2020/01/04

【Japan】何もできなかった50代と長良川鉄道

 2020年1月1日、生まれ故郷の岐阜県郡上市白鳥町白鳥に長良川鉄道という鈍行ジーゼル列車で訪れました。


 高山線の美濃太田駅が長良川鉄道の始発駅です。

 国鉄時代の長良川鉄道は越美南線と呼ばれた美濃太田駅から北濃までの路線です。北陸側からは越美北線と呼ばれる福井市の越前花堂駅から九頭竜湖までの路線があり、この南北の越美線を結び、日本海と太平洋を行き来できるようにする計画がありました。
 しかしそれは果たされることなく、国鉄はJRとなり、現在越美南線は第三セクターである長良川鉄道に、越美北線はJRの九頭竜線となっています。

 私にとり、この長良川鉄道は一度は乗ってみたかった列車です。
 父親が国鉄職員だったため、越美南線や高山線の駅で働いており、そのときの父の姿が蘇ってくるからです。
 父親はJRなる前に55歳で定年になり、その後しばらくの間、長良川鉄道に勤めていましたが、60歳で亡くなってしまいました。
 昨年、私も60歳になったことから、この正月は長良川鉄道で2時間かけてゆっくり景色を見ながら帰ることにしたのです。


 長良川鉄道で美濃太田から美濃白鳥駅までの往復料金(1,700円×2)より、1日フリーきっぷ(2,600円)の方が安いので、フリーきっぷを購入しました。


 関市、美濃市を過ぎると長良川に沿って線路は続き、郡上美並町に入るとゆっくりと景色を楽しむために徐行モードになっています(お座敷列車まであるようです)。


 みなみ子宝温泉駅のホームに温泉もあるので、途中下車し温泉に入り、次の列車に乗ることも可能です。


 郡上八幡を過ぎ、生まれ故郷の美濃白鳥駅に到着です。

 母親の過ごす特養老人ホーム

 父親が亡くなってから弟家族と同居していた時期もありましたが、その後一人暮らしをしていた母親が、10年ほど前に小脳出血で倒れ、一人暮らしが難しくなったので、私の家で同居することにしました。9年ほど同居した後に、本人の希望もあり、昨年(2019年10月)から生まれ故郷の特養老人ホームで過ごすことになったのです。同居しているときは、足が悪いため転ぶこともありましたが、ここでは安心です。しかも、故郷なので地元の親戚や友人も訪ねやすく、方言(郡上弁)も誰にでも通じます。
 すでに慣れたのでしょうか、母親は元気そうで安心しました。


 60歳になった現在、生まれ故郷に長良川鉄道で帰省し、50年ぶりに白鳥神社で初詣をしたことはひとつの節目になりました。
 ここで、自分のことを振り返ると、20代では当時発売されたばかりのPCでVARビジネスを創業(1980年代)し、 30代にはイスラエルテクノロジーの日本への展開(1990年代)を行い、 40代は外資系ITベンダーの日本法人のマネジメント(2000年代)をしていましたが、50代は仕事としての成果は何一つ残すことができず、親の介護を行ったことぐらいしかありません。



 その後、さびれた街を散策し、子供の頃に遊んだ長良川を眺めましたが、いつも潜って遊んでいた川の底を覚えていたり、鮎のたくさん釣れるポイントもはっきり覚えています。


 今年の夏は家族と白鳥踊り(郡上八幡の郡上踊りよりハイテンポ)にも参加しようと宿を予約しました。

 帰りの長良川鉄道は木目調の綺麗な椅子の特別仕様。

 2020年1月1日の長良川鉄道の旅は、60代のはじまりの節目になりました。