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2014/04/05

【Palestina】十条のパレスチナ料理 Bisan


 今日は買い物の帰りに十条にあるパレスチナ料理の店 Bisanに行きました。Bisanとはパレスチナにあった町の名前とのこと。「あった」ということなので、現在はGoogle Mapには存在しません。店主が深い訳があると語っていましたが・・・

 イスラエルにあるイスラエル料理は90%はパレスチナ料理だと店主は言っていましたが、確かにイスラエルのお店ではファラフェル、ホンムス、ケバブなどアラブ料理のメニューと、東ヨーロッパやロシアのユダヤ料理の両方があり、イスラエル人のほとんどは普段はパレスチナ料理を食べています。

 1000円程度のランチが6種類くらいあったので、アラブ料理の定番のオクラとトマトソースを煮込んだバーミヤ、チキンのシシケバブのランチと、ホンムスとファラフェルを頼みました。

サフランライスにバーミヤを乗せたもの。

チキンのシシケバブ

ホンムス(ゴマペーストが香ばしい)

大きなファラフェル

 どれもこれも懐かしくベツレヘムの生誕教会の広場にあるレストランを思い出しました。まだ食べたことのないパレスチナ料理がたくさんあったので、食べてみたい。。


 十条は渋谷から埼京線快速で18分なので、買い物の帰りにまた行こうと思います。

※現在はランチはやっていないかも、03-5948-5711、080-3439-8844で要確認!

2008/12/10

【Palestina】内定取消とベツレヘム生誕教会の無職の若者


 最近の内定取消やリストラにニュースに触れるたびにパレスチナのベツレヘムにあるイエスの生誕教会の前にたむろする若い無職のパレスチナ人を思い出します。

  日本の場合の内定取消というのは「会社は自分を守ってくれない」というあたりまえのことを早く体験でき、自分で生きていくことや、会社を選ぶ眼を養うことにつながるので、長い眼で見ればマイナスではないと思います。

  ある程度の年齢でリストラになった場合、会社にどっぷり漬かってしまっており、再起することが難しくなるケースもあると思いますが、資本主義である限りはリストラは付き物ですから、リストラになっても職を変えやすい仕組みや社会インフラを整備することが政治の仕事でしょうし、個人としては柔軟な適応力があれば逞しく生きていけますので不況で落ち込むのは得策ではありませんね。

  50%というパレスチナの失業率からすれば日本の今の状況は経済活動に環境というもうひとつの変数が入り経営の方程式が変わったゆえの質の転換期間と考えれば大したことはありません。またしても、トリガーをアメリカからもらった訳ですね。

2008/04/16

【Palestina】パレスチナの水問題とオスロー合意


 第三世界の政治('05)という放送大学の講座を聞く機会がありました。第10回の講義はイスラエルのラビンさんの話ですが、ラビンさんは1994年12月14日に日本に来日されています。そのときに日本経団連で歓迎のパーティーがあり、当時、小さな規模ですが、イスラエルから日本への技術トランスファーや投資のビジネスディベロップメントを行っていた関係から、そのパーティーに参加しました。当時の日本経団連の会長は豊田章一郎さんでした。そのときのラビンさんの話が今でも記憶に残っており、私を悩ます?のですが、ラビンさんは「イスラエルは自分で生きていける。日本はパレスチナをサポートして欲しい」と。政治的に難しい地域ゆえに、経済人の組織である日本経団連でこのような話をしたのか、それは分かりませんが、以前の敵を中立的である日本に何とかして欲しいということを言うために来日したひとりの人間に感動をしてしまったのです。同じテーブルにいた日本イスラエル商工会議所の創立者 藤原宣夫さんも感動していたようです。その後、ラビンさんは不幸にも亡くなりますが、そのメッセージは私の記憶から消え去ることなく、今日に至っています。

 最近、日本のODAがジェリコで農業プロジェクトをイスラエル、ヨルダン、パレスチナ、日本の4カ国プロジェクトとして行っているようですが、砂漠での農業はナバテヤ農法(6-4-7 展望台から)として古くからナバテヤ人の得意なものでした。ナバテヤ人はぺトラに住んでいたアラブ系の人のことですが、ナバテヤ農法の研究はイスラエルのベングリオン大学が進んでいます。ジェリコの農業プロジェクトには批判もあるようですが、農業のための水は井戸からか、ヨルダン川から、あるいはナバテア農法なのか、どのように給水しているのか、そこを自分の目で確認したいので、今年か来年にはジェリコに行きたいと思っています。