2020/06/20

【Japan】神田川源流から関口芭蕉庵の古池

 6月20日(土)は、朝早く起きて神田川源流から関口芭蕉庵までの細道を歩くマイクロツアーをしました。


 吉祥寺の井の頭公園に朝7:00に到着し、徳川家康が好んで茶をたてた水である「お茶ノ水」の湧水付近を散策しました。井の頭池はいたるところにある湧水で満たされた池のようですが、江戸市民の命の水源でした。そして、現在は武蔵野の鳥たちの住処(以下は卵を5つ抱えた親鳥)でもあります。


 井の頭池から神田川の源流ははじまります。私の生まれ故郷が岐阜県の長良川の上流にあり、太平洋に流れ込む長良川と日本海に流れ込む庄内川の源流があるためか、川の源流は妙に訪ねてみたくなるのです(笑)



 神田川沿いはかなり整備され、地域住民のランニングやウォーキングのコースになっています。



 川のせせらぎと鳥のさえずりを聞きながらのウォーキングは実に心地良いものです。


 この写真をよく見ると、親ガモの周りに生まれたばかりの子ガモが泳いでいます。数えると7匹いましたが、「数日前は9匹いた」という近所の人の雑談が聞こえてきました。川辺にカラスもいたので、襲われたのかも知れません。これ以上減らないことを祈りつつ、先に進みます。


 これもよく見ると、鯉と2匹の亀が見えますが、手前はスッポンです。誰かが放流したのかも知れませんね。

 江戸時代には、神田川が流れ込む隅田川で獲れた鰻を「江戸前」と呼んでいたようなので、隅田川の支流の神田川でも鰻が獲れたのではないでしょうか。
 

 神田川は源流の武蔵野市から杉並区へ移ると、桜並木がきれいに植え込まれていますので、桜の季節はきっと素晴らしいのでしょうね。


 途中、増水したときに水を逃がす取水抗があります。工事の影響でここから川の水が濁っていますが、杉並区を抜けると中野区に入ります。


 善福寺川(左)と神田川(右)が合流します。
 三鷹市と杉並区は神田川に沿って遊歩道を整備し、地域住民のランニングやウォーキングの場にしているのですが、中野区に入ると神田川に沿って住宅が続き、川沿いを歩くことができなくなります。区が何の規制もしなかった結果だと推測できますが、なんとも勿体ない話です。神田川は区民が自然とふれあいながら健康増進できる「貴重な場」とは考えていないのかも知れません。


 都庁が見えてきましたので、新宿区に入ります。大久保を過ぎたあたりで、中華料理の昼ごはんを食べて再び歩きはじめました。


 高田馬場にも取水場があります。JRの高田馬場駅の近くで神田川沿いの道が途切れ、高田馬場で少し迷ってしまいました。


 これは遡上する魚のために用意されている魚道ですが、神田川には毎年鮎が遡上し、高田馬場付近で捕獲されているとは驚きです。
 どうやら東京湾の鮎の産卵場所は、お台場で人工的に作られた海辺という説があり、お台場が整備されたからそこで産卵した鮎の稚魚が大量に多摩川や隅田川に遡上しているのでしょう。友釣りや投網で捕獲することもないため、その数は年々増えるばかりでしょうね。


 新宿区から文京区に入ると途端に川の様子が変わります。写真のように岩を削ったような川底になり、まるで渓流の様相になります。川沿いの道も整備され、肥後細川庭園から芭蕉庵、そして椿山荘と江戸や幕末の情緒を残した歴史遺跡が川沿いを飾ります。


 今日の目的地である関口芭蕉庵に到着しました。朝7時半ごろ神田川の源流を出発し、三鷹市、中野区、新宿区、文京区を歩き、14時半に到着です。ランチや高田馬場での道迷いも含め7時間半、38,165歩のウォーキングでした。


 芭蕉庵に入ると、

「古池や 蛙飛び込む 水のおと」

という有名な句が刻んだ石碑があります。

 松尾芭蕉は土木技術者として、神田川上水の改修工事のため、関口に住んでいました。この関口の芭蕉庵はその時の住居を移築したものです。

 「古池や 蛙飛び込む 水のおと」という句は、実際に蛙が古池に飛び込んだのを芭蕉が見て読んだ句ではありません。芭蕉は「蛙が飛び込む水の音」を先に聞いて、その後に心のイマジネーションで「古池や」を付けたと言われています。つまり、古池の句は現実の音をきっかけにして心の世界が開けた句で、その句を読んだ人の心にもそれぞれの情景で、古池と蛙と音がイマジネーションされる訳です。

 古池以前の俳句は言葉遊びだったらしく、芭蕉が古池で得た境地はまさに新しい俳句の流れだった。芭蕉は神田川が流れ着く隅田川のほとりの芭蕉庵から、この発見をさらに試そうと、西行の歩いた「みちのく」への旅に出たのです。

 松尾芭蕉の理念である「不易流行」は経営や商品開発を含めいろいろなシーンに役に立つ考え方ですが、ブリタニカ辞書には以下のように解説されています。

【不易流行】
 一般には句の姿の問題として解され,趣向,表現に新奇な点がなく新古を超越した落ち着きのあるものが不易,そのときどきの風尚に従って斬新さを発揮したものが流行と説かれる。しかしまた,俳諧は新しみをもって生命とするから,常にその新しみを求めて変化を重ねていく流行性こそ俳諧の不易の本質であり,不易は俳諧の実現すべき価値の永遠性,流行はその実践における不断の変貌を意味するとも説かれる。

 今まで、言葉遊びだった俳句を心の中のイマジネーションの世界に変化させて行った流行性こそ、不易の本質であると捉えていたのですね。
 恐るべし、土木技術者!


 ちなみに、文京区立の関口芭蕉庵の「古池」の句碑の後ろには写真のような古池がありました。「古池がない」ことこそ芭蕉の俳句(不易流行)の本質なんですよ。文京区役所のご担当者さん(笑)

 関口芭蕉庵から隅田川までは7kmぐらいなので、次回は冬にでも深川の芭蕉庵を訪ねるウォーキングをするつもりです。

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