2022/03/24

【Japan】慶應義塾大学の卒業式=独立自尊+自我作古

 

 2022年3月23日(水)は、ワイフの卒業式だったので、2年ぶりに日吉を訪れました。5年間ほど日吉に住んでいましたが、コロナがはじまった2020年に文京区に引っ越して以来の訪問です。

 懐かしい駅の風景は、驚くほどの人混みに変わり、慶應義塾大学を卒業する生徒が溢れるようにいます。ワイフは通信課程でしたが、11年かかり社会心理学(文学部人間関係学士)専攻し無事卒業となりました。

 卒業してからは、慶應義塾大学の理念である「独立自尊」と「自我作古」を基本に生きなければ、「学問のすすめ」に出てくる蟻のようになってしまいます。そういう意味で、この大学は特に、卒業してからが大切なのでしょうね。

「人が自分の衣食住をまかなうのは
難しいことではない。
仕事をして給料をもらって生活をする…、
こんなことはアリでさえやっている。」

 付き添いは講堂の中には入れないので、ここから3時間は綱島の「湯けむりの庄」で、ゆっくり黒湯温泉を楽しみました。関東地区は関東ローム層からの黒湯温泉が多いですが、ここの黒湯の濃さは最高です。

 卒業式が終わってから、日吉でよく行った中華料理屋さんを「元盛」を訪問。横浜は中華街があるので、そこを独立した人が各地で中華料理屋さんを営んでいます。日本人が作る町中華とは違う、中国人の町中華が食べれます。

タレが美味しい蒸し鶏

豆腐一丁のピータン豆腐

お店で一番高い紹興酒2,200円

プリプリサクサクのエビマヨ

間違えて注文した豚肉とネギ炒め

小籠包

 一皿の量が多くて、シメに塩ラーメンを二人で分けてお腹がいっぱいです。近くに慶応の野球とラクビー部のグランドがあり、たまに部員も見かけますが、このボリュームなら大満足でしょう。

 引っ越した頃、日吉駅前はいろいろな店に行ってみたのですが、どこも今一つで、結局、庶民的なこの店に一番多く訪れました。こちらが食事が終わる頃、近所の人がつめかけ、さらに鍋などを持ってくるお持ち帰りの人もいて、コロナ禍でも地元のお店の強さを感じました。

 フラフラと電車で東京都内に帰り、部屋に入るとわんぱくな奴らが寝ています。節電モードで暖房を切って外出したので、今日は寒かったかな(笑)




2022/02/24

【Japan】土肥実平の湯河原と真鶴


 2月23日は天皇誕生日の休日だったので、湯河原の城山をトレッキングしました。湯河原は平安時代末期から鎌倉時代にかけて土肥実平の領地で、湯河原駅近辺は住居だったようです。ちなみに、土肥氏実平は関ケ原の戦いで寝返って東軍についた小早川氏の祖先です。

 土肥一族の本丸があった城山を目指します。


 最初に土肥実平の成願寺に着きます。階段を上り、境内へ。


 実平の手植えとも源頼朝の手植えとも伝えられる樹齢800年の巨木は圧巻です。


 途中の道路の戻ると至るところに梅が咲いています。寒さを耐え忍んだ蕾が初春の太陽で一気に花開き、咲き誇っています。


 また、みかんの木も至るところにあります。たくさんの実が落ちていますが、みかんをスーパーで買う私にはもったいなく感じてしまいます。


 城山ハイキングコースは1時間45分ほどの短いコースですが、上り坂がずっと続くハードなコースです。振り返ると相模湾が広がり、高度を実感できます。


 奥に見えるのは初島でしょうね。


 城山頂上付近からは真鶴半島も一望でき、気分爽快です。


 下りのコースは森林を抜けて行きますが、きれいに手入れされた森林は味気なく感じます。やはり、雑然としていても広葉樹と植物が共生した森に生命力を感じます。


 民家が近くなると畑が現れてきますが、どこも金網で囲ってあります。鹿やイノシシに荒らされるのでしょう。


 このコースの終点にはバス停があるはずでしたが、それが見つかりません。途中分岐している地点が数か所あったので、間違えたのでしょうか。Google Mapで調べると、目的の「こごめの湯」はかなり位置がずれていて諦めました。

 計画変更し、昼飯でも食べようとそのまま湯河原駅まで歩きしました。
 湯河原駅近くに意外とお店がないので、停車していた真鶴行きのバスに飛び乗ってみました。行き当たりばったりの旅です。

 真鶴の駅前は湯河原以上に何もありません。少し歩くと大きな看板に、歩いて1分で地魚のお店あり、とあったので、その店に向かいました。


 1分以上歩きましたが、着いたお店は「鯛納屋」という料理旅館です。
 刺身が1,200円で刺身定食が2,300円。ご飯も食べたかったので定食を頼みました。すると、写真の桶に7品盛られた料理が現れました。刺身がイカぐらいしかなかったので、これで2,300円は高いな、と。


 次に刺身盛りとご飯にあら汁が到着しました。刺身の量にびっくりです。明らかに地魚を盛り付けたもので、サイズの大きなものから小さなものまでてんこ盛りです。


 刺身を食べていたら、アジの干物の登場です。刺身定食に干物までついているとは思いもよらず、食べきれるかなと思うほどのボリュームです。ここは2、3人で来て、焼き魚や煮魚を食べながら刺身をシェアしながら食べる店かも知れません。
 とにかく、2時間弱のコースだったのに、終点で迷い4時間弱ほど歩いたので食べてしまいました。

 初春の湯河原と真鶴のウォーキングでしたが、山と渓流と海がひとつの町に共存し、海釣りも、渓流も、鮎の友釣りもできる素晴らしい環境ですが、坂が多い、という印象です。次回訪れるときは温泉を楽しみたいと思います。

2022/01/30

【Japan】ささやかな卒業予定祝いの数々!

ランシュ・バージュ2005

  2022年2月26日。
 慶応大学の通信課程を卒業するために必要な単位と卒論を終えたワイフが、今日の卒業試験で卒業の目処がたったとのことなので、お祝いで近所のビストロTeFを訪れました。ランチでは何回か訪れたことがありますが、夫婦で経営しているビストロで、野菜の火加減が実に絶妙なお店です。しかもリーズナブルなので、近所の人に人気です。



 まずはスパークリングワインで乾杯。
 今日のディナーコースはシェフのオススメが鴨料理だったので、ワインリストでロワールワインを選択。

ドメ-ヌ・ド・ボールナール2016

 じゃがいもとネギのスープからはじまりますが、この店は野菜の素材を引き出すのがうまく、ネギとスープのマリアージュが絶妙のスープです。


 次は、神経締めをしたスズキと牡蠣のバターソテー。ソースはスズキのアラなどから抽出したエキスをベースにしたもの。ここでも添えた野菜の小松菜が美味しい。


 メインはカモのソテー。ここでもカブやブロッコリー、ダイコンなどの野菜が美味しい。フレンチの野菜が美味しいとはじめて認識したのはパリのアルページュですが、野菜そのもの素材と素材ごとの火の入れ加減が味を決めるのだと思います。


 チーズはないので、デザートでお終い。コースは前菜と魚と肉のコースですが、気軽なフレンチとしては十分です。

 11年もかけて卒業したのですから、お祝いがこれだけではさみしいので、土曜日にチーズ王国(マダムHISADA)でたくさんのチーズを購入しました。


  • モンドールAOC(冬が旬の定番チーズ)
  • モルビエAOC(炭の層を境に朝搾りの牛乳と夜に残った牛乳の2層のチーズ)
  • ラングルAOC(シャンパーニュ地方の匂いが強いチーズ)
  • モテ・ア・ラ・フイユ(山羊/シェーブルチーズ)
  • トム ド シェーヴル (ハードタイプの山羊/シェーブルチーズ)

 ワインセラーから昔購入した「ラトリシエール シャンベルタン ドメーヌ ルロワ 1998」を飲もうと価格を検索してみたら、想像以上に高価になっていて飲むことを断念。次に選んだ「DRC ラ・ターシュ 2005」はさらに高価なので困ってしまいました。そこで、トップに写真を添えたランシュ・バージュ2005年(購入時は140ユーロ)を選ぶことしました。


 ランシュ・バージュ2005は、時間が経過するにつれてまろやかになり、ボルドーらしい味わいがチーズに良く合います。


 ラングルAOCを含め、フランスチーズの匂いは慣れないと「臭い」としか感じないので、我が家の猫たちはショボショボな顔をしていす(笑)この子たちともいずれ会えなくなる日が来ると思うとさみしい限りです。


2021/12/20

【Japan】雪の白鳥と愛知工業大学システム工学研究会

 12月18日に田舎に帰省し、母親の面会に行ってきました。写真は、生まれ故郷の岐阜県郡上市白鳥町から見える雪景色の大日ヶ岳です。寒波到来のため予報では60cmの積雪の可能性もある、とあり心配しましたが、薄っすらと雪が被った程度で助かりました。

 特養の面会予約時間より少し早く到着したので、長滝白山神社に立ち寄ってみました。この神社は太平洋側の登山道となる霊山白山の入り口になります。

銀杏が敷き詰められた参拝道
 

 正月明けの6日に毎年この境内で行われる「花奪祭」では、高さ6mの天井から吊るされた5つの大きな花笠(桜・菊・牡丹・椿・芥子)を、人々がやぐらを組んで奪い合います。この花を持ち帰れば、家内安全、商売繁盛になるといわれています。

神社のあちこちに巨木(推定600年


 郡上一揆(宝暦騒動)の犠牲者を祀った宝暦義民碑もあります。この宝暦騒動によって、郡上藩主金森氏が改易され、老中、若年寄といった中枢部の失脚。江戸時代の百姓一揆で唯一農民が勝利したものです。
(母親の出身地である前谷村の定次郎が中心人物のひとり)


 母親との面会が終わり、次は親戚のお見舞いのために岐阜に立ち寄りましたが、長良川を渡る橋から稲葉山(金華山)の岐阜城に夕日が沈む瞬間をとらえることができました。

 その日は名古屋の今池に宿泊し、近くの居酒屋で友人と一杯。その後は高丘に移動し、毎年ボジョレー解禁日にヌーヴォーを欠かさず送ってくれているのに随分ご無沙汰しているBar Bittersを訪れました。

愛知工業大学正門

 翌日は親戚の納骨があり、リニアで豊田市八草に向かいました。納骨が愛知工業大学の裏手にあるお寺だったので、久しぶりに八草駅から大学まで歩いてみました。周囲は森林や畑、田んぼと、生まれ故郷に似た田舎の風景です。

 論理的な数学などが好きだったので、理学部に行きたかったのですが、田舎の高校では、3年間かけて「数学I」を教えて終わるようなところだったので、アルバイトをしながら独学で勉強しました。もともと頭が悪いため、希望の大学には行けず、結局私学で適当に受験したところしか受かりませんでした。当時の私には、東京の大学は都会過ぎて住むにはハードルが高く、生まれ故郷の情景に似たこの大学に行くことにしたのです。

 しかし授業に出てみると、電気とか電子とか、まったく面白くなく、興味も沸かず、パンチカードでFORTRANを実行するとエラーが続出。こういうのはまったく才能がないな、と嫌気がさし、バイトばかりの毎日で留年を繰り返し、23才のときIT企業を創業した機会にDrop out(退学)しました。
 ところが、ひとつだけこの大学に入学して良かったことがあります。それはシステム工学研究会というサークルに入ったことです(1979年頃)。システム工学は「工学の工学」と呼ばれ、建築、土木、電気電子、化学などの専門的な学問を束ねるための学問で、システムエンジニアリングを司る実務的な学問です。つまり、専門家になるためのものではなく、専門のことは薄く浅く理解しつつ、それらを串刺し、束ねるものです。
 これなら、頭が悪く専門家になれない落ちこぼれの私でも生きる道がある、と直感し、システム工学研究会に参加しました。授業にはほとんど出なかったのですが、たまに部室には顔を出していました。そういう意味で、この研究会の顧問の小田哲久先生には本当に感謝しています。
 システム工学は、経営にも、イスラエルのビジネスでも、マーケティングにも、今の仕事にも応用ができ、システム工学屋として40年以上私の仕事を支える「背骨」となってくれました。

システム工学研究会:このサークルが誕生したのは、1976年です。1976年は、Appleが設立した年、カップ焼きそばU.F.O.が発売開始した年、徹○の部屋が放送開始した年でもあります。システム工学研究会の歴史は長く、様々な方が活躍しています。 

日本版システム工学システム工学とは、電気、電子、建築、土木、機械、情報、環境などの違う工学を束ねる「工学のための工学」と呼ばれるもので、大規模で複雑で多くの専門家を必要としたアポロ計画などがシステム工学で為されたことで有名になった方法。オペレーションリサーチ(OR)などもその一種。

* * * *

 母親の面会、岐阜の親戚のお見舞い、親戚の納骨式が無事終わり、新幹線の時間まで、JR名古屋駅の「味仙」に立ち寄りました。

手羽先

青菜炒め

小袋

台湾ラーメン

 ひぇ〜辛い!という料理ですが、名古屋めしは癖になる味が多いため、たまに食べたくなってしまいます。


どこ行っとったん!

おいてけぼりで寂しかったよぉ


 東京に戻ると、いつものように2匹がお出迎え!
 最初は顔を見てコソコソ隠れていましたが、少したつと甘えたり、ヘソ天でアピールです。