2022/05/04

【Japan】新緑の東京大学大学院理学系研究付属植物園の清々しさ!

 2022年5月4日のGWは小石川植物園を訪れました。偶然ですが、今日は緑の日ということで入園料も無料とのこと。



 小石川植物園は正式には東京大学大学院理学系研究付属植物園です。1684年に徳川幕府が設けた「小石川御薬園」がその前身で、面積は161,588㎡(48,880坪)もあります。世界中から集めた植物が森となっていて、この季節の新緑を感じる散策には最適です。



 これはクスノキの大木です。(女性がなかなか移動せず、やむなく比較写真に)このような大木が植物園全体に森を形成しています。都内を離れ、箱根や群馬の山でも登らないと感じることのできない森林で、しかも生物多様性に溢れていますから、見ていて飽きません。


 途中、柴田記念館という理学部植物教室教授の
柴田桂太博士の生物科学研究所の建屋などもあります。中には昆虫と植物の受精・胚発生のメカニズムの研究などの資料が展示されています。


 これはメンデルのブドウの木です。メンデルの法則を発見したメンデルが実験に用いたブドウの分木です。エンドウは残っていませんが、ブドウの木はここに残っています。


 これはニュートンの生家にあった木の枝を分木したリンゴの木です。この木についたリンゴが落ち、万有引力の発見につながりました。


 てっきり植物は昆虫や小型の鳥類を介した受粉により種子になるかと思っていましたが、イチョウのように精子のある植物(イチョウの精子が胚珠の中で泳ぐのを観察)もあるようです。


 これはアザミですが、普通に野に咲く多種多様な植物もいたるところに生えています。また、小笠原諸島特有の固有種などはハウスの中に隔離され、展示されています。




 これは全部サボテンです。名前は忘れてしまいましたが、こんな形のものもあるのですね。

ハウスの中にはメダカもいます。


 天気がよいので、植物園の中でお弁当を食べている家族がたくさんいます。新緑の中なので美味しいでしょうね。



 森林浴を浴びることができる散策コースです。今日は無料の日だと知っていて比較的人が多いですが、平日ならまるでトレッキングの気分になれます。





 右回りで歩くと、下った低い場所にある日本庭園を眺めながら坂を階段で下ります。振り返るとツツジがたくさん茂っているので、1ヶ月ほど前なら色合いも違ったでしょうね。


 旧東京大学医学校本館建屋です。なぜここに医学校があるのかは不明です。

亀と鯉がせめぎ合っています(笑)

見たことない木の根


 最後に驚きの糞を発見。銀杏をたくさん食べたようで、そのまま出てきてますが、何からの動物の糞です。タヌキなのかキツネなのか、クマはいないでしょうが、この植物園には野生の動物が住んでいます。日本の田舎まで行ってしまえば別ですが、地方都市にはこのような森林は残っていません。しかしここには、野生動物をも包み込む森林が残っているのです。遠くには都心のビルが見えるため、逆に感動してしまいます。


 白山まで歩くと、ハラミが名物の幸楽苑(みんなに愛される、国民的焼肉屋)のランチの旗印を発見。焼肉定食を頼み白いご飯を山盛りいただきました。小石川植物園の散策は2時間ほどでしたが、新緑の清々しさ、そして朝抜きで悲鳴をあげる脂肪の状態から食べる焼肉定食は最高です。

           * * * *

 2020年初頭からCOVID-19がパンデミックとなり、季節の変わり目に都内を旅するナノツアーに出かけることが多くなりました。それぞれの場所で発見があり、おかげで旅行は遠くに行くだけではない楽しみ方があることを学びました。(私の中では都内の旅はナノツアー、近隣県への旅行はマイクロツアーとしている)
 以下は2020年以降のナノツアーのブログ一覧です。

都内源泉掛け流し温泉「さやの湯」へのナノツアーhttps://hamsajapan.blogspot.com/2021/09/japan.html

小石川後楽園での紅葉狩り
https://hamsajapan.blogspot.com/2021/12/japan.html

神田川関口から隅田川両国橋
https://hamsajapan.blogspot.com/2020/12/japan.html

肥後細川庭園でカワセミ発見!
https://hamsajapan.blogspot.com/2020/11/japan.html

根津神社と森鴎外記念館への旅
https://hamsajapan.blogspot.com/2020/09/japan.html

神田川源流から関口芭蕉庵の古池

2022/04/30

【Japan】新しき村のエネルギー売電

  GWの4月30日は、武者小路実篤の理念を実践している新しき村(埼玉県入間郡毛呂山町大字葛貫423番地1)を訪ねてみました。ロシアによるウクライナ侵攻以来、イスラエルのキブツを研究しはじめたのですが、日本にもキブツのような村落共同体があり、その中でも、歴史があって、怪しげな宗教的でないコミュニティーとしての新しき村の存在は貴重です。

 財団法人新しき村のWebサイトによると、新しき村は、1918年に宮崎県児湯郡木城村に誕生しました。この村は高い山々に挟まれ、三方を川で囲まれた土地であったため、外部との行き来は舟に頼っていました。約20年後、その地形ゆえに、この地に発電所が建設されることとなり、村の土地の半分がダムの中に沈むことになってしまいました。

 そのため、1939年(昭和14年)、埼玉県毛呂山町に新たな土地4,000坪を得て、「東の村」として再出発することになり、宮崎県の村は、残った土地に2家族が住み、「日向新しき村」として現在もその活動を続けているようです。
 今回私が訪ねたのは、埼玉県の武州長瀬駅から徒歩30分ぐらいにある新しき村です。


 写真は新しき村近くの畑の風景ですが、のどかな春の田畑の風景には心が安らぎます。
田んぼに水を引く季節


 子どもたちが遊んでいます。そろそろこの子どもたちの家族の住む新しき村が近づいてきたのでしょうか。




 新しき村の美術館。拝観料が200円で月曜日が休館とあります。この中には武者小路実篤の書や絵画などが展示されています。


 館内で300円で販売している新しき村を紹介した冊子ですが、この裏表紙には、武者小路実篤が書いた以下のような新しき村の精神が掲載されています。

一、全世界の人間が天命を全うし各個人の内にすむ自我を完全に成長させることを理想とする。

一、その為に、自己を生かす為に他人の自我を害してはいけない。

一、その為に自己を正しく生かすようにする。自分の快楽、幸福、自由の為に他人の天命と正しき要求を害してはいけない。

一、全世界の人間が我等と同一の精神をもち、同一の生活方法をとる事で全世界の人間が同じく義務を果たせ、自由を楽しみ正しく生きられ、天命(個性もふくむ)を全うする道を歩くように心がける。

一、かくの如き生活をしようとするもの、かくの如き生活の可能を信じ全世界の人が實行する事を祈るもの、又は切に望むもの、それは新しき村の会員である、我等の兄弟姉妹である。

一、されば我等は国と国との争い、階級と階級との争いをせずに、正しき生活にすべての人が入る事で、入ろうとすることで、それ等の人が本当に協力する事で、我等の欲する世界が来ることを信じ、又その為に骨折るものである。


 この精神は、「自他共生」という言葉に凝縮でき、もう一言付け加えると「個人も生き全部も生きる」世界だとしています。
 そのために必要なものは、第一、肉体的生命を保つこと。健康な衣食住が必要で、病気のときの用意、天災のときの用意、その他人命を地上に少しでもとどめておくことができるように骨折ることが必要だ、と。
 義務労働は1日6時間とし、自由な時間は各自勝手で良いが、他人の独立性を害しないように、と新しき村での生活のルールや考え方について、武者小路実篤が文学的文章できれいにまとめています。

 この小冊子によると、新しき村ができた頃は、一番若いのが16、17で、一番年上が43、44とあり、武者小路実篤が33歳の頃にできたことになります。

 Wikiにある以下の記述からも、武者小路実篤は、理想のコミュニティーを作ろうとしたのでしょうね。

 武者小路の「新しき村」の構想は中国共産党主席毛沢東に影響を与えたことで知られる。周作人は『新青年』に「日本的新村」という論文を載せ、毛沢東は「新村」に傾倒した。

 東京大学教授の平野聡は、SAPIO2015年6月号で、「白樺派の作家・武者小路実篤は、社会問題を解決して博愛の心を育むため、個人が財産を放棄して共有財産とし、集団生活で平等な共同体を実現する「新しき村」の理想を説いた。中国共産党の国家主席・毛沢東は武者小路の考えに激しく共鳴して、格差が蔓延する中国において、武者小路が実践した平等・博愛精神あふれる「新しき村」を作ろうとして、やがてマルクス・レーニン主義に傾倒した。」としている。

 この小冊子では、新しき村と他の主義として、武者小路実篤は以下のようにまとめています。

 新しき村と社会主義とはどこが同じで、どこが異なるのか。自分は社会主義のことははっきりは知らない。だからどこが同じで、どこが違うか知らない。ただ新しき村と同一なところが社会主義にあればそれは社会主義のいいところで、違う点があればそれは社会主義の悪いところだと思っている。どっちにしろ新しき村の仕事は経済問題を解決するのが目的ではない。第一の目的は人間らしく生きるという点にある。真心を生かすというところにある、正しい生活をもとめるところにある、パンの問題はその解決に従って自ずと解ける問題にすぎない。
 我等は共産主義というよりは協力主義というべきである。人間らしく今の世に生きられるよう協力するのが新しき村の仕事である。
 すべての兄弟姉妹の正しく生きようとする欲求が燃え上がって自ずと出来る村を、新しき村と仮に名づけたのだ。今に新しき町が出来、都市が出来、国が出来ればそれにこしたことはないが、自分たちは少数でも、力弱くとも自らを正しく生かさないでおけない要求からこの生活に入った。社会主義は国家の力を借りようとする傾向がある。自分達は自分達の力で、一人の力でも、二人の力でも正しく生きようとするものの力の集まりでこの仕事をなし、生長してゆこうというのである。
 
 さらに、信仰についても以下のようにまとめています。

 新しき村の信仰はどこにあるのか。
 一言で云えば、人類の真心を通して顕われる力を信仰することである。
 この力に従うことが人間にとって最も強くたしかなことであることを信じることである。この力を他にして我等の頼るものがないことを信じることである。
 人類の真心に従って生きる。人類の真心、自己の内にある真心によって生きる。それに背かずに生きる、そこに安住と、何ものも恐れぬ力を感ずる。
 そのものこそ、真に新しき村の信仰をもつものである。この信仰を本当に持たぬもには迷いがある。新しき村の精神はわからない。この信仰を強くもつものは巌の上に家を建てる人間である。嵐にあっても崩れない。

 私の専門である日本版システム工学では、人間を定式化し「人間=A+BX」としています。「A」は定数項で、人間が生来もっているもの、遺伝的なものとし、変数項の「BX」は語学能力や宗教のように後天的に身につくものとしていいます。もちろん、遺伝的に記憶力が良いというような特性が語学能力を高めることからも「A」と「BX」は混在していて厳密に分けることが実態にそぐわないこともありますが、思い切って割り切り、単純に定式化しています。武者小路実篤が言っている「真心」とは、「人間=A+BX」に当てはめると「A」、つまり、人間が本来持っているものを「真心」だと位置づけ、後天的な宗教教義などで身につけた「BX」とは位置づけていません。

 ちなみに、イスラエルのキブツでは、労働に対するキブツの基本的な概念は、労働が幸福を獲得するための手段ではなく、労働そのものが幸福の源泉で、労働は人間の自己実現の手段であり、創造性の源泉であるとしています。

新しき村の全体図

村人が集まる公会堂

食堂兼集会所

食事時間も決まっている

自由に食べれる野菜(たぶん)


 朝採れのタケノコ(孟宗竹)が並んでいたので、400円の大きなものを1本購入。今晩のおかずの1品にする予定です。



 途中の鶏舎と思われる建物や、何かを飼っていたと思われる建物がありましたが、いずれも現在は、何もやっていないようです。また、子どもたちが遊んでいた近くの大きな建屋も何もなかったのですが、中にいる村民に聞いたら昔鶏卵を出荷していた荷捌き場だったとのこと。結構広く大きな建屋だったので、鶏卵が大きな収入源だったのでしょう。


 鶏舎の隣に大きなソーラーパネルがあったので、村人に用途を聞いたら、東京電力に電気を売電しているそうです。てっきり、村のエネルギーを自給しているのかと思ってしまいました。
 Wikiによると、以下のような状況のようなので、ある意味、新しき村も限界集落(人口の50%以上が65歳以上で、農業用水や森林、道路の維持管理、冠婚葬祭などの集落として共同生活を維持することが限界に近づきつつある集落)と同じ問題を抱えているのかも知れません。

 近年、村内の高齢化が進み、平均年齢は60歳を超えた。鶏卵の値下がりや人手不足で養鶏を止めるなど農業収入の低迷もあり、村の運営が困難になってきている。過去の積立金を取り崩して赤字を補填している。2013年時点の村内生活者数は13人。村外会員は約160人ほど。2018年時点では宮崎で3人、埼玉で8人が暮らしている。


 駅から新しき村に途中の道で、朝採りのタケノコが市価より1、2割安く売っているという看板が数か所あり、その宣伝に釣られてタケノコを購入することに...


 新しい村に行くときは気が付かなかったのだが、帰りの道すがら駅の近くに、タケノコ無料でご自由に、というカゴが。「えええぇ」と思いましたが、ついでに1本もらいました(笑)


 このサイズのタケノコだと鍋に入らず皮付きではアク抜きできそうにないけど、とにかくリュックに担いで帰りの電車に乗り込みました。


 池袋西口(北)の「四季香」で中華ランチを食べましたが、メニューを見てびっくり、アメリカザリガニ、カイコ、ここらまでは良かったのですが、犬肉もあり、本場中華の醍醐味が堪能できそうな店です。


ただいま!


2022/04/03

【Japan】日本最古の最高学府「坂東の大学」

  日本にキリスト教を普及させようとしたフランシスコ・ザビエルは3つの方法を考えたらしい。ひとつは、当時の日本のリーダーにキリスト教を理解してもらいトップダウンで普及させる、もうひとつは、聖書を日本語に翻訳し、内容を理解させる。最後の方法は、当時の最高学府とヨーロッパの大学との交換留学生制度を実施する。この最後の方法で、日本の学府としてターゲットになったのが、高野山、根来寺、比叡山、近江(園城寺)などに加え、関東の足利学校としたとのこと。

 足利学校とは聞いたことがなかったので、調べてみると、当時もっとも大きく有名なのは、生徒数3000名ほどの坂東の大学だ、とフランシスコ・ザビエルがヨーロッパに紹介しています。そこで、4月2日(土)は電車で足利を訪ねてみました。

「都の大学の外に、尚、有名な学校が五つあって、その中の四つは、都からほど近い所にあるといふ。それは、高野、根来寺、比叡山、近江である。どの学校も、凡そ三千五百人以上の学生を要してゐるといふ。しかし日本に於て、最も有名で、最も大きいのは、坂東(関東)であって、都を去ること、最も遠く、学生の数も遥かに多いといふ。」フランシスコ・ザビエル書簡集


 足利はJRの「足利駅」東武鉄道の「足利市駅」がありますが、今回は東武鉄道の足利市駅から散策をはじめました。すぐに菜の花の河原が美しい渡良瀬橋を渡ります。
 

 途中、源頼朝に従軍したという足利義兼の住居跡にできた鑁阿寺(ばんなんじ)を散策しました。足利氏は、清和源氏の一流の河内源氏から出た氏族で、河内源氏の第三代棟梁源義家の四男・義国が下野国足利荘を領し、義国の次男の義康が足利氏を称したことに始まりました。足利義兼の妻は源頼朝の妻である北条政子の同母妹の北条時子です。
 源氏支配の鎌倉幕府から北条の幕府となり(約150年間)、そして足利の幕府(室町幕府)になり(約240年間)、戦国時代を迎えることになります(約150年間)。

都内では散りだした桜がここでは満開

枝垂れ桜も美しい

本堂

樹齢550年

 武家の屋敷をベースにした寺なので、外堀がある

坂東の大学

全景

「学校」という看板

孔子蔵

6畳の寮

教室

庭からの教室

 坂東の大学で教育されていたのは、儒教が基本で、占学と兵学も教えられていたなど、戦国時代まで続く軍師を教育していたのが面白いですね。武家のリーダーは血で世代交代が行われるので、その参謀を教育し、武田信玄の軍師などもこの大学出身者です。

 春の足利は少し肌寒かったですが、関東の武士が鎌倉から栃木県の足利まで続いていたことが実感できました。こういう歴史の足跡を訪ねる旅は楽しいものです。

 東武鉄道の足利市駅から浅草まで戻り、浅草の屋台的な居酒屋に立ち寄ってから帰ろうとしましたが、若者を中心にあまりの混雑で諦めました。コロナ禍がもう終わってしまったという感覚なのでしょうね。浅草が大混雑だったので、上野のアメ横で飲もうと移動しましたが、ここは若者だけでなく浅草より満員です。居酒屋で飲むのは諦め、自宅近くのビストロDONを予約し、バスで移動しました。

ヤリイカのご飯詰め

フォアグラのリゾット

ラム肉のロースト

地鶏のロースト

 居酒屋よりはワイン代が高いけど、静かに美味しい料理を食べれて満足です。それにしても、東京の若者がコロナを意識していないのには驚きです。あんな満員の酒場で大声で飲んでいたら感染してもおかしくないので、このままBA.2が猛威を振るうのは間違いなさそうです。ゴールデンウィークでもこの調子だと6月ごろが恐ろしいですね。