2021/03/14

【Japan】はじめての外泊 中禅寺湖

  3月12日と13日に栃木の日光に1泊旅行に行きました。自分たちで選んだものでなく無料招待されたもので、ザ・リッツ・カールトン日光のスイートルームと食事付きという豪華なものです。
 当初、一番寒い頃の1月末を予定していましたが、新型コロナによる緊急事態宣言で2月に延期、さらに仕事のため3月に延期して今回の日程になりました(栃木は緊急事態宣言は解除中)。


 そして、昨年6月末に我が家の家族になった2匹の猫(笑にゃんこ王国とテレワーク)にとって、飼い主のいない夜をはじめて過ごすことになります。
 写真は洗面所の戸棚の扉を開けたら急に飛び込んでくつろぐ姿ですが、出かける直前の自己アピールに後ろ髪を引かれつつ日光に向かいました(笑)


 東武日光駅でレンタカーを借りて、まずは東照宮に直行。多色で飾られた彫刻や建物には伊勢神宮のような荘厳さはありません。




 男体山の噴火の激しさを物語る華厳の滝と中禅寺湖。中禅寺湖周辺のレストランや土産物屋さんはガラガラ。冬場はオフシーズンなのでしょうが、ゴーストタウン状態です。

 ザ・リッツ・カールトン日光に到着すると高級外車がたくさん駐車されており、ホテル内は人で一杯(若い人)。同じ中禅寺湖畔とは思えない違いに愕然とし、以前の世界大恐慌の状況と変わらないことを実感しました。

 ルディー和子さんのブログ(NOW4 「大恐慌」時代に成功したマーケティング戦略)では、以下のように1929年の世界大恐慌時の消費傾向を分析しています。
 米「大恐慌」時の消費者の所得レベルと購買行動を調べた結果によると、1)生活に困らないレベル以上の所得者は以前と変わらぬお金の使い方をした、2)所得レベルが一番低い層はギリギリの生活レベルに陥落し、3)中間レベルは通常の購買を先延ばしする傾向が高くなった。しかし、商品タイプ別に、恐慌以前の1928年の消費金額が恐慌ピークの1932年にどのくらい下がったかを比較してみると、いまの私たちが思うほどには落ちていない。 消費から考えるポストコロナと女性の消費




 120㎡のスイートルームの広さ、中禅寺湖が目の前に広がる景色、温泉の質は那須の硫黄温泉、ホテルの中だけでゆっくりする人も多いのでしょうね。









 このホテルにはフレンチレストランはなく、イタリアン、鉄板焼、懐石のコースから懐石を選択。久しぶりに健康的な春の和食を楽しむことができました。レストランもホテル内のバーも午後8時で閉まるので、ホテル内は緊急事態宣言に営業時間を合わせているようです。





 朝起きたら雪景色でビックリです。
 というのも、レンタカーなのでスタットレスでない場合、いろは坂を降りるにはリスクがあり過ぎますし、車を置いてバスで帰るか、さらに自腹で一泊追加するしかないな、と焦ってしまいました。レンタカー屋さんの営業がはじまりスタットレスタイヤであることを確認でき、部屋での朝食もゆっくり楽しもことができました。
 


 無事いろは坂を降りて、はじめてのイチゴ狩りに参加しました。紅ほっぺだけでお腹が一杯でランチはパス。


 家に帰ると2匹がお出迎えしてくれました。はじめての外泊も2匹で過ごすことができたようですが、少し寂しそうかな(笑)

2020/12/04

【Japan】神田川関口から隅田川両国橋

  6月20日に神田川の源流から関口芭蕉庵(神田川源流から関口芭蕉庵の古池)までを歩きましたが、今日はその続きで、関口から神田川を下り、隅田川の合流地点までウォーキングしました。


 ここからの神田川は関口までの流れと違い、写真のように大きな用水路が続くだけで、川そのもには何の面白味もありません。


 この地図にあるように、神田川は江戸城の外堀と一旦合流し、神田川本流と江戸城の外堀に流れる支流に分岐します。


 飯田橋の陸橋からの神田川の眺めですが、右側はダイワハウスのビル。
 

 ここで右に分岐した流れは江戸城の外堀に流れ込みます。


 東京ドームや後楽園ホールに行くときに渡る後楽園ブリッジからの神田川。実に味気ない風景です。


 途中、神田川を水路にした物流拠点の河岸があります。


 水道橋からの神田川。左の紅葉と川の静かな流れ。



 水道橋を超えての紅葉と中央線。神田川岸は緑も多い。


  聖橋。以前は鉄骨の美しいアーチで構造計算美さえ感じた佇まいでしたが、今は保護コンクリートの味気ない姿になってしまいました。




 江戸時代の徳川綱吉創建の儒教の教育拠点である湯島聖堂。孔子が祀ってあります。湯島聖堂という名前は知っていましたが、こんなところに存在し、護国寺と同じように徳川綱吉が創建したことは知りませんでした。


 昌平橋からのレンガ作りの総武線。こういうレンガ作りの線路の土台を残しているところが東京らしいですね。



 神田川と隅田川の合流地点(柳橋から撮影)。



 両国橋から見て、左から神田川が隅田川に合流。正面には東京スカイツリーがそびえ立ちます。神田川の水量と隅田川の水量の違いに驚く地点で、一気に開けた気分になります。



 生牡蠣のバター焼きと定番の明太子もちチーズ。


 両国から久しぶりに月島に移動し、イカ墨もんじゃというものをはじめて食べてみました。ご飯の入った黒いもんじゃは食べ物とは思えませんが、ニンニクとバターで香ばしく、カリカリの焼きリゾットみたいで、結構イケます。

 関口から隅田川の合流地点までは2時間半のウォーキングコースでしたが、天気が快晴で、太陽が心地よく、ビタミンDがたっぷり補填されました。

2020/11/27

【Japan】肥後細川庭園でカワセミ発見!

  11月27日は有給休暇だったので、人混みの少ない午前中に秋の肥後細川庭園へナノツアーをしました。神田川も椿山荘も終わりかけの紅葉で、冬が近づいている空気を感じつつ、肥後細川庭園に入ると、池の周りに3、4名のカメラマンが望遠カメラを眺めながら何かを撮影していました。撮影者のひとりに「何の撮影ですか?」と尋ねると「カワセミがいる」と。



 「えっ、カワセミ」と驚き、スマホのカメラを向けて撮影したのがこの写真です。拡大すると写真真ん中の池に張り出した(下の)枝に青いカワセミが写っています。写真撮影している人に場所を教えてもらったお礼を言うと、上記のような肥後細川庭園で撮影した6枚の自慢の写真をいただきました。過去に、小田原の酒匂川下流でホバリングしているカワセミを見たことがあるくらいで、まさか都内の公園で見るとは思いませんでした。
 サギが近くに飛んできたため、このカワセミは飛び立ち、写真撮影していた人たちは無事安心してランチタイムとなったようです。一日中このカワセミを観察しているのでしょうね(笑)


 その後、雪吊り作業も終わった庭園と庭続きの森林を抜け「永青文庫」に入館しました。


 展示テーマは「明智光秀」で、織田信長が細川藤孝(細川ガラシャの夫)や、明智光秀(細川ガラシャの父)に宛てて書いた手紙がたくさん提示されていました。もちろん、いずれにも「天下布武」の黒印、赤印などが捺印された本物です。

 織田信長は明智光秀の「報告業務」を褒め称えた手紙が多いのには驚きました。部下として明智光秀は丁寧に性格に上司である信長に報告業務を怠らず。そこから信頼を勝ち得たのではないかと推測されます。
 しかし、信長の業務命令の手紙は、いついつまでに何を行え、という具合に期限と実行することを命令し、アウトカムにフォーカスするリーダーシップで、明智光秀は部下に「ある程度の手段も示し命じる」というリーダシップだったようです。アウトカムだけを求められ続けるリーダーシップと明智光秀のリーダーシップの違いが、信長に対しての裏切りとなったのではないか、という仮説も示されていました。
 真相は分かりませんが、永遠の謎であった方が多角的に捉え続けることができ、後世に役に立つのかも知れませんね。


 細川庭園の隣が芭蕉庵なので少し立ち寄り、その後、近所の美味しい焼き鳥屋さんで教えてもらったビストロ「TeF」でランチにしました。



 かぼちゃのスープと山形豚肉のソテー(バルサミコミコとマスタード)の2品のランチコースですが、パンはもちろん、いずれも美味しく、特に盛り合わせの野菜の蒸し焼き具合が絶妙で美味しかった。フレンチならではの野菜の美味しさを引き出した料理でした。


 帰ったら、生後7ヶ月のアロン(左)とハロウィン気分の抜けきれないライラ(右)がお出迎えしてくれ、肥後細川庭園の旅は終わりです。