12月18日に田舎に帰省し、母親の面会に行ってきました。写真は、生まれ故郷の岐阜県郡上市白鳥町から見える雪景色の大日ヶ岳です。寒波到来のため予報では60cmの積雪の可能性もある、とあり心配しましたが、薄っすらと雪が被った程度で助かりました。
特養の面会予約時間より少し早く到着したので、長滝白山神社に立ち寄ってみました。この神社は太平洋側の登山道となる霊山白山の入り口になります。
銀杏が敷き詰められた参拝道 |
正月明けの6日に毎年この境内で行われる「花奪祭」では、高さ6mの天井から吊るされた5つの大きな花笠(桜・菊・牡丹・椿・芥子)を、人々がやぐらを組んで奪い合います。この花を持ち帰れば、家内安全、商売繁盛になるといわれています。
郡上一揆(宝暦騒動)の犠牲者を祀った宝暦義民碑もあります。この宝暦騒動によって、郡上藩主金森氏が改易され、老中、若年寄といった中枢部の失脚。江戸時代の百姓一揆で唯一農民が勝利したものです。
(母親の出身地である前谷村の定次郎が中心人物のひとり)
(母親の出身地である前谷村の定次郎が中心人物のひとり)
その日は名古屋の今池に宿泊し、近くの居酒屋で友人と一杯。その後は高丘に移動し、毎年ボジョレー解禁日にヌーヴォーを欠かさず送ってくれているのに随分ご無沙汰しているBar Bittersを訪れました。
愛知工業大学正門 |
翌日は親戚の納骨があり、リニアで豊田市八草に向かいました。納骨が愛知工業大学の裏手にあるお寺だったので、久しぶりに八草駅から大学まで歩いてみました。周囲は森林や畑、田んぼと、生まれ故郷に似た田舎の風景です。
論理的な数学などが好きだったので、理学部に行きたかったのですが、田舎の高校では、3年間かけて「数学I」を教えて終わるようなところだったので、アルバイトをしながら独学で勉強しました。もともと頭が悪いため、希望の大学には行けず、結局私学で適当に受験したところしか受かりませんでした。当時の私には、東京の大学は都会過ぎて住むにはハードルが高く、生まれ故郷の情景に似たこの大学に行くことにしたのです。
しかし授業に出てみると、電気とか電子とか、まったく面白くなく、興味も沸かず、パンチカードでFORTRANを実行するとエラーが続出。こういうのはまったく才能がないな、と嫌気がさし、バイトばかりの毎日で留年を繰り返し、23才のときIT企業を創業した機会にDrop out(退学)しました。
ところが、ひとつだけこの大学に入学して良かったことがあります。それはシステム工学研究会というサークルに入ったことです(1979年頃)。システム工学は「工学の工学」と呼ばれ、建築、土木、電気電子、化学などの専門的な学問を束ねるための学問で、システムエンジニアリングを司る実務的な学問です。つまり、専門家になるためのものではなく、専門のことは薄く浅く理解しつつ、それらを串刺し、束ねるものです。
これなら、頭が悪く専門家になれない落ちこぼれの私でも生きる道がある、と直感し、システム工学研究会に参加しました。授業にはほとんど出なかったのですが、たまに部室には顔を出していました。そういう意味で、この研究会の顧問の小田哲久先生には本当に感謝しています。
システム工学は、経営にも、イスラエルのビジネスでも、マーケティングにも、今の仕事にも応用ができ、システム工学屋として40年以上私の仕事を支える「背骨」となってくれました。
※システム工学研究会:このサークルが誕生したのは、1976年です。1976年は、Appleが設立した年、カップ焼きそばU.F.O.が発売開始した年、徹○の部屋が放送開始した年でもあります。システム工学研究会の歴史は長く、様々な方が活躍しています。
※日本版システム工学:システム工学とは、電気、電子、建築、土木、機械、情報、環境などの違う工学を束ねる「工学のための工学」と呼ばれるもので、大規模で複雑で多くの専門家を必要としたアポロ計画などがシステム工学で為されたことで有名になった方法。オペレーションリサーチ(OR)などもその一種。
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母親の面会、岐阜の親戚のお見舞い、親戚の納骨式が無事終わり、新幹線の時間まで、JR名古屋駅の「味仙」に立ち寄りました。
手羽先 |
青菜炒め |
小袋 |
台湾ラーメン |
ひぇ〜辛い!という料理ですが、名古屋めしは癖になる味が多いため、たまに食べたくなってしまいます。
どこ行っとったん! |
東京に戻ると、いつものように2匹がお出迎え!
最初は顔を見てコソコソ隠れていましたが、少したつと甘えたり、ヘソ天でアピールです。
最初は顔を見てコソコソ隠れていましたが、少したつと甘えたり、ヘソ天でアピールです。
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