ラベル France の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル France の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012/05/21

【Jordan】本物のジョン・バプテスマとネボ山からのジェリコ

 アンマンに夕刻到着し、タクシーで死海のホテルへ移動し遅い夕食。


 翌日の朝食にさっそく現れたハム泥棒。

 全部で5匹ぐらいの猫がマリオットホテルの朝食には出没します。ランチ時や夕食時にも出没して、腹を満たしているので、ふくよかな猫ばかり。

 朝食後死海へ。
 これで死海に入ったのはイスラエル側で3回、ヨルダン側で2回目。相変わらずの濃い塩分とミネラルだっぷり。


 最近の考古学の進展で従来はイスラエル側のヨルダン川にあるジョン・バプテスマ(ヨハネの洗礼地)は、イエス・キリストの時代にはヨルダン側にあることが発見されたらしいので、そこに行くことにしました。土の下5mほどに現れた2000数年前のジョン・バプテスマ。


 少し歩くとヨルダン川。この川のこちらは「EAST BANK」(ヨルダン領)、川の向こうは「WEST BANK」(パレスチナ)となります。WEST BANK側の上にはイスラエル国旗が。。


 ネボ山はモーセがエジプトからエクソダスし、亡くなった終焉の山。これはモーセの杖のモニュメント。山頂の近くでモーセが杖を刺した場所から湧水が出現しモーセ・スプリングから緑が連なっています。


 ネボ山から眺める「乳と蜜の流れる地」。ヨルダン川の向こうはジェリコ。死海に流れ込むヨルダン川の周辺は緑に覆われています。荒涼とした荒野を通り、この緑を眺めると「乳と蜜の流れる地」が実感できます。


 JICAの支援で建てた「Dead Sea Panoramic Complex」の床にある死海の収縮予測。この建物のレストランで遅いランチ。

 ガイドをしてくれたのは、東エルサレムで生まれヨルダンに移民したパレスチナ人。ヨルダンはヨルダン人(ベドウィン系、チェルケス系、チェチェン系)とパレスチナ人により構成されています。ガイドの人にエルサレムに20回以上行ったと話したら「You are lucky」と...


 翌日はタクシーでアンマンへ。アンマンのアル・フセイン・モスク近くの市場。アル・フセイン・モスクが地元向けのモスクなので、この市場は地元の人で一杯。
 アンマンはエルサレムのように山の多い地形で、急な坂に家があります。


 歩き疲れて地元の食堂に入りランチ。おいしいケバブで驚き。イラク料理の店だと店員は言うのですが、確かにフムスなどなく、ヨルダン系とは少し違う感じがしました。ペプシ2本と合わせ二人で5ヨルダン・ディナール(400円程度)。安い!
 ホテルに戻り死海に。


 ホテルのレストランで夕食時に飲んだヨルダンワイン。ジョン・バブテスマの近くの畑で取れたシラーのワイン。スパイシーでおいしい。ヨルダンのワインはこの「JORDAN RIVER」という銘柄と「Mount Nebo」(カベルネ)の2種が有名。私は前者が好みです。


 3日目はホテルで一日ゆっくり。
 向こうはパレスチナ(イスラエル)です。イスラエル側のリゾートは死海の南にあり浅瀬でホテルからすぐに死海になりますが、ヨルダン側はヨルダン川が流入する深場で死海まで少し歩きます。やはり6年前に訪れた時より水位が5m程下がっており、道なども作りなおしてありました。


 イスラエルまで浮かんで泳げそうな感じがしますが、中央で浮かんでいるのが私です。

 死海に初めて入る人は顔をついつい洗ったりするので、死海の水が目に入り大変なことになります。イスラエル側は子供多く、たまに「ギャー」と鳴き声がしますが、これは死海の水を飲んだか、目に入ったかのどちらかです。すぐに水で洗わないと大変なことになります。塩分が30%を超えるのですから気をつけましょう。

 死海に浮かぶと、切り傷などは最初は痛いですが、すぐに再生します。身体にミネラルが染み込み夜は熟睡。まるで「身体の再生液(アンチエージング液)」ですね。


 これはジョン・バブテスマのお土産屋で購入したものです。
 これは最初エルサレムのホテルで発見し、エルサレムだから仏教の土産物も売っているのかと思い店員に「何か」と聞いたのですが、ユダヤ人は誰も知りません。数年後、ベツレヘムに行く機会があり、ベツレヘム(パレスチナ)のクリスチャンに「何か」と聞いたら、「キリストとパウロの手」とのこと。キリスト教はパウロが異邦人に伝道したことからパウロ教とも呼ばれていますが、そのことを意味していたのです。

 日本の仏教ですと、「親鸞と蓮如の手」という感じでしょうか。
 自宅の玄関に飾ってありますが、キリスト教のお土産とは想像しにくいですね。

 参考:(前編

2012/05/20

【France】感動的フレンチ「アルページュ」とブルゴーニュの畑

 5月10日から18日まで、パリ経緯で死海(ヨルダン側)に行って来ました。結婚10周年の旅行ですが、今回は特に新しい場所をめぐるのではなく、以前にも訪れた場所を再訪問する旅です。


 パリに到着してアラブ世界研究所に訪れました。フランスはマグレブ諸国からの移民が多く、その数は400万人とも言われていますが、世代を重ね2世、3世の時代になり、自分達の故郷を知らない子供たちのために、アラブ社会の地理や歴史、図書館などがあります。学校の先生が子供たちのグループに展示されているものを説明している光景に出合いましたが、フランクフルトのユダヤ博物館(ドイツとフランスが交るアルザスへ)でも同じような光景を見ました。移民を抱える国々にはルーツを教える場所が整備されているようです。



 オルセー美術館がリニューアルしたらしいので、再び訪れることにしました。バックをグレーにするjことで絵画が明るくなったと言われています。踊り子で有名なドガの個展も併設で開催していました。彼の人間の骨格というか、バランスというか、各姿勢というか、数多くのデッサンは絵画「踊り子」に凝縮しています。オルセー美術館の印象派の作品はどれも間近で見ることができ、筆のタッチまで観察できます。以前は写真撮影できたように記憶しているのですが、今回は禁止。たくさんの人がオルセー美術館の時計の中から写真撮影していたので、便乗撮影したものです。
パリは今回で6回目ですが、エッフェル塔に昇っていないということで、はじめて昇りました。エッフェル塔にはアラン・デュカスのレストランがあり、最上階でハウスシャンパンを飲むことができ、ちょっと一杯。
道が放射線状に延びているので、パリの街を車で運転するのは難しそうですね。


 今回パリに立ち寄った目的はパリの星付きレストランで夕食をとること。日本から2か月前に予約したレストランは「アルページュ」。日本のフレンチで白金にあるカンテサンス(白金時代のカンテサンス)という日本での三ツ星レストランのシェフ岸田周三さんが日本に持ち込んだ肉の焼き方で、60℃以下の温度で肉を焼き、冷ますことを何度も繰り返し、肉にストレスを加えない焼き方があります。
これは「アルページュ」で創造されたもので、ここで働いていたシェフがパリに出した店に岸田周三さんが勤め、星付きレストランにしたことが彼を有名にし、「カンテサンス」を日本にオープンしたのです(現在はオーナーシェフらしい)。

  Cuisine Choisie (選りすぐりのお料理コース) 


 メープルシロップ入りのコクティエール
 スプーンで底に沈んでいるメープルシロップをすくって卵と混ぜながら食べます。メープルの甘さとクリーミーな卵が溶け合って、優しい味わい。


 何層ものそれぞれの野菜の味を生かしたポタージュをスプーンですくって、口の中で混ざり合うと不思議に美味しい・・・魔法のスープ


  新玉ねぎのものすごい甘さと、上の乗せてある野菜のドレッシングの酸味、塩味が、それぞれ美味しい。その上一緒に食べると、美味しさが倍増するのです!ここのお料理は全て、一皿毎のマリアージュが完璧。

 
 ラヴィオリ。中身はそれぞれに違う野菜。じっくり時間をかけて作られた素晴らしい透明感のコンソメで。お店で使われる野菜は、全てにこだわりのある有機(ビオ)野菜の朝採れもの。


 アワビのグリル、ニンニク風味、エシャロットの塩バターのコンフィ添え。アワビの焼き加減、ニンニク&塩加減が丁度よく、散らしてあるネギも合う。旨い!


 Morey Saint Denis
 1er CRU CLOS DE LA BUSSIERRE
 Georges Roumier

 飲み易く、これから出てくるオマールにも子牛にも優しく合う。それまでは、シャンパーニュとブルゴーニュ白をグラスで頂きました。


 メレゲーズ(アラブ風)でクスクスがかかっています。エンドウ、フェンネル、ズッキーニなどの朝採れ野菜がそれぞれとても濃い味。アルガンオイルで更に奥行きが広がる野菜たち。


 オマールエビのコート・ドゥ・ジュラ風。火の通り加減,味わい、文句なし!付け合わせのジャガイモの燻製も美味しかったが、オマールエビ以外に他に何も要らない位・・・


 これぞ、アラン・パッサールという作品です。この色は,何の肉なのか?と思わず尋ねてしまう。。子牛のモモ肉。きめの細かい繊維質、美しい・・食べる前から色々想像してみるが,食べると想像以上の味わい。こんなに美味しい牛肉があるのか・・信じられない。

 
 ブルーチーズのケーキ風。
 オリーブオイルとグレープフルーツの酸っぱくコクのあるソースとネギの付けわせ。ネギ?チーズにネギ・・・それが旨いから不思議。アワビでもネギがちょっとしたアクセントになっていた。


 ミルフィユ。ルバーブ(フキ)だと思われる。甘くないコンフィチュールがはさまれています。塩キャラメルソースで。


 スュクルリー。マカロン、ヌガー、チョコレート・・・
 食べきれないので、お持ち帰りしました。


 キッチンの中を見せてくれました。
 思ったより大きくないが、きっと機能的なのでしょう。このあと大忙しの中、皆で記念撮影のサービスもして頂きました。

 「アルページュ」は一皿の中でソースとのマリアージュは完璧。独創の肉料理と有機野菜の全体のバランスも完璧。フランス人の料理へのこだわりにはかなわないと痛感するおいしさです。

翌日はディジョンに移動。


 デイジョンの店
 「マイユ」のマスタード

白ワイン
シャブリ
シャルドネ

 などのマスタード。
 試食したらあまりにおいしいのでお土産に。

ボーヌのマルシェ。季節の野菜が一杯。


 ブルゴーニュの定番ブフ・ブルギニオン。
 ビーフの赤ワイン煮です。美味しいディジョンのマスタードをたっぷり付けて食べるとさっぱり食べることができます。もちろんブルゴーニュの赤ワインを合わせて。この他に同じくブルゴーニュの名物エスカルゴも頂きました。


 ボーヌから電車でニュイ・サン・ジョルジュ駅まで10分ほど。そこからボーヌ・ロマネの畑を目指してウォーキング。ふかふかの畑。靴が土の中に入り込む。

2日間のフランス滞在で、翌日は死海を目指しアンマンへ。
後編)に続く。

2010/12/15

【France】ボルドー・サンテミリオンとアルカッション

        シャトー・マルゴー

        シャトー・ラフィット・ロートシルト

        サンテミリオン・モノリス教会


 先週は遅い夏休みをいただきボルドー、サンテミリオンとワインの産地巡りをしました。6月に母親と同居してから長期旅行は区のショートステイの予約に合わせて行っていますので、①仕事の都合、②ショートステイ、③飛行機、④各種予約の順で旅行計画が決まってきます。で、今年は夏休みが12月になってしまいました。来年はもう少しスムースに行くと思いまが、ショートステイのシステムはありがたいものです。

 やはり、ワイン産地巡りには現地に精通したガイドが必要になります。今回はボルドーにお住まいで、ドラマ神の雫のフランスコーディネーター、漫画にも「どうも、加藤です」と登場した加藤尚孝さんにお願いしました。

 最初はシャトーマルゴーに訪問。オーナーが100%株式を持つ会社でオーナーもシャトーに住んでいますが、嗜好品は利益だけでないこだわりが必要な商売なので、株式を多くの人が持ち収益を求める株式会社には合わないのでしょう。写真のセラーには2009年の1級とセカンドのすべてが貯蔵されていますが、2009年は葡萄の大変良い年なので、さぞかしおいしいワインができることでしょう。試飲は2007年のマルゴーとセカンドをいただきました。久しぶりのメドック1級シャトーの味。一般的にワインのシャトーに行くと試飲とともに購入用のワインが並べてありますが、5大シャトーは販売は一切していません。写真は案内してくださったマリーさん。

 続いてシャトー・ラフィット・ロートシルトですが、写真のようにセラーが円形。円形のためにすべての樽が等距離で仕事がやりやすく、年に2回コンサートホール(300名が椅子席で鑑賞可能)としても使われるほど音響が良いそうです。試飲は1995年のラフィット、2杯もいただきました。1995年は15年経過していますが、さらに熟成したらもっとおいしくなりそうです。以前に1961年のラトゥールを購入した際にブショネで、購入した酒屋で交換してもらったのが、1961年のラフィットでした。そのことを案内してくれたエリックさんに話したら1961年は100%カベルネ・ソーヴィニヨンだったそうです。

 なぜかは知りませんが、中国ではラフィットが人気で、ラフィットを飲むのがステータスのようです。おかげで値もつり上がり、まだ樽で熟成中の2009年は1400ユーロ/本の値がついてしまったそうです。中国バブルが崩壊するまでの辛抱かも知れませんが、困ったものです。ここも中国人に人気らしいのですがランシュ・バージュに訪問。メドック地区の格付けはナポレオン時代のもので、その後はシャトー・ムートン・ロートシルトが2級から1級に昇格し、1856年にシャトー・カントメルルが第5級に追加されただけで、後の格付けは不変です。

 翌日は祭日だったので港町のアルカッションまで電車で移動し、生牡蠣をいただきました。フランスの生牡蠣は番号により大きさが違い(No.0~No.5まであり、0番が一番大きくて約150g/個、一番小さい5番は約35g/個)ますが、ここでは2番を選択。夜はボルドーの街に宿泊したので、名物のジロンド川産ヤツメウナギのワイン煮をいただきました。

 翌日はサンテミリオンに移動し、クロ・フォルテ、家族経営のラニオット、ペトリュス一族がオーナーのガデ・サン・ジュリアンを訪問しました。クロ・フォルテもガデ・サン・ジュリアンも地下のCave(セラー)が広く驚いたのですが、サンテミリオンには地下がたくさんあるようです。写真のモノリス教会も自然岩をくり抜き地下に聖堂がありました。

 この地域のワインはメドック地区と違いメルロー主体。隣のポムロールのペトリュス(シャトーに日本の鳥居が建っていた!)や一本松のルパン(現在新シャトー建築中)もメルロー主体。泊ったホテルのレストランで飲んだシャトー・パヴィもメルロー主体でタンニンが強くなくやわらかな好みの味でした。

 フランスのワイン産地の旅は「ブルゴーニュ地方」「シャンパーニュ地方」「アルザス地方」と今回の「ボルドー地方」と、だいたい一巡しました。

          

2008/09/08

【France】ドイツとフランスが交るアルザスへ


 8/27から9/4日まで夏休みその2でドイツとアルザスに行って来ました。フランクフルトの空港から電車でライン川のワインの街リューデスハイムへ行き、近辺のワインセラーを訪問。ひとつはベネディクト派のヨハニスベルグ修道院で畑の中に北緯50度の緯度線があり、世界でも高緯度の葡萄畑。もうひとつはシトー派のエーバーバッハ修道院。夜はつぐみ横丁で飲んだくれ、ライン川を遊覧船で下りローレライを経由し、モーゼル川との合流点でドイツ最古の街コブレンツへ。その後電車でドイツからフランスのアルザス地方へ。アルザスワインの首都と呼ばれ、「ハウルの動く城」の舞台になったコルマールへ拠点を移しました。ここでもワインセラーを4件ほど訪問。日本でも有名なトリンバックや、地元のリースリングワインのセラーへ。ドイツワインと違い石灰岩の地域であるアルザスはリースリングワイン独特の石油の匂いとミネラルが感じられます。驚いたのはリースリングの貴腐ワインを小さなセラーが挑戦していて、1990年代にあった貴腐葡萄からのものでしたが、甘みとリースリングのさわやか感が最高の味でした。ここまでで14本のワインを購入。アルザスは食材の宝庫と呼ばれ、一流シェフやパティシェを生んでいますが、その中でも世界的に有名なクリスティーヌさんのジャム屋さんにも訪問。日本でレシピが本になっていますが、世界一のジャムというだけあって、おいしいーーー。そして、このblogで紹介した(閉店したタテルヨシノ芝店)日本人シェフの杉本敬三さんの働くレストラン(Auberge du Schoenenbourg)にも行きました。フランスの三ツ星レストランで働いて帰国する人はたくさんいますが、フランスのレストランに星を取らせることで名をあげて日本に帰国する人は多くいません。このblogで以前に紹介したカンテサンス(白金時代のカンテサンス)の岸田周三さん(愛知県豊明市出身)。そして、いずれ日本に帰国して岸田さんのライバルになるであろう杉本さん(京都出身)ぐらいではないでしょうか。この二人はきっと日本のフレンチを世界水準に引き上げる人たちだと思います。

 また、アルザスは歴史的に面白い地域でドイツに占領されたり、フランスの領土になったりと、何度も国籍が変わるという経験をしています。一般的にはフランス語ですが、アルザス語(ドイツ語の方言)が話せる人もいて、コルマールから電車30分なのでスイスのバーゼル(国際的製薬会社の本社が集中)まで行き働く人も多いようです。「ヨーロッパの未来はドイツとフランスが共存することが第一」、アルザスはEC(欧州共同体)の象徴的な地域(アルザスから―ヨーロッパの文化を考える)なのです。ストラスブールを観光し、フランクフルトへ電車で戻り、ゲットー博物館やユダヤ博物館を訪問。イスラエル建国までのフランクフルトでのユダヤ人の歴史が陳列されていました(もちろんここにはNAKBAの資料はありません)。多くの小学生が先生から説明を受けていましたが、こういう地道な積み重ねも重要なことだと思います。日本の教育ではどうなのでしょうか?