人が救われるのは、人間の意志や能力によるのではなく、全く神の自由な恩恵に基づくという聖書の教理。」という予定説(Predestination)になります。キリスト教的には因果律という考え方は存在しません(ユダヤ教的にはヨブ記において、因果律に対する疑問は示されたが、それは確立しなかった)。


 因果律の逆に、未来が過去に影響を与える(逆因果関係)としたら、自分の未来を知るためには過去を振り返ることが重要になってきます。ユダヤ教のタルムードには未来を拓く方法として「後ろ向きに座って櫓を漕ぐ」という格言がありますし、スティーブ・ジョブズは有名なスタンフォード大学での講演でこのことを強調しています。


 「未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、
 君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。
 だからこそバラバラの点であっても
 将来それが何らかのかたちで
 必ず繋がっていくと信じなくてはならない。
 運命、カルマ…、
 何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。」


 では、スティーブ・ジョブズの生涯でこのことを考察してみましょう。

 スティーブ・ジョブズの代表的なイノベーションのひとつはスタンフォード大学の講演でも述べている美しいフォントです。

 「退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義で学ぼうと思えたのです。ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。科学ではとらえきれない伝統的で芸術的な文字の世界のとりこになったのです。」

(nippon.comより)

 ジョブズの言葉に「科学ではとらえきれない伝統的な文字の世界」とありますが、文字を神への芸術にまで高めたものとしてアラビア書道があります。

 「神の言葉を美しく書くために、1本の線に磨きをかけながら1000年以上の時間をかけて作り上げてきたんです。調べて見ると、文字のいろいろな部分の比率が黄金分割になっている。ピカソはアラビア書道について『すでに芸術の最終目標に達し始めている』と言っています。西洋美術が追い求めてきた完全な美しさを体現している。」


 そして、もうひとつのイノベーションはスマートフォンではないでしょうか。スティーブ・ジョブズそのものがスマートフォンを発明した訳ではないでしょうが、現在使われているスマートフォンの基本的な機能や形を定義し普及させたのは彼です。そして現在、スマートフォンはシリア難民などの必須ツールです。(「難民はなぜスマホを持っているの?」という素朴な疑問の答えから見えてくること

 「死と隣あわせの海の旅の途中で撮った写真は、難民申請を行う際の証明材料のひとつになります。また、スマホのGPS機能は、避難の道のりで大きな役割を果たしてくれることはいうまでもありません。さらに、先に同ルートを辿った仲間と情報交換をしたり、旅の途中ではぐれた家族と、アプリで連絡を取りながら目的地で再会するといったことも、スマホがあるからこそ可能になることなのです。」

(UNRWAより)

 2011年3月に起きたシリアの内戦から多くのシリア人が難民となりました。よく知られたことですが、スティーブ・ジョブズの実の父親はアラビア語を話すシリア人です。そして、美しいフォントのイノベーションはアラビア書道の影響からとも考えれますし、シリア難民の手助けをしているのがスマートフォン、とも考えられます。

 偶然にもスティーブ・ジョブズが亡くなったのはシリア難民が出現した年である2011年(10月)。未来が過去に影響を与えるとしたら、ジョブズの生涯は以下のように捉えることができます。

 「シリア難民の出現にジョブズの生涯が間に合った」

 そしてもし、はじめと終わりが決まっているならば、ジョブズの生涯は宇宙の法則通り(不確定性状態における自由意志でNeXTを創業した)、と捉えることができるのではないでしょうか。


2017/01/29

【Japan】鶴岡八幡宮の初詣とヨブ記、そして映画「沈黙 -サイレンス-」


 1月29日に遅まきながら初詣に鎌倉の鶴岡八幡宮を訪れました。源頼朝により鎌倉幕府の宗社とされた神社ですが、横浜からは近く、春の訪れを感じる鎌倉の街を散策しつつ時季外れの初詣を行うことができました。

 私の場合、どこの神社に訪れても賽銭を入れてお祈りするのは家族の健康ぐらいですが、何らかのご利益(Give&Take)をお祈りするのが神社と向き合う一般的な日本人の姿です。そしてお盆にはゾロアスター教からの慣習である先祖供養を行います。つまり、日本人は神や仏は「選ばない」という選択をしている訳です。

 そういう習慣を持つ日本人のひとりである遠藤周作さんは、母親がクリスチャンのため洗礼を受け、キリスト教を独自解釈し「沈黙」という小説を書き上げ、さらに「死海のほとり」で「同伴者としてのイエスキリスト」という信仰を確立しました。晩年は病と闘いながら「ヨブ記の評論」を書きたいと考えていたようですが、それは果たせず73才で永眠されました。
 英国の作家であるグレアム・グリーンが遠藤周作の「沈黙」を高く評価したため海外での評価が高まり、マーティン・スコセッシ監督が苦心して映画化に成功した訳です。

 そこで今回は、「ヨブ記について」を私なりにまとめ、映画「沈黙 -サイレンス-」の感想をまとめてみたいと思います。

 ヨブ記のあらすじは松岡正剛さんの千夜千冊「ヨブ記(岩波文庫)」に委ねますが、苦難を受ける前のヨブはユダヤ教的(律法)に「正しい人」で幸せな日々を送っていました。その後、ヨブが苦境に陥ると友人たちは、ヨブが苦しむのは罪を犯したからだ、という因果応報的論理で解釈します。しかし、ヨブは自分は正しい行いをしてきたと考えます。Wikiによると因果応報は下記のように解釈されていますが、因果応報をヨブはよい行いをしてきた者にはよい報い、ヨブの友人は悪い行いをしてきた者には悪い報い、と捉えているのです。

「本来は、よい行いをしてきた者にはよい報いが、悪い行いをしてきた者には悪い報いがあるという意味だったが、現在では多く悪い行いをすれば悪い報いを受けるという意味で使われている。 」 Wikiより

 日本人は初詣でお賽銭を投げたとき、自分はいつも正しい行いを行っているからよい報いを与えてください、とはお祈りしません。どんな行いをしていたとしても小銭でご利益を求めます。


 このヨブと日本人の違いはどこから来るのでしょうか。。。

 私は、セム系一神教の神がユダヤ教もキリスト教もイスラームも「人格神」だからこそではないかと考えます(人の人格を持った存在が彼らの神)。その人格(ペルソナ)がユダヤ教、キリスト教、イスラームとそれぞれ違うだけなのです。

 そして最後に、人格神は沈黙を破りヨブの前に現れ、ある意味頭ごなしに「わたしが大地を据えたとき、おまえはどこにいたのか。」「これは何者か。知識もないのに、神の経綸(秩序をととのえ治めること)を隠そうとするとは。」と一気にたたみこんでしまいますが、ヨブは納得し従います。ヨブ記において人格神は沈黙しておらず、最後に出現することでヨブは納得するのです。

 「ヨブはふたたび健康を取り戻し、財産が2倍になって復活し、友人知人たちが贈り物をもってひっきりなしに訪れるようになる。ヨブは7人の息子と3人の娘をもうけ、4代の孫にも愛され、なんと140歳まで生きながらえた。」

 というハッピーエンドの物語です。

 しかし、大前提としてユダヤ教やキリスト教においては「民は罪の状態」にあることで「人格神の沈黙」は正当化されています。ヨブが自分が律法的に正しいと考えていたときも苦しんでときも罪の状態ですから、人格神は沈黙しています。さらに、一神教とは人格神が「ひとつ」ですから人が人格神を選ぶことができません。人は人格神が沈黙を破るのを待つしか方法がありません。ユダヤ教を信ずるユダヤ人はもう4000年以上待っています。

 キリスト教ではユダヤ教の人格神にイエスキリストと精霊が加わり三位一体と考えます。そして人格神はイエスキリストという人格神をこの世に送り込むことで沈黙を破り、アガペーを説きました。欧米人にとりイエスキリストは人格神そのものであり「人」ではありません。しかし、人格神の沈黙を待ち続けているユダヤ人にとっては「タダの人」です。

 遠藤周作さんにとってイエスキリストは人格神というより「人」です。「死海のほとり」では「苦しむ人に寄り添うことしかできない人であり、失敗ばかりする人であり、70kgの十字架に貼り付けになることで、今までの失敗というマイナスの連続を括弧で括り、最後にマイナスを掛け算してプラスにしてしまった人」と捉えられています。これは欧米人の人格神という考え方とはかなり違うため、小説「深い河」ではクリスチャンである大津を通じ異端的考えだと断言しています。

 欧米人のクリスチャンにとってはイエスキリストという存在の出現がセム系人格神が沈黙を破ったことになるのでしょうが、日本人クリスチャンには三位一体であるイエスキリストは沈黙したままとしてしか捉えることができず、人格神そのものの存在が消えてしまいます。そこで遠藤周作さんはセム系人格神を以下のように捉えることにしたのです。

 「いつもすぐ近くで連れ添ってくれる同伴者=ナザレのイエス(イエスキリスト)」

 このことは「沈黙」から小説「死海のほとり」に至ることで、より輪郭がくっきり描かれています。

 ヨブ記での人格神はCreator(創造主)ですが、Creatorが存在するか否かは別にして、人間が支配されている自然界の法則は「ニュートン力学」であったり、「相対性理論」であったり、ミクロになると「量子力学」であったり、さらにミクロな「超ひも理論」だったり、ユニバースを基軸に考えれば「強い人間原理」だったり、マルチバースを基軸に考えれば「弱い人間原理」だったり、あるいは個人を基軸に考えれば「運命」であったりします。人格神であるからこそ沈黙という概念が生れてきますが、人格神でなく自然界の法則(Creatorが創造したかどうかは別にして)から考えると、沈黙はあたりまえ、ということになります。


 これらの前提で映画「沈黙」を観た感想は3つ。

 ひとつは、原作の小説が日本の漁民(百姓)の匂いを描写していたため、本のページから肥溜めの匂いすらイマジネーションできましたが、映画ではそれを感じませんでした。欧米の農家のイメージは牧草地に放牧された牛の糞の匂いであって、それにハエがたかっていたとしても、日本の農村の肥溜めにハエがたかるような感じではありません。遠藤周作さんの他の作品には「匂い」を感じませんから、「沈黙」では意識してそれを描写した(当時の日本の漁民や百姓をイマジネーションさせるため)と思うのですが、映像では「匂い」は伝わりにくいのでしょうね。

 二つめは、遠藤周作さんがあるエッセイで、グレアム・グリーンのことを「小説の中で心理的な解説を書くことが欠点だ」と批判していたように、ラストシーンでマーティン・スコセッシ監督はロドリゴの心を具象化させた...。もし遠藤周作さんがこの映画を観たら、原作のように描写せず、読者のイマジネーションに委ねた方がいい、とクレームを出したのではないでしょうか。なぜなら小説「沈黙」では、わざわざ最後のロドリゴとキチジローの生活描写は現代の日本語でなく、江戸時代の古文で記述してあります。マーティン・スコセッシ監督が神父になりたかったという経歴を持つが故の描写なのかも知れませんが、日本人としては、感動に永続性を持たせるならば具象化は不要だと思いました。

 三つめは、イスラエルでもヨルダンでも感じることですが、イエスキリストが過ごしたユダの荒野はまったく音のない世界なのです。つまり、Silentなのです。Silentであるからこそ、Creatorの声がイエスキリストのような預言者たち(ナビー)には聞こえるのではないでしょうか。日本の自然環境では海に行けば「波の音」、山に行けば風に揺れる「木々の音」があり、砂漠のように「まったく音がない」という場所はありません。預言者がイマジネーションから聞くものは、まったく音がないからこそ「Creatorの声=人格をもった神の声」になるのであって、もしそこに風に揺れる木々の音や波の音があったら人格を持つものでなく、自然の音からの自然崇拝になり、「Creatorの声=人格神」という発想になりません。

 映画の冒頭でまったく音のないシーンがあり、そのときにヨルダンのペトラ付近のホテルに泊まったときの荒野の静寂を思い出しました。日本の自然と比較してみると、日本に人格神が根付かない理由が分かる気がします。遠藤周作さんはそれを日本人に合うように、小説という手段で「いつもすぐ近くで連れ添ってくれる同伴者=ナザレのイエス(イエスキリスト)」と改善しました。そしてマーティン・スコセッシ監督はラストシーンを欧米人に合うように改善し世界に発信しました。

 欧米人はそれをどう評価するのでしょうか…(つづく