6月28日(月)、29日(火)の二日間、初夏の函館を旅してきました。6月1日に漁が解禁となったスルメイカを食べに行くという単純な動機の旅でしたが、思いがけない発見がありました。函館は敗者を祀る街なのです。
幕末最後の戦争である箱館戦争の終結後、旧幕府軍が去った函館に定着したのは、彼らを打ち負かした「薩長の本流」ではありませんでした。開拓使設置以降、官軍側の人間の多くも赴任は一時的なものにとどまり、街の基盤を築いたのは、全国から一攫千金を狙って集まった移民たちでした。函館の住民にとって、薩長の新政府とは「遠くからやってきて、また去っていった権力」に過ぎず、旧幕府側への記憶を排除する動機は、生活実感としては働かなかったのでしょう。函館を代表する五稜郭に据えられているのは、土方歳三の像です。
函館は港町です。函館駅のすぐ裏は海なので、土産物屋の入口にはカモメがいます。
さっそくホテルにチェックインし、夕方4時半頃にロープウェイで函館山を目指しました。五稜郭と函館山の夜景、この2つが函館の観光のメインコースです。
八幡坂
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| 横浜の赤レンガ倉庫そっくり |
長崎、横浜、函館と幕府が開港した港町はどこも坂の街です。坂の途中にロシアの領事館があるのが北海道らしい。ロシアの大学もあります。調べてみると、ロシア極東連邦総合大学(ロシア・ウラジオストク)は、ロシア極東地域を代表する最大規模の総合大学で、かつては北海道函館市に日本で唯一の分校となる「ロシア極東連邦総合大学函館校」が存在していましたが、ウクライナ侵略やそれに伴う入学者数の激減により、同校は2025年度から学生募集を停止しているとのことです。
夕刻5時頃に函館山の展望台に到着し、日没を待ちます。その日の日没は7時10分、夜景は7時50分頃からが見頃とのことで、2時間以上ただひたすらに函館の街を眺める時間を過ごしました。以下は、着々と夕暮れに近づいていく様子を捉えたスナップショットです。
あまりの寒さに7時50分を待ちきれず、7時半頃に撮った夜景が冒頭の1枚です。路面電車に乗り込み函館駅前付近に集まる海鮮居酒屋を目指します。
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| 小ぶりのスルメイカ(不漁のようです) |
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| 水蛸刺し |
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| 小さなゲソ唐揚げ |
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| 生干しコマイ |
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| 塩辛で食べるじゃがバタ |
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| ししゃもがメス(北海道人はオスを好むのに) |
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| エビ刺し |
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| いか焼き(焼きすぎで〜す) |
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縞ホッケでなく真ホッケ
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最後に食べた岩のりのおにぎりが750円なのは驚きました。確かに2人前ほどの大きなおにぎりですが、高すぎます。普通の居酒屋ですが、2人で14,000円ぐらいでした。外国人観光客が増加したためか総じて高いのです。日本人が旅をするなら観光地を避けて、小さな街を訪れた方が満足できるかもしれないですね。
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| 津軽海峡を横断していた連絡船 |
翌朝は朝市でまたもや海鮮三昧です。迷いに迷って入ったお店で頼んだ海鮮丼です。
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| マグロ、ウニ、イクラ |
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| マグロ、ウニ、タラバ |
お店のオーナーらしき人が、カウンター越しに話しかけてくれました。マグロは津軽海峡の対岸にある大間より、函館の方が安いとか、ご出身の八戸のカニは函館より遥かに安いとか、新幹線のおかげで近距離になった両市を比べるのです。そして、八戸の方が日本人にはいいのではないかとまで言うのです。朝市の飯屋のオヤジの発言だからこそ信憑性が高く、外国人化した観光地の姿を嘆いているとも言えます。
早めの晩御飯でジンギスカンを食べようと思っていると話したら、「あれは札幌の名物で、函館の名物ではない」と言われ、ジンギスカンはやめようと思いつつ、次の観光地である五稜郭に路面電車で移動しました。
五稜郭タワーに記された歴史にはちゃんと幕府側の責任者の名前もあるのですが、前述したように、函館の至るところにある土方歳三の写真が示す敗者の歴史を祀る函館市民の気持ちを聞いてみたくなりました。
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| 新政府軍の軍艦「朝陽」に搭載されていた大砲 |
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| 五稜郭の土塁いっぱいに咲いた西洋タンポポ |
結局、現在の日本は、この戦いの勝者である薩長側によって作られたものです。しかしそれは、欧米へのキャッチアップに徹した近代化(西洋化)だったため、いまだにその習慣が抜けきれていません。欧米にあるものはすべて正しく、欧米に追従すべきだという発想から、企業は模倣から脱却できずにいます。そのため、模倣からは有限の価値創造しかできず、独創による無限の価値創造には届かないのだとも言えます。
敗者の歴史には、2027年の大河ドラマの主人公である小栗上野介もいます。ただし函館の土方歳三のように地域社会から自然に祀られ続けた敗者もいれば、小栗のように明治新政府によって「逆賊」の烙印を押され、長く歴史の表舞台から遠ざけられてから、ようやく光が当たる敗者もいます。小栗の未来構想は明治の父とも言われ、横須賀ドックは現在の日本の製造業のスタートラインとも言えます。2027年を境に、次の時代は、小栗がスタートさせた大量生産という製造業から、企画設計開発から価値創造するプロダクトイノベーションの時代になるに違いありません。そういう意味で、敗者の歴史は残すべきなのでしょう。
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