2011/02/28

【Japan】長崎のアラのあら煮と日韓トンネル




 2/26、27はマイルを使って長崎にアラを食べに行って来ました。アラは東京ではクエと呼ばれていますが、この時期の脂の乗ったおいしいアラは絶品です。東京で食べてもおいしいのですが、その料理がおいしい地域に出向くのも、思わぬ発見があり楽しみなものです。今回はついでに「平和公園」「グラバー園」「出島」「亀山社中」の4ヶ所を観光しました。

 「平和公園」は平和記念像が有名ですが、敷地内に「原子爆弾落下中心地」の石碑があり、原爆死没者名簿登載者数 平成22年8月9日現在152,276人と写真をClickし拡大していただけると確認できます。投下中心地は円形に盛土された上にあり、今ではその面影さえありませんが、石碑に刻まれている日付はまだその被害が続いているという証左でしょう。その後「グラバー園」に立ち寄りましたが、眺めがよかったという印象しかありませんでした。

 「出島」は長崎市が観光用に当時を再現したようですが、面白いのは「島」と言えども出島まで橋があるので地続きだという点です。ポルトガル人からオランダ人が住むようになり、日本人と結婚し、出島に家族と住んでいたようです。地続きであることと、船で離れた島と交流することとは大きく違います。やはり、地続きの方が交流がしやすい。
 九州と朝鮮半島を地続きにする「日韓トンネルプロジェクト(動画)」というものもあるようですが、いつの時代か日本と韓国が地続きになり、日本からロンドンまで車で行けるようになるかも知れません。

 「亀山社中」はさすがに坂本龍馬の大河ドラマが終わったためか、通常の混雑のレベルでした。亀山社中記念館の中に坂本龍馬の紋服があり、その「組み合わせ角に桔梗紋」は明智光秀の家紋と同じ桔梗紋。本当かどうか分かりませんが、家紋からも坂本龍馬は美濃の明智光秀の子孫だという説もあるようです。

 さて、アラに話を戻しましょう。
 アラ料理専門の銀鍋というお店でコースをいただきましたが、写真はアラの「あら煮」。関東の人が好きそうな濃い味のあら煮で、酒がすすむ一品でした。
 この料理は檀一雄もよく食べたようです。


2011/02/21

【Japan】丹沢大山と小林多喜二



 2/19,20日と近場の丹沢 大山にトレッキングに行きました。トレッキングは昨年の9月の至仏山以来なので4カ月ぶりです。大山は神奈川県で海にも近いし雪もないだろうと考えていましたら、とんでもない。調べると山頂付近は軽アイゼンが必要とのこと。当初の予定では2/11,12日に計画していましたが、都内でも雪で、宿を翌週にずらし大山へ。コースは日向薬師コースで、七沢温泉に1泊するものでしたが、大山山頂はチラホラと雪、相模湾の薄っすらと見える程度。同じ神奈川県の金時山(金時山の富士山NG)のときも富士山に嫌われましたが、今回も雄大な眺望はNG。下山は雪も残っており、ワイフと二人でアイゼンを装備し見晴台へ。そして道路に出て日向薬師から七沢温泉まで2時間強で峠越えと、計7時間のトレッキングでした。

 七沢温泉に着いたときは二人ともクタクタ。予約した宿は福元館という宿ですが、サイトによると、小林多喜二を匿っていたらしく、離れの部屋、色紙などがありました。DVDで蟹工船を見たときは、映画の出来の悪さに早送りしてしまいましたが、1930年代の当時の会社と従業員の関係は厳しい対立が思想的にもあったのかも知れません。残念ながらその時代を生きていないので分かりませんが、1980年代になると労働運動をあまり聞かなくなった記憶があります。おそらく円高で生産拠点を海外に移す企業が増え、「生活防衛=企業防衛」という認識が出てきたからかも知れません。それまではストライキで電車や飛行機が止まったりすることが度々ありました。日本の会社組織が民主的になるのに50年以上かかり、そして会社が株主のものという考え方からマネーゲームを生み出し、2009年にはリーマンショックでグローバル不況になってしまいました。

 最近、中東で起きている民主化革命はどれくらいかかるのでしょう。シーア派の強い国、スンニ派の強い国により、イランのようにイスラム国になってしまうケース。あるいはトルコのようになるケースがあるでしょうが、民主化は簡単にすぐできることではないでしょう。「小林多喜二の時代と中東の民主化の比較」を考えるきっかけになったトレッキングでしたが、足が筋肉痛の日々が2,3日続きそうです。

 それにしても福元館の牡丹鍋はおいしかった...