2023/03/11

【Japan】岡崎城と清州城と3つの発見

  3月4日は岡崎城を訪ね、夕刻は名古屋の今池で古い友人たちと夕食、翌5日は母親の暮らす特養を訪問し、ワイフの父親の米寿(88歳)のお祝い後に清州城を訪ねました。名古屋に20年も住んでいましたが、岡崎城も清州城も訪ねたことがなく、はじめての訪問です。

 名鉄の岡崎公園前駅を降りると、「岡崎でござる」がお出迎えです。岡崎城のある岡崎公園までは5分ほど歩きます。



 岡崎城に入ると、すぐに家康の産湯を使った井戸があります。


 大河ドラマ『どうする家康』の大河ドラマ館の入り口には大きな葵の御紋があります。


 1つ目の発見は、家康の松平家が源氏の末裔だということです。家康が手紙などに「源家康」と署名している理由がここではじめてわかりました。三河の吉良氏は足利からの家系なので源氏になります。


 三河の武士が合戦でも身につけた藁、飾りっ気のない三河の人の気質がそのまま表れています。


 場内ではからくり人形のデモンストレーションがありました。上の質素な着物とからくり人形が、現在のトヨタグループの製造現場をイメージさせます。



 岡崎城は小さな城ですが、深い堀が張り巡らされています。




 岡崎市内を一望できます。金華山の山頂にある岐阜城と比較してはいけませんが、眺望は遠く三河湾を望むというところまでは行きません。


 岡崎城から「八丁」(109m×8)離れたところにある味噌が八丁味噌です。そこには2件の味噌蔵が並んでいます。





 2つめの発見は、まるやもカクキュウも、「赤だし味噌」と「八丁味噌」は別物だということです。八丁味噌の原料は、大豆と塩と水のみですが、そこに甘みのある米味噌を加えたものが、赤だし味噌とのことです。てっきり、八丁味噌の味噌汁を赤だしというのかと思っていました。


 清州城があったといわれている場所に建てられたコンクリートの清州城です。五条川の大手橋から場内に入る構造になっています。



 岡崎城と同じく、清州城もそれほど大きな城ではありません。




 清州城からの清須市の町並みです。ここで3つめの発見をしました。それは清州城の隣りにある日大印刷の看板です。


 1983年に名古屋でIT企業を23歳のときに創業しました。そのとき、当時発売されたばかりのIBMのPC(IBM5550)のアプリケーションの紹介とデータベースソフトウェアの解説を含んだ書籍を自費出版しました。

 しかし、若造が創業したばかりの会社に信用がないため、取りっぱぐれるリスクを恐れた印刷会社はどこも尻込みして印刷を引き受けてくれませんでした。そんなとき、印刷を引き受けてくださったのが、この日大印刷なのです。営業担当者ではなく、岩田専務が窓口だったのがよかったのか知れませんが、とにかく、どこも引く受けてくれなかった本も、この会社のおかげで3,000部を世に送り出すことができました。そのなかの1冊が東京の技術評論社という出版社の目にとまり、商業出版として技術書を出版することにつながったのです。

 いつも思いますが、実際にその場を訪れてみると思わぬ発見があるものです。今回の旅では3つの発見をしました。しかも、3つめの発見は、40年前に遡る思い出だったので、感無量です。

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