9/5日の土曜日にはじめて相模湾の真鯛釣りに挑戦しました。佐島のつね丸という鯛釣り専門の船宿から朝の6時に出港。夜中の3時からレンタカーを借りて佐島に行くのですが、真鯛釣りは朝方が釣れるのか、朝6時発が多く、東京都内からはつらいものがあります。釣果はワラサ2匹とイナダ10匹。ワラサもイナダもブリの子供で、大きさにより出世魚で呼び名が変わります。関東では35から60cmをイナダ、60-80cmをワラサと呼び、80cm以上をブリと呼んでいます。ワラサはワイフも1匹あげましたが、かなり腕が疲れます。餌の交換などは50m以上の棚なので電動リールで行いますが、釣れてからは糸が切れないように腕でゆっくりと上げます。
今回は真鯛の顔は見れませんでしたが、まずまずの釣果なので、西麻布2丁目の鮨屋やお惣菜バーの方にもらってもらい刺身、焼き、ブリ大根などでいただき、残りは切り身を冷凍しました。来月からは肝の詰まったカワハギの季節になりますので、新鮮でおいしいカワハギを肝醤油いただけるのです。こういうのは釣り人の贅沢というか、しやわせというか、釣りたてはうまさが違います。
2009/09/07
2009/08/24
【Japan】タチウオ大漁とハラーさん
土曜日は東京の釣りの師匠の誘いもあり2度目のタチオウ釣り(海釣りの師匠とともに、はじめてのタチオウ釣り)に挑戦しました。釣りは腕もありますが、天気とか波とか潮とか、その日の環境に影響され釣果が違ってきます。今回はワイフもタチウオの合わせのコツを掴んだのか8匹、合計で23匹と大漁です。夕食がタチウオのみでは寂しいので、帰りに佐島の魚屋さんにも立ち寄り、真鯛、キンメ鯛、活き蛸を買い込みました。自宅についてからが大変です。大量のタチウオのうち大きめのものを刺身に、ハラミとか卵は煮付けに、そしてから揚げと、残りは干物にしました。刺身は真鯛、キンメ、蛸を加え、キンメは煮付け、骨や頭でアラ汁と料理を終わったのが9:30。6:30にはじめましたから3時間の料理です。
(1)タチオウ刺身
(2)タチウオハラミの煮付け
(3)タチウオから揚げ
(4)タチウオの一夜干し
(5)真鯛の刺身
(6)キンメの刺身
(7)活蛸の刺身
(8)アラ汁
と合計8品、野菜を足すと10品。
翌日は「家庭で作るトルコ料理」を参考に2品料理。ひとつは残った刺身でスパイシーな魚のスープ(バルク・チョルバス)もう一品はスパイシーな鳥料理(チョプ・シシ)。2品ともいまひとつの味でした。
今週は料理三昧の休日でしたが、アイガー北壁をはじめて登頂したハラーさんが主人公の「セブン・イヤーズ・イン・チベット」もビデオ鑑賞しました。ハラーさんの人生はアイガー北壁がきっかけでヨーロッパからアジアにシフトしていきますが、ドイツに併合されたオーストリアと当時のチベット(ラサ)の状況は共通点もあり不思議な人生を送られた人です。まさか輪廻転生されたダライ・ラマ14世がハマーさんに映画館の建築をお願いしていたとは知りませんでした。そしてこの映画があり、いつでもDVDで観れることにハマーさんの役割というか、ミッションを感じてしまいます。
翌日は「家庭で作るトルコ料理」を参考に2品料理。ひとつは残った刺身でスパイシーな魚のスープ(バルク・チョルバス)もう一品はスパイシーな鳥料理(チョプ・シシ)。2品ともいまひとつの味でした。
今週は料理三昧の休日でしたが、アイガー北壁をはじめて登頂したハラーさんが主人公の「セブン・イヤーズ・イン・チベット」もビデオ鑑賞しました。ハラーさんの人生はアイガー北壁がきっかけでヨーロッパからアジアにシフトしていきますが、ドイツに併合されたオーストリアと当時のチベット(ラサ)の状況は共通点もあり不思議な人生を送られた人です。まさか輪廻転生されたダライ・ラマ14世がハマーさんに映画館の建築をお願いしていたとは知りませんでした。そしてこの映画があり、いつでもDVDで観れることにハマーさんの役割というか、ミッションを感じてしまいます。
2009/08/05
【Switzerland】ロンドン、ルツェルン、メンヒヒュッテ、アイガートレイル
マイルを貯めている航空会社がJALなので夏休みの目的地であるスイス(チューリッヒ)直行便がなく今回はロンドン経由となりました。他にもパリ、ミラノ、ローマ経由などもあるのですが、今働いている会社の上司もロンドンにいることですし、1度ロンドンに泊まってもいいかと、1日の滞在・観光をしました。窓からタワーブリッジが見えるホテルだったのでビックベンまで歩き、バーでフィッシュアンドチップスを食べ、翌日は大英博物館の観光です。
ロンドンはあいにくの雨で、寒いロンドンの夏を経験することができました。イギリス人はスペインにたくさんの別荘を買いスペインが不動産バブルとなり、今回の世界金融危機で大変な様子ですが、この夏の寒さから暖かいところで太陽にあたりたい気持ちも分からない訳ではありません。
大英博物館のエジプトのミイラなど無料で展示物が見れますが、剥奪の歴史を感じます。また、直接的にイギリスの階級社会に悩ませれたことはありませんが、街の隅々に社会階級を感じます。ロンドンの雰囲気も分かり、今回の目的のスイスに移ります。
スイスはスイスパス(スイス人は購入できない)という日本の青春18切符のような鉄道パスがあります。特別な登山電車などは別にして大抵の電車でスイスパスが使え便利です。チューリッヒからピラトゥス山の麓のルツェルンまではこのスイスパスで電車移動です。
ルツェルンはカペル橋が有名ですが、木造の古い橋にも関わらず、観光客はもちろん、通勤にも利用されているようです。ピラトゥス山にピラトゥス鉄道で登りましたが、残念ながらガスで真っ白。中央スイスからのアイガー、マッターフォルン、モンブランは眺めることはできませんでした。山の天気は変わりやすく翌日の移動の日のピラテゥス山は見事な晴れでしたが、次のインターラーケンに移動です。
インターラケン・オストの駅からヴェンゲンへ行き、そこからロープーウェイでメンリッヒェンへ。このメンリッヒェンからクライネ・シャイデックまでのトレッキングコースは1時間半程度ですが、アイガー北壁は真正面にあり最高の眺め(お勧め)でした。
ユングフラウ鉄道の始発駅クライネ・シャイデック駅にはアイガー北壁を登る人のサポーターが泊まる山岳ホテルがあり、今回はこの宿(Bellevue Kleine Scheidegg)ひとつめの拠点にしました。クリント・イーストウッドの「アイガー・サンクション」という映画でもサポーターがこのホテルから望遠鏡で北壁を登るクリント・イーストウッドを見ているシーンがあります。
クライネ・シャイデックは標高2000mぐらいで、アイガーはこの駅から2000mプラスし4000mの山です。アイガーは他の山と違い夏でも冬でも真っ黒な山です。垂直のため雪すら積もらず、氷が張り付いている北壁なのです。そこに一箇所「白い蜘蛛」(White Spider)氷が溜まった跡が「蜘蛛」のような場所が頂上付近にあります。そこは最難関と言われ、ここで遭難した登山家、渡部恒明さんと高田光政さんの実話が新田次郎の「アイガー北壁」という短編小説です。
また、「白い蜘蛛」というテーマでアイガー北壁を最初に突破したオーストリアのハインリッヒ・ハラーが著者を出しています。第二次大戦中にインドで英国の捕虜からヒマラヤに逃げ、そこで出会ったダライラマ14世の幼少時代の交流は「セブン・イヤーズ・イン・チベット」という映画にもなりました。
クライネ・シャイデックで山の天気を見ながら3400mのユングフラウヨッホ駅まで電車で行き、メンヒヒュッテまで雪の上を歩きました。メンヒはアイガー、ユングフラウと並ぶ4000m級の山で、その山小屋が3600mぐらいの地点にあります。ヨーロッパの登山は頂上に近い山小屋に一度宿泊し朝早く軽装で頂上を目指し、その日のうちに帰って来るというパターン(アルパインスタイル)多いために、頂上まで4・5時間の地点に拠点となる山小屋があります。
メンヒヒュッテはメンヒに登る人たちの山小屋ですが、普通のサラリーマンと思われる人たちがどんどんメンヒヒュッテから頂上からロープを抱え軽装で下山してくる光景が不思議な感じがします。メンヒヒュッテではスープをいただきましたが、隣の人が食べていたパンかジャガイモ、トマトなどにチーズを乗せてオーブンで焼いてあり、オプションで目玉焼きの乗った料理(ゲーゼシュニッテ)がうまそうでした。メニューで確認すると3山にちなんで「アイガー」「メンヒ」「ユングフラウ」という名前でバリエーションがありました。
ちなみにアイガー最初の山小屋のミッテルレギ小屋はアイガー東山麓を初登頂した槇有恒さんが寄付したお金(建築費の50%寄付)で建てられたそうです。その後、ミッテルレギ小屋は新しく建て直され、古い小屋はアイガーグレッチャー駅からのアイガー北壁の横にそのまま展示されていました。
次は槇有恒さん以来日本人に馴染みの深いグリンデルヴァルト駅にホテルを移ります。「女王陛下の007」の撮影でも有名になったシルトホルンにも行きましたが、なんと言っても今回はアイガー北壁の裾野をトレッキングする「アイガートレイル」がクライマックス。このコースは最近できたようですが、アイガー北壁のすぐ近くを歩くため、アイガー北壁を登頂している人まで見ることができます。
西の3段目の小山の北壁に4名のロッククライマーがよじ登る姿が点のように見えましたが、叫び声とともに上2名、下2名のパーティーで下2名のうちひとつの点が縦から横になりました。あまりに小さな点ですから何があったかは分かりませんが、事故があったのだと思います。その後4人の点は見えなくなり、3時間のアイガートレイルを終わる頃にヘリコプターが西の頂上を含み3段目の小山の壁付近から救出しているような雰囲気。2回黒い点をヘリが運んでいました、、。詳しくは分かりませんが、近くで見るととても人間が登れる壁ではありません。
ところが、1969年に6名の日本人(加藤滝男、今井通子、加藤保男、根岸知、天野博文、久保進、原勇)がアイガー北壁を最短垂直コースで突破。本当にすごいことですね。
アイガートレイルを行い、真近に北壁を見たものしてとても考えることができませんが、日本人ならではのチームワークの成せる技でしょうか。
アイガートレイルは「アルピグレン駅」で終わりですが、アイガー北壁を目指すクライマーの出発駅はここからが多いようです。アルピグレン駅には有名なケーゼシュニッテのお店(Berghaus Alpiglen)があり、アイガートレイルを思い出しながら、眼下のクリンデルワルドを眺めいただいたのですが、チーズたっぷりでおいしかったです。ラクレットチーズとかエメンタールチーズとかグリュエールチーズをうまく混ぜるのでしょうね。
今回の旅でグリンデルヴァルトと日本人登山家は古くからつながりがあり日本人観光客が多くいるということが分かりましたが、さすがに団体旅行なのでトレッキングを行っている最中に日本人に会うことは少ないです。
そしてもうひとつ学んだことがあります。
アルプスでは30年前にクマが絶滅(スイスで最後に確認されたのは1904年という説もある)にしました。スイスの首都ベルン(アインシュタインが特殊相対性理論の論文を執筆した場所)にあるクマ公園にしかいません。
第二次世界大戦前にベルン州を中心にクマ肉で作るハンバーガー「ベアバーガー」が普及。その後にチェーン展開されスイス全土に拡大。スイス中でクマが乱獲されたそうです。ベルン州の州旗がクマですから相当数のクマが殺されたと思います。おかげでトレッキング中にクマに遭遇ということもないのですが、、。
スイスでは両生類の80%が絶滅危惧種(レッドリスト)とか。酪農優先でカエルなども川には住めなくなるのでしょうね。グリュイエールチーズは標高2000m以上の高地の草を食べた牛のミルクからでしか作らないので、森林限界を超えた山々にも牛はいますから、川の水はきれいではありません。
東ヨーロッパからクマやオオカミが西ヨーロッパに浸透しているようですが、観光立国スイスにクマが戻ることはなさそうです。
「システム」としては「知床のシステム」(知床五湖とキンキ)の方が上なのでしょうが、自然と経済との共生システムの難しさを感じますね。
グリンデルヴァルトのホテルのTVで偶然「クマバーガー」の歴史を紹介する番組から得た情報ですが、現地に行くといろいろなことが勉強になります。
休暇なのですが、次の仕事に役に立ちそうな情報でした。
最後にアイガー北壁のマッシュルーム(西側の稜線)と呼ばれる岩からBASE Jumpを行った映像で「1800mの垂直の壁」の雰囲気をどうぞ。
※写真はClickで拡大、大英博物館のラムセスⅡ世像、ルツェルンの部屋の窓からのピラトゥス山、池に写る逆さアイガー北壁
2009/07/13
【Japan】海釣りの師匠とともに、はじめてのタチオウ釣り
7/11日は赤坂の区役所までスロージョギング。45分ぐらいかかりましたから4kmぐらいでしょうか。東京都議会選挙の期日前投票を済ませて、帰りはウォーキング。昨年、外苑前の伊藤忠ビルの横に日本オラクルというIT企業のビルが建ち、南青山から夏の神宮外苑花火大会が見えなくなり地元住民は迷惑を蒙っているようですが、そのビルの1Fにはレクサスのシュールームがあります。ちょうどその前を歩いているときに向こうから豊田章男さんがご夫婦(たぶん)で歩いていました。最近トヨタの社長に就任されたばかりですが、シュールームが気になるようでキョロキョロと中を覗き込みながら通過していきました。シュールームの中に突然入って行き、販売員を励ますのかと思っていましたが、そうではなく通り過ぎただけです。大企業の社長になるとそれでいいのかも知れませんが、中小企業ですと本社が休日のときに働いてもらいありがとう。という気持ちを伝える経営者のいる会社が伸びる可能性が高いものです。
7/12日は金沢八景の弁天屋からタチオウ釣りに出航です。タチウオ釣りははじめてですが、東京の釣りの師匠は得意の釣り目です。私の釣りの師匠は20数年前に取引先の営業だった人ですが、昨年20数年ぶりに東京で再開し、相模湾や東京湾の釣りを教えてもらっています。名古屋に住んでいるときは、名古屋の釣りの師匠がいて、彼は渓流でのフライフィッシィングが得意の釣り目で、いろいろと教えてもらいました。天然の長良川の鰻(驚異の美味しさ、長良川の天然鰻1Kg)を一緒に食べたのはこの名古屋の釣りの師匠とです。 東京の釣りの師匠は横浜に住み、相模湾、東京湾を自由に行き来し夏はタチウオ、マゴチにと毎週のように船釣りを楽しんでいます。私の釣りの師匠は二人とも、いささか「釣りバカ日誌」のハマちゃんのように仕事より釣りを優先する傾向がありますが、趣味の友人もいいものです。 釣果はタチウオが2匹、鯖がそれぞれ1匹づつ、ワイフはタチウオは坊主でした。なかなかあわせの難しい釣りなので、慣れるまでは釣果はボチボチでしょう。船長さんが気を使ってくれて常連さんから5匹のタチウオをお裾分けしてもらい、刺身、煮付けにしていただきました。柴漁港で買った活えびとマコガレイも刺身と魚ずくしの夕食です。残りは干物にしました。
夏休みは蒸し暑い日本をオサラバしてスイスに行く予定ですが、スイスは何度訪れてもすばらしいところで、もし、将来金銭的に余裕があればレマン湖のほとりにでも別荘など欲しいものです。とりあえず、頑張って働くか!
7/12日は金沢八景の弁天屋からタチオウ釣りに出航です。タチウオ釣りははじめてですが、東京の釣りの師匠は得意の釣り目です。私の釣りの師匠は20数年前に取引先の営業だった人ですが、昨年20数年ぶりに東京で再開し、相模湾や東京湾の釣りを教えてもらっています。名古屋に住んでいるときは、名古屋の釣りの師匠がいて、彼は渓流でのフライフィッシィングが得意の釣り目で、いろいろと教えてもらいました。天然の長良川の鰻(驚異の美味しさ、長良川の天然鰻1Kg)を一緒に食べたのはこの名古屋の釣りの師匠とです。 東京の釣りの師匠は横浜に住み、相模湾、東京湾を自由に行き来し夏はタチウオ、マゴチにと毎週のように船釣りを楽しんでいます。私の釣りの師匠は二人とも、いささか「釣りバカ日誌」のハマちゃんのように仕事より釣りを優先する傾向がありますが、趣味の友人もいいものです。 釣果はタチウオが2匹、鯖がそれぞれ1匹づつ、ワイフはタチウオは坊主でした。なかなかあわせの難しい釣りなので、慣れるまでは釣果はボチボチでしょう。船長さんが気を使ってくれて常連さんから5匹のタチウオをお裾分けしてもらい、刺身、煮付けにしていただきました。柴漁港で買った活えびとマコガレイも刺身と魚ずくしの夕食です。残りは干物にしました。
夏休みは蒸し暑い日本をオサラバしてスイスに行く予定ですが、スイスは何度訪れてもすばらしいところで、もし、将来金銭的に余裕があればレマン湖のほとりにでも別荘など欲しいものです。とりあえず、頑張って働くか!
2009/06/29
【Japan】梅雨イサキと柴漁港の魚市場
【Japan】梅窓院の郡上おどり in 青山と香り高い長良川の天然若鮎
2009/06/22
【Japan】驚異の美味しさ、長良川の天然鰻(1Kg)
釣り方は大きな針に小魚をつけ、太い糸で鰻の通りそうなところころに夕刻仕掛け(数十箇所)ておき、早朝に引き上げるというものです。子供の頃に父親がこの方法(「置き釣」といいます)で釣った鰻を家族で食べたのですが、あまりにもおいしかったので記憶に鮮明においしさが残っていて、ついつい約束をしてしまったのです。
以来、酒を飲むたびに天然鰻の約束の話になるのですが、田舎の友人に尋ねても現在はなかなか釣れるものでないため「難しい」の一言。以来20数年が経過してしまったのです。たまたま先月病院のお見舞いで田舎に帰ったとき居酒屋でバッタリと幼馴染の同級生の酒屋に会いました。さっそく鰻の話しを切り出しましたが、彼は魚釣りがうまく、鰻を釣る釣り仲間がいることを教えてくれました。その友人はある店に鰻を卸していると。すぐに紹介をしてもらい、鰻が釣れたら東京から新幹線に乗り食べに行くと連絡し、待っていましたら6/15日に
「1kgの鰻が釣れたのでどうしますか?」
と電話をもらいました。喜び勇んで友人に急遽有給をとってもらい6/20日に無事「長良川の天然の鰻」を食べることができたのです。
関東は鰻を蒸しますが、岐阜県は関西と同様に直火で焼きます。サクサクした表面と身の水分加減、清流の鰻なので利根川などの天然鰻と違い川臭さもなく、タレも甘くなくさらっとしていて、こんなにうまい鰻ははじめて食べたと皆大喜びです。半身は白焼きでわさび醤油か塩、半身はタレでいただきました。通常のうな丼で特上は300gぐらいの鰻を使いますが、今回の鰻は1kgの大物。大きいから大味かというと、そこが天然鰻で脂もしつこくなく、身も何層にもしまっていて完璧なのです。
長良川というと岐阜の鵜飼の鮎が有名ですが、上流のこの天然鰻のポテンシャルは半端ないおいしさです。ちなみに同じ岐阜県郡上市に粥川という村があり、ここは鰻を一切食べない村で天然記念物とし保護しているので川は鰻だらけです。
関東の人は焼き方で好みが違う人もいるでしょうが、関西の人は飛びつくうまさだと思います。昭和天皇の大好物だった野田岩の鰻がもう食べれなくなってしまったかも知れない...
これで古い友人との約束は果たせたのでまずはひと安心です。
最低でも8年(鰻の寿命は5年から15年)は生きないと1kgにはならないそうなので、このうなぎに感謝感謝です。
2009/06/08
【Japan】奥鬼怒温泉郷 加仁湯、サンショウウオの天ぷら!
日帰り入浴は混浴とのことなので諦めて柴犬としばらく遊び、予約している加仁湯へチェックイン。さっそく温泉に入りましたが、ここは混浴と普通の温泉があり、湯の種類も5種類あります。さすがに気持ちの良い温泉でした。食事は山菜や岩魚などでいわゆる山の温泉の料理ですが、サンショウウオの天ぷらや熊肉、鹿肉など奥深い山の味も別注で頼めます。今回はサンショウウオの天ぷらを食べてみました。子供の頃にオオサンショウオは長良川でたまに見かけていましたが、天然記念物でしたので食べることはありませんでした。その仲間のサンショウオを食べるのですから、かなりの抵抗感がありましたが、1匹だけ食べてみました。特別にこれからも食べたいものではありません(笑)。
鬼怒川の源流が旅館の横を通り、4階の私たちの部屋には川のせせらぎが聞こえ、ツバメが飛び交い、美しい日本の原風景に満足しました。
大きな旅館なので夕食、朝食も大広間ですが、私たちより一回り上の団塊の世代の人がたくさんいました。特に山登りが好きな世代だからかも知れませんが、トレッキングに行くと団塊の世代の人はいつも集団で行動しています。たまに翌日のスケジュールをリーダーらしい人が読み、参加者がうなずいている光景を目にします。これはスイスに行っても同じで、グリンデルワルトなどは団塊の世代の人だらけです。できることならこういうところでは静かにしていて欲しいのですが、いつもどこでも騒がしいのは集団だからなのかも知れません。たまに辟易します。
7月の下旬は夏休みにアイガー北壁周辺のトレッキングでスイスのグリンデルワルト、10月下旬には今回予約できなかった銀山温泉を予約しましたが、どうか集団の日本人のいない静かな休暇が過ごせますように。
2009/06/05
【USA】アッサラーム・アライクムとオバマさん
「アッサラーム・アライクム」
と言っていましたが、オバマさんは大丈夫だろうか。
1年前の2008年の同じく6月の選挙戦のときに、AIPACというロビー団体での発言は以下のようでした。ラビンさん(パレスチナの水問題とオスロー合意)のこともあるので少し心配ですね。
■「エルサレムはイスラエルの首都」とオバマ候補■
次のアメリカ大統領選挙で民主党候補となるバラク・オバマ氏は、AIPACの会合で演説、「エルサレムは、分割されることなく、イスラエルの首都でありつづける」と述べた。「私は断言する。イスラエルの安全保障は絶対不可侵だ。パレスチナ人とのいかなる合意も、ユダヤ国家としてのイスラエル承認、その防衛可能な国境を確保するものでなければならない」と強調、イスラエルのエルサレム地区併合支持を表明した。AIPACに招かれたオバマ氏のライバル、ヒラリー・クリントン上院議員は、「オバマは必ずイスラエルのよき友となる」と語った。オルメルト首相は、オバマ候補の演説について、「力強い発言に感銘を受けた」とコメント。AIPACでは、4日に、共和党大統領候補のジョン・マケイン上院議員が、エルサレム=イスラエルの首都論支持を表明している。一方、アッバース大統領は、記者団に対し、「このステートメントはきっぱり拒否する。世界の人々はエルサレムが1967年に占領された土地であることを知っている。エルサレムを首都としないようなパレスチナ国家は受け入れられない」と語った。また、ガザ地区ハマースの報道官は、「オバマもマケインもアラブ=イスラエル紛争に関して、われわれと敵対していることで、何の変わりもない」と述べた。(6/5 Haaretz、Reuters)
2009/06/02
【USA】GMと石油産油国
2009/05/18
【Japan】オープンウォーターからアドバンスへ、石垣島で宇宙船のようなコブシメに遭遇!
5/13日から17日まで石垣島でダイビングのアドバンスドオープンウォーターの資格を取得してきました。この資格は深度30メートル程度(40メートルがmax)まで潜ることができたり、ナイトダイブができたりと、ダイビング入門資格のオープンウォーターより幅広くダイビングが楽しめるものになります。今までダイブは海外ですと、ハワイ、グアム、オーストラリア、国内ですと伊豆、沖縄、そして今回が石垣、いろいろな場所で楽しみましたが、石垣はダイビングにはなかなかいいところです。沖縄は慶良間諸島まで船で行きダイビングとなり、変化に富み楽しいのですが、ダイブ時間が30分と短いのが一般的です。これは場所による慣習なのか、沖縄のどのダイブショップでもその傾向が強いようです。石垣は45分とか60分とタンクに空気もタップリ(12リットル)で長く楽しめます。今回お世話になったダイブショップは船の上で食べるご飯もおいしくお気に入りになりました。コブシメ(甲イカ)の産卵も見ることができ感動のダイビングでしたが、石垣の近海で取れたキハダ鮪の刺身のおいしさも驚きでした。200kgや300kgのマグロは那覇や本土に送られて、現地では朝漁で取れた小ぶりのキハダをいただきますが、身がプリプリのマグロに感動です。
海外のグアムやサイパンより石垣島の方がダイビングは楽しいかも知れません。
海外なら紅海で一度はダイビングがしてみたいものです。
2009/05/07
【Japan】圧巻の乃木坂ニーノのウニパスタ
2009/04/20
【Japan】土佐の初カツオ、山口一豊の妻 千代は郡上八幡城主の娘?
2009/04/10
【Japan】発見、西麻布の笄川
毎朝のウォーキングコースは自宅から外苑前、銀杏並木から神宮外苑を一周し戻る1時間のコースですが、そのコースの途中に笄川の跡地を発見しました。以前から西麻布は笄町と呼ばれていたようですが、それが何故かは知りませんでしたが、それが最近分かったのです。
笄川は先週訪れた郡上城主青山さんの菩提寺である梅窓院が源流です。具体的には花畑牧場の「ホエー豚亭」の横が源流になります。そこから「花畑牧場カフェ」に行く細い道が川だったところで、現在は道路になっています。キラー通りを横切りスキーショップジローの裏を通り、西麻布二丁目を抜けて、西麻布四丁目から広尾、天現時から古川(渋谷川)に流れ込む全長3キロの川が笄川でした。今は西麻布四丁目のビストロ通りにあった笄橋があったため笄町と呼ばれていたようです。今朝のウォーキングはこの笄川を源流まで遡ってみました。東京の歴史を散策するのは意外と楽しいものです。
画像は広重の広尾・古川橋です。
笄川は先週訪れた郡上城主青山さんの菩提寺である梅窓院が源流です。具体的には花畑牧場の「ホエー豚亭」の横が源流になります。そこから「花畑牧場カフェ」に行く細い道が川だったところで、現在は道路になっています。キラー通りを横切りスキーショップジローの裏を通り、西麻布二丁目を抜けて、西麻布四丁目から広尾、天現時から古川(渋谷川)に流れ込む全長3キロの川が笄川でした。今は西麻布四丁目のビストロ通りにあった笄橋があったため笄町と呼ばれていたようです。今朝のウォーキングはこの笄川を源流まで遡ってみました。東京の歴史を散策するのは意外と楽しいものです。
画像は広重の広尾・古川橋です。
2009/04/06
【Japan】刃物会館でミソノモリブデン鋼を購入、そして青山のルーツの郡上八幡へ
4/4日は岐阜県関市にある病院にお見舞いに行きました。関市は刃物の町として有名です。カワハギ釣りやシロギス、アジなどを釣った後に刺身や干物を作りますが、包丁の切れ味が悪く、さらに腕も悪いために、なかなかうまく行きません。そこで岐阜県刃物会館に立ち寄り包丁を新調しました。包丁は素人なので何がいいのか分かりませんが、この会館では親切にいろいろと教えてくれます。説明によるとプロはミソノ 440シリーズをよく使うらしいのですが、ランクを少し落としてミソノ モリブデン鋼を選びました。
桜が綺麗で、ついつい翌日は午前中に郡上八幡を観光をしました。最初に訪れたのは岩崎模型製造株式会社のサンプルビレッジ。食品サンプルというものは日本にしかありませんが、そのルーツは郡上八幡出身の岩崎瀧三さんの作った「オムライス」の食品サンプルです。
初めての見学でしたが、合羽橋に売っている食品サンプルも多くはここの商品なのです。
そして、桜の花に誘われるように八幡城に上がりました。20代の頃に一度登った記憶がありますが、今回は車で上がり入城しました。この地は日本の歴史の中で「農民が勝利した唯一の一揆」を起こしたところですが、当時の城主はお家断絶となり、その後に青山幸道さんがこの地を治め、「士農工商」が身分に関係なく参加し、輪になり踊る郡上踊り生まれました。八幡城の最上階には、青山さんの歴史が紹介されていますが、実は東京の青山霊園は、八幡城の城主である青山さんの下屋敷だったのです(※南青山は美濃郡上藩青山家の下屋敷、北青山は丹波篠山藩主青山家の江戸屋敷)。
今朝は青山霊園を通過し、ジムに行きましたが、満開の桜の美しさと八幡城がオーバーラップし、気分が爽快になりました。
ところで、青山家の旗をご存知でしょうか?
青い字で漢字の「山」と書いてあるシンプルなマークが青山家の旗です。
南青山近辺の住民はあまり知らないでしょうが、八幡城の中に立っていました(笑)。
また、最上階には青山家江戸屋敷にあり、暴風で倒れ、中から「日本一」の刻印が出てきた木があります。
今朝は青山霊園を通過し、ジムに行きましたが、満開の桜の美しさと八幡城がオーバーラップし、気分が爽快になりました。
ところで、青山家の旗をご存知でしょうか?
青い字で漢字の「山」と書いてあるシンプルなマークが青山家の旗です。
南青山近辺の住民はあまり知らないでしょうが、八幡城の中に立っていました(笑)。
また、最上階には青山家江戸屋敷にあり、暴風で倒れ、中から「日本一」の刻印が出てきた木があります。
2009/02/23
【Syria】シリアの花嫁とドゥールズ派
2009/02/19
【Japan】乃木坂 のビストロ、シェ・ピエールが閉店
#2017年に閉店してしまいました。
2/19日は久しぶりにフレンチでの外食をしました。東京で最初に食べたビストロの「シェ・ピエール」に行きました。ここはブルターニュ出身のピエールさんのお店で、フランスらしい味付けのフレンチ好きには有名な店です。以前、会社が近くにあり偶然入ったことから幾度か通ったのですが、レストランに行くことが多くなり、気取らないビストロは久しぶりです。食材のすべてを見せてくれて選ぶスタイルなので、慣れないと面倒ですが、どれもこれも食べたくなり、少しづつシェアしていただきました。時期的にジビエは鹿ぐらいでしたが、サフランを使わないブイヤベースは絶品です。オーナーのピエールさんがサフランが嫌いらしく赤のパブリカ色のスープでマルセイユで食べるものとは見た目が異なります。ここはレストランでなくビストロなので気軽です。
2009/01/13
【Australia】ハミルトン島で知る、オーストラリアの鉱山は人手不足!
今回の旅はケアンズまでの帰りの飛行機が嵐のために遅れてしまい、融通の利かない格安航空会社のJetStar(以前はケアンズ-成田はJALとカンタスと共同運航だったが今はJetStarのみ)は搭乗できず、カンタス航空でケアンズからブリスベン、そこで乗り継ぎシドニーへ、そして成田へと12日の夜に帰国する予定が13日の朝6時に成田到着。タクシーで自宅に行き、シャワー、朝食、着替えて会社へと24時間の飛行機の旅でした。無事13日(火)から仕事ができてよかったのですが、ちょっと疲れているので、今晩のアラビア語はお休みをいただきます。次回は20日の火曜日pm8:00から新宿アラビア語教室です。
2008/12/10
【Palestina】内定取消とベツレヘム生誕教会の無職の若者
日本の場合の内定取消というのは「会社は自分を守ってくれない」というあたりまえのことを早く体験でき、自分で生きていくことや、会社を選ぶ眼を養うことにつながるので、長い眼で見ればマイナスではないと思います。
ある程度の年齢でリストラになった場合、会社にどっぷり漬かってしまっており、再起することが難しくなるケースもあると思いますが、資本主義である限りはリストラは付き物ですから、リストラになっても職を変えやすい仕組みや社会インフラを整備することが政治の仕事でしょうし、個人としては柔軟な適応力があれば逞しく生きていけますので不況で落ち込むのは得策ではありませんね。
50%というパレスチナの失業率からすれば日本の今の状況は経済活動に環境というもうひとつの変数が入り経営の方程式が変わったゆえの質の転換期間と考えれば大したことはありません。またしても、トリガーをアメリカからもらった訳ですね。
2008/12/08
【Japan】片岡護さんの西麻布 アルポルト
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