日本にキリスト教を普及させようとしたフランシスコ・ザビエルは3つの方法を考えたらしい。ひとつは、当時の日本のリーダーにキリスト教を理解してもらいトップダウンで普及させる、もうひとつは、聖書を日本語に翻訳し、内容を理解させる。最後の方法は、当時の最高学府とヨーロッパの大学との交換留学生制度を実施する。この最後の方法で、日本の学府としてターゲットになったのが、高野山、根来寺、比叡山、近江(園城寺)などに加え、関東の足利学校としたとのこと。
足利学校とは聞いたことがなかったので、調べてみると、当時もっとも大きく有名なのは、生徒数3000名ほどの坂東の大学だ、とフランシスコ・ザビエルがヨーロッパに紹介しています。そこで、4月2日(土)は電車で足利を訪ねてみました。
「都の大学の外に、尚、有名な学校が五つあって、その中の四つは、都からほど近い所にあるといふ。それは、高野、根来寺、比叡山、近江である。どの学校も、凡そ三千五百人以上の学生を要してゐるといふ。しかし日本に於て、最も有名で、最も大きいのは、坂東(関東)であって、都を去ること、最も遠く、学生の数も遥かに多いといふ。」フランシスコ・ザビエル書簡集
足利はJRの「足利駅」東武鉄道の「足利市駅」がありますが、今回は東武鉄道の足利市駅から散策をはじめました。すぐに菜の花の河原が美しい渡良瀬橋を渡ります。
途中、源頼朝に従軍したという足利義兼の住居跡にできた鑁阿寺(ばんなんじ)を散策しました。足利氏は、清和源氏の一流の河内源氏から出た氏族で、河内源氏の第三代棟梁源義家の四男・義国が下野国足利荘を領し、義国の次男の義康が足利氏を称したことに始まりました。足利義兼の妻は源頼朝の妻である北条政子の同母妹の北条時子です。
源氏支配の鎌倉幕府から北条の幕府となり(約150年間)、そして足利の幕府(室町幕府)になり(約240年間)、戦国時代を迎えることになります(約150年間)。
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都内では散りだした桜がここでは満開 |
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枝垂れ桜も美しい |
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本堂 |
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樹齢550年
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武家の屋敷をベースにした寺なので、外堀がある |
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坂東の大学 |
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全景 |
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「学校」という看板 |
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孔子蔵 |
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6畳の寮 |
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教室 |
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庭からの教室 |
坂東の大学で教育されていたのは、儒教が基本で、占学と兵学も教えられていたなど、戦国時代まで続く軍師を教育していたのが面白いですね。武家のリーダーは血で世代交代が行われるので、その参謀を教育し、武田信玄の軍師などもこの大学出身者です。
春の足利は少し肌寒かったですが、関東の武士が鎌倉から栃木県の足利まで続いていたことが実感できました。こういう歴史の足跡を訪ねる旅は楽しいものです。
東武鉄道の足利市駅から浅草まで戻り、浅草の屋台的な居酒屋に立ち寄ってから帰ろうとしましたが、若者を中心にあまりの混雑で諦めました。コロナ禍がもう終わってしまったという感覚なのでしょうね。浅草が大混雑だったので、上野のアメ横で飲もうと移動しましたが、ここは若者だけでなく浅草より満員です。居酒屋で飲むのは諦め、自宅近くの
ビストロDONを予約し、バスで移動しました。
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ヤリイカのご飯詰め |
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フォアグラのリゾット |
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ラム肉のロースト |
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地鶏のロースト |
居酒屋よりはワイン代が高いけど、静かに美味しい料理を食べれて満足です。それにしても、東京の若者がコロナを意識していないのには驚きです。あんな満員の酒場で大声で飲んでいたら感染してもおかしくないので、このままBA.2が猛威を振るうのは間違いなさそうです。ゴールデンウィークでもこの調子だと6月ごろが恐ろしいですね。
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