2026/10/01

【Japan】縄文の面影が残る諏訪大社と、究極の偶像崇拝の善光寺

 


 9月27日(日)から29日(火)まで、長野を旅しました。マリオットのポイントが9月末で失効するため、白馬のコートヤード・バイ・マリオット白馬に2泊したのが、今回の旅のきっかけです。

 せっかくの長野なので、まず諏訪大社の4社を訪れることにしました。なぜ4社に分かれているのかは諸説ありますが、諏訪湖をはさんだ2つの勢力に由来する上社と下社に、それぞれの内部での祭祀の場の使い分けが重なった結果のようです。上社は本宮と前宮で、前宮は大祝の居館があった古い祭祀の場、本宮は背後の守屋山を神体山として拝む中心の社として発展しました。下社は春宮と秋宮で、神が季節ごとに移ると考えられ、2月1日に春宮へ、8月1日に秋宮へ遷る遷座祭が行われてきたそうです。

 諏訪大社は、大国主神の子とされる建御名方神を祀る、出雲にゆかりの深い神社です。今回は次の出雲系の神社を巡り、その最後が諏訪大社でした。

◯ ツングース系の出雲を訪ねて
 司馬遼太郎の紹介する説をもとに、出雲の成り立ちを考えた2023年の出雲旅です。稲佐の浜の砂鉄や斐伊川と八岐大蛇の話から、国譲りまでをたどりました。

◯ 甥の結婚式で出雲のオオクニヌシを祀る砥鹿神社
 愛知・豊川の三河国一之宮で、オオクニヌシ(大己貴命)を祀ります。本宮山の山頂の奥宮と、里の里宮が一体で信仰されています。

◯ 出雲族の宗像大社と九州大学と太宰府天満宮
 九州大学への出張の合間に訪ねました。拝殿の様子が出雲大社に似ていることや、宗像という名字が長野に多いことから、諏訪とのつながりも感じた旅です。

◯ 出雲族の鷲宮神社と宇都宮の餃子
 埼玉・久喜にある、出雲族の関東最古の大社とされる神社です。出雲大社の遥拝所もあります。午後は宇都宮で餃子の食べ歩きをしました。

◯ 蛇の池と日本一の桜回廊「見沼たんぼの桜回廊」(氷川神社)
 大宮の氷川神社は、蛇を祀った蛇の池が起源だと言われています。ここから桜回廊を歩きました。

◯ 出雲縄文ネットワーク 鹿島神宮と香取神宮
 国譲りで出雲に遣わされた神々を祀る東国三社を巡りました。縄文の水平的なネットワークと、弥生以降の垂直的な秩序を重ねて考えた記事です。

十間廊(御頭祭で猪鹿の頭75を並べた場所)

 諏訪大社の上社本宮を訪れた後に立ち寄った「神長官守矢史料館」は、驚きの発見の場でした。ここには諏訪大社の古い祭り「御頭祭」にまつわる展示があり、鹿や猪の頭が供えられる様子を見ることができます。

 この光景から、旧約聖書に出てくるイサクの逸話を連想する人がいます。神に命じられたアブラハムが、息子のイサクを捧げるためにモリヤの山に登り、刃を振り下ろそうとしたその時に天使に止められ、代わりに雄羊を捧げたという話です。「守矢(モリヤ)」という名の響きや、動物を神に捧げる儀礼、さらに古い記録に見える、少年を柱に縛り、のちに解くという場面などを重ねて、古代イスラエルと日本のつながりを示すものだとする説があります。いわゆる日ユ同祖論です。

 しかし、私は別の見方をしています。出雲大社の祭神オオクニヌシの子、建御名方神が諏訪に逃れて、この地を治めたというのが諏訪大社の歴史です。ただし、その前にも諏訪には土着の人々の暮らしがありました。諏訪は黒曜石の産地で、縄文時代から人々が集まった土地です。狩猟で生きる人々にとって、鹿や猪は命をつなぐ糧であり、その頭を神に捧げて感謝し、恵みを祈るのは自然な営みです。守矢氏は、建御名方神が来る前からこの地にいた土着の神の流れをくむ家とされています。

 鹿や猪の頭の飾りは、出雲系の神が来る前の縄文の習慣が、形を変えて今も生きている証だと私は考えています。イサクの話に結びつけなくても、諏訪の歴史そのものが、十分に深い物語を語っていると感じました。


神長官守矢史料館


諏訪大社以前の諏訪の歴史を丁寧に解説していただいた

 もともと出雲系の神社を巡ったのは、天孫降臨神話に基づく支配が及ぶ前の古層の日本に、縄文文化が根づいていたからです。日本人は誰もが2割ほど縄文人の遺伝子を持つといわれ、縄文文化に惹かれる人は少なくありません。私もその一人です。

 岡本太郎が縄文土器に日本文化の原点を見出して以来、縄文は芸術家や思想家、運動家によって繰り返し語られてきました。その流れの中に「縄文ナショナリズム」があります。記紀神話を拠りどころに国体の正統性を強調する「神話ナショナリズム」とは違い、縄文ナショナリズムは国家以前の「原日本人の精神世界」に光を当て、自然崇拝や共同体の調和といった価値を日本文化の深層に見ます。縄文は国家権力を正統化するためのものではなく、国家以前の精神に触れるための入口になるのです。


 もう一つ学びになったのは、鹿やヘビが神と結びつけられてきた理由です。鹿は毎年角が生え変わり、ヘビは脱皮を繰り返すことから、古くから人々はそこに「再生」を見たと言われています。いわばリボーンの象徴です。

 キリスト教でも、イエスは復活によって神として受け止められています。繰り返す再生と一度きりの復活は同じではありませんが、死からよみがえる力を神の印と見る感覚は、民族や宗教を超えて共通しているのかもしれません。

 この流れで、「茅野市尖石縄文考古館」を訪れました。発掘された遺跡や縄文土器を見ていると、弥生以降の端正で洗練された器にはない、現代の日本人にも通じる息吹を感じます。秋田のナマハゲの面や沖縄のシーサーに見られる、ごつごつとした力強さが、縄文土器の文様に重なるように思えました。

国宝「土偶」(縄文のビーナス)

国宝「土偶」(仮面の女神)




 土器の文様にヘビらしき抽象図が入っているのにも、縄文人の祈りを感じます。八ヶ岳西南麓を中心とする中部高地の縄文中期の土器には、うねる線や、ヘビが鎌首をもたげたような装飾がしばしば見られます。ヘビは脱皮を繰り返すことから、再生や生命力の象徴として受け止められ、土器に刻まれたのではないかと考えられています。






 諏訪には、「ミシャグジ」(諏訪地域とその周辺に祀られる神霊・精霊の総称)と呼ばれる古い土着の神への信仰があり、ヘビや石と結びつけて語られることもあります。この神を祀ってきたのが、守矢氏でした。縄文のヘビの文様と、諏訪に残る古い信仰とが地続きだとすれば、土器はただの器ではなく、命のよみがえりを願う祈りの道具でもあったのかもしれません。

 ミシャグジ(御社宮司)を祀る社は、諏訪を中心に各地にありますが、その総社とされているのが「御頭御社宮司総社」です。諏訪大社の4社がタケミナカタを祀る出雲系の流れだとすると、ミシャグジは、それ以前から諏訪の地にあったとされる古い土着の神です。大社の陰に隠れるように、いまも静かに祀られていることに、縄文からの信仰の層の厚みを感じました。

御頭御社宮司総社

 すっかり意識は諏訪大社から縄文に飛んでしまいましたが、これまでに、出雲大社を起点に、砥鹿神社(愛知・豊川)、太宰府天満宮(福岡)、鷲宮神社(埼玉)、氷川神社(埼玉)、鹿島神宮(茨城)、香取神宮(千葉)と、出雲と国譲りの神話にゆかりのある神社を巡ってきました。その最後に訪れた諏訪大社(長野)で、古層日本の縄文文化に触れることができました。

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 諏訪大社の翌日は、安曇野の大王わさび農場に立ち寄りました。農場は砂利ばかりの荒地に湧水を引き、約20年かけて広大なわさび田を切り拓いたそうです。1日に約12万トンの湧水が流れ、安曇野わさび田湧水群として名水百選にも選ばれています。

 黒澤明監督の映画『夢』(1990年)の最終話「水車のある村」の舞台も、この農場に隣接する川辺です。撮影のために建てられた水車小屋は、今も絵のような姿で残っていて、私も見ることができました。この話は、電気のない村で、人が自然とともに暮らす姿を描いています。隣の川は雨で濁っていましたが、湧水の流れる川は透明でした。




 
 安曇野から松本までは車で30分ほどなので、松本城にも立ち寄りました。縄文の世界から、一気に戦国時代に引き戻された気分です。

 松本城に入ったのは、1590年、豊臣秀吉の配下となっていた石川数正です。数正は、2026年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』にも登場します。もともと徳川家康の重臣で、のちに秀吉のもとへ移った人物です。数正は入城から3年ほどで亡くなり、子の康長が天守を完成させました。現在の大天守は、この1590年代に築かれたものです。

 天守に入ると、戦国の城らしさがよく分かります。外から見ると5階建てですが、内部は6階あります。各階をつなぐ階段は幅が狭くて急で、段の高さも一段ずつ違う箇所があり、攻め込んだ敵が登りにくい造りになっています。急な階段を登って最上階まで行くと、晴れていれば松本の城下から北アルプスまで見渡せます。



 ホテルのある白馬に戻ると、せっかくなので、長野五輪のジャンプ台である白馬ジャンプ競技場に立ち寄ってみました。近くで見ると、こんなに大きなものなのかと驚きました。白馬ジャンプ競技場は、1998年の長野オリンピックで、ジャンプとノルディック複合のジャンプ会場になった場所です。現在も夏のサマーグランプリなどが開かれ、一般の人もリフトでスタート地点まで行けるそうです。

 白馬は近年、外国人観光客が急増しています。その半数近くがオーストラリアからです。人気の高まりから「第2のニセコ」と呼ばれることもありますが、地元では「ニセコを目指さない」という声が目立つそうです。それでも、外国人客の増加の影響なのか、白馬のスーパーマーケットの値段が高いのには驚きました。



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 最終日は白馬から長野市の善光寺を訪れました。善光寺の創建は、寺伝では飛鳥時代とされ、仏教が宗派に分かれる前からある寺です。そのため、天台宗の大勧進と浄土宗の大本願が共同で守る無宗派の寺で、宗派を問わず誰でも参拝できます。御本尊の一光三尊阿弥陀如来は、仏教伝来の頃に百済から伝わったとされ、日本最古の仏像と言われています。

 この御本尊は絶対秘仏で、住職でさえ直接は見られないと言われています。7年に一度の御開帳では、御身代わりの前立本尊が公開され、瑠璃壇の幕が上がって、10数秒ほど拝むことができるそうです。

 係の人に尋ねると、前立本尊?(一光三尊阿弥陀如来?)は、一日に数回、ほんの一瞬だけ眺められると教えてもらいました。私たちは偶然(その日は午前11:00)、その瞬間に居合わせて、拝むことができました。

 鹿の角や蛇の脱皮に「再生」を見た縄文の自然信仰とは違い、ここでは、ほとんど姿を見せない一体の像に、人々が1,400年近く祈りを捧げてきました。これこそが、究極の偶像崇拝ではないでしょうか。
 


 今回の長野の旅は、新しい気づきが多く、有意義なものでした。出雲から始まった神社巡りの最後に、諏訪大社にたどり着いた旅でもあります。温泉付きのホテルは、設備がイマイチなのが少し残念でした。一方で、昼ご飯はすべて蕎麦でしたが、長野の手打ち蕎麦のおいしさを改めて実感しました




2026/08/31

【Japan】千曲川ワインバレーと東御市

 8月29日(土)30日(日)と、移住体験宿泊が可能な東御市を訪れました。この地の駅は全国的に珍しい「田中駅」とのことで、苗字が田中なので記念撮影をしました。

2LDKの移住体験施設

 佐久市、小諸市、上田市も訪ねましたが、東御市だけが移住体験用の住居を貸し出すサービスを持っています。そこに一泊し、市役所の方に千曲川ワインバレーを案内してもらいました。

 千曲川ワインバレーは、エッセイスト玉村豊男氏が東御市に移住し、ワイナリーを開いたことからはじまっています。

 玉村氏は1991年、東部町(現・東御市)に移住し、ハーブや西洋野菜を栽培する農園「ヴィラデスト」をはじめます。1992年からワイン用ブドウの栽培に着手し、2003年に「ヴィラデスト ガーデンファーム アンド ワイナリー」を開業しました。2014年に日本ワイン農業研究所を設立、2015年からは「アルカンヴィーニュ」で栽培醸造経営講座「千曲川ワインアカデミー」を主宰しました。ここで学んだ人々が次々と就農し、現在の東御市周辺には十数軒のワイナリーが軒を連ねる産地となっています。



 玉村氏は今年8月9日、肝臓がんのため80歳で逝去されました。今回の訪問はその直後にあたります。東御市の自宅で10年にわたる闘病生活の末のことだったといいます。一人のエッセイストの移住が、一つのワイン産地を作りました。その事実は今も畑とワイナリーの中に残っています。

 浅間山側からの八ヶ岳、丸子、蓼科の眺望と、丸子側からの浅間山の眺望。さらに北にある北アルプスは、スイスを彷彿とさせる景観です。最初は賃貸から入り、最適な地を見つけたいと考えています。

 丸子が木曽義仲挙兵の地であるというのも、昼飯で入った蕎麦屋で知ったこの地の歴史です。


 同じ東御市内には、日本武尊を祀る白鳥神社もあります。義仲が兵を集め先勝祈願をし挙兵したこの神社は北国街道の宿駅として開設された「海野宿」の入口になります。

 もともとこの地に引き寄せられたのは、糸川英夫さんの終の棲家が丸子にあったことがきっかけです。糸川さんは1990、音楽ホール建設構想(信州国際音楽村)に関わった縁で丸子町に住居を構えました。参考:『無言館からじねんや糸川』


 夏の過ごしやすさもあり、東御市はすっかりお気に入りの地になりました。日々の生活という意味で、安楽屋というスーパーの鮮魚が新鮮なのと、大好きなラム肉が手に入る白石精肉店も魅力的です。あとは厳寒の冬に、宿泊体験をしてみたいと考えています。


2026/07/04

【Japan】歴史の敗者を祀る「函館」


 6月29日(月)、30日(火)の2日間、初夏の函館を旅してきました。6月1日に漁が解禁となったスルメイカを食べに行くという単純な動機の旅でしたが、思いがけない発見がありました。函館は敗者を祀る街なのです。

 幕末最後の戦争である箱館戦争の終結後、旧幕府軍が去った函館に定着したのは、彼らを打ち負かした「薩長の本流」ではありませんでした。開拓使設置以降、官軍側の人間の多くも赴任は一時的なものにとどまり、街の基盤を築いたのは、全国から一攫千金を狙って集まった移民たちでした。函館の住民にとって、薩長の新政府とは「遠くからやってきて、また去っていった権力」に過ぎず、旧幕府側への記憶を排除する動機は、生活実感としては働かなかったのでしょう。函館を代表する五稜郭に据えられているのは、土方歳三の像です。


  函館は港町です。函館駅のすぐ裏は海なので、土産物屋の入口にはカモメがいます。


 さっそくホテルにチェックインし、夕方4時半頃に函館山を目指し歩きました。五稜郭と函館山の夜景、この2つが函館の観光のメインコースです。

八幡坂

横浜の赤レンガ倉庫そっくり

 長崎、横浜、函館と幕府が開港した港町はどこも坂の街です。坂の途中にロシアの領事館があるのが北海道らしい。ロシアの大学もあります。調べてみると、ロシア極東連邦総合大学(ロシア・ウラジオストク)は、ロシア極東地域を代表する最大規模の総合大学で、かつては北海道函館市に日本で唯一の分校となる「ロシア極東連邦総合大学函館校」が存在していましたが、ウクライナ侵略やそれに伴う入学者数の激減により、同校は2025年度から学生募集を停止しているとのことです。



 ロープウェイで函館山の展望台に到着し、日没を待ちます。その日の日没は7時10分、夜景は7時50分頃からが見頃とのことで、2時間以上ただひたすらに函館の街を眺める時間を過ごしました。以下は、着々と夕暮れに近づいていく様子を捉えたスナップショットです。















 あまりの寒さに7時50分を待ちきれず、7時半頃に撮った夜景が冒頭の1枚です。路面電車に乗り込み函館駅前付近に集まる海鮮居酒屋を目指します。

小ぶりのスルメイカ(不漁のようです)

水蛸刺し

小さなゲソ唐揚げ

生干しコマイ

塩辛で食べるじゃがバタ

ししゃもがメス(北海道人はオスを好むのに)

エビ刺し

いか焼き(焼きすぎで〜す)

縞ホッケでなく真ホッケ

 最後に食べた岩のりのおにぎりが750円なのは驚きました。確かに2人前ほどの大きなおにぎりですが、高すぎます。普通の居酒屋ですが、2人で14,000円ぐらいでした。外国人観光客が増加したためか総じて高いのです。日本人が旅をするなら観光地を避けて、小さな街を訪れた方が満足できるかもしれないですね。

津軽海峡を横断していた連絡船



 翌朝は朝市でまたもや海鮮三昧です。どの店も朝食にぴったりの同じような小丼ぶりが3,500円前後なので、迷いに迷って入ったお店で頼んだ海鮮丼です。

マグロ、ウニ、イクラ

マグロ、ウニ、タラバ

 お店のオーナーらしき人が、カウンター越しに話しかけてくれました。マグロは津軽海峡の対岸にある大間より、函館の方が安いとか、ご出身の八戸のカニは函館より遥かに安いとか、新幹線のおかげで近距離になった両市を比べるのです。そして、八戸の方が日本人にはいいのではないかとまで言うのです。朝市の飯屋のオヤジの発言だからこそ信憑性が高く、外国人化した観光地の姿を嘆いているとも言えます。

 早めの晩御飯でジンギスカンを食べようと思っていると話したら、「あれは札幌の名物で、函館の名物ではない」と言われ、ジンギスカンはやめようと思いつつ、次の観光地である五稜郭に路面電車で移動しました。






 五稜郭タワーに記された歴史にはちゃんと幕府側の責任者の名前もあるのですが、前述したように、函館の至るところにある土方歳三の写真が示す敗者の歴史を祀る函館市民の気持ちを聞いてみたくなりました。

新政府軍の軍艦「朝陽」に搭載されていた大砲

五稜郭の土塁いっぱいに咲いた西洋タンポポ

 結局、現在の日本は、この戦いの勝者である薩長側によって作られたものです。しかしそれは、欧米へのキャッチアップに徹した近代化(西洋化)だったため、いまだにその習慣が抜けきれていません。欧米にあるものはすべて正しく、欧米に追従すべきだという発想から、企業は模倣から脱却できずにいます。そのため、模倣からは有限の価値創造しかできず、独創による無限の価値創造には届かないのだとも言えます。

 敗者の歴史には、2027年の大河ドラマの主人公である小栗上野介もいます。ただし函館の土方歳三のように地域社会から自然に祀られ続けた敗者もいれば、小栗のように明治新政府によって「逆賊」の烙印を押され、長く歴史の表舞台から遠ざけられてから、ようやく光が当たる敗者もいます。小栗の未来構想は明治の父とも言われ、横須賀ドックは現在の日本の製造業のスタートラインとも言えます。2027年を境に、次の時代は、小栗がスタートさせた大量生産という製造業から、企画設計開発から価値創造するプロダクトイノベーションの時代になるに違いありません。そういう意味で、敗者の歴史は残すべきなのでしょう。